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2018年4月 9日 (月)

彼らの行為には、ひとかけらの正義もありはしない

ーー以下「小坪しんやブログ」より抜粋編集

何度か紹介した「あのデモ」ですが、 主催団体等を「特定」しましたので、ここに公開させて頂きます。

平成24年9月1日に自衛隊・米軍参加の東京都・目黒区総合防災訓練に反対する実行委によって主ツイされ、65人が動員された、「9.1東京都・目黒区総合防災訓練反対行動」であります。

1、中目黒の船入場公園で行われたデモ
2、そして付随する自衛隊員に対する監視行動

(関連ブログ 虹とモンスーン~ 報告: 9.1東京都・目黒区総合防災訓練反対行動) 

ーー

信じられぬことでありますが、東日本大震災の翌年の行動であります。

ーー

この防災訓練は23区を護る自衛官たちに課せられた過酷な訓練でした。

アスファルトは土よりも足に負担がかかるため、疲労困憊、ボロボロになったその状態の自衛官に対して、「9.1東京都・目黒区総合防災訓練反対行動」が行われたのです。

彼らは、長い行軍訓練を経ての、20名の自衛隊訓練生にたいして直接罵声を浴びせた。

まさに「蛮行」をおこなったのです。

ーー   

私は、「9.1東京都・目黒区総合防災訓練反対行動」を許せません。

彼らは、自衛官が反論できぬことを知りながら、罵声を浴びせて自衛官の心を傷つけ、痛めつけたのです。

ここで、彼らが言論の自由を振り回すのなら、彼らはただの「人でなし」ではないか。

ーー

コメント欄で頂いた、忘れられぬ句があります。

ランドセル負いたる遺体 抱きしめて 自衛隊員泥沼のなか
(浦安市白石美代子氏 作)

ーー

日本では、「人の道」というものが厳然と存在し、それを踏み外す行為をする人を古来より、「人でなし」と言ってきた。

彼らの行為にたいして「人でなし」と言って何が悪いのか。

私は、彼らの行為は人の道を外れていると、そう思ったのだ。

私にも、思想信条の自由があり、表現の自由がある。

だから自分の考えをこうして率直に表現したまでだ。

ーー

憲法は、言論の自由を保証している。

だから何を言ってもよいと、彼らは考えているのだろう。

しかし在日・反日勢力だけが、言論の自由を持つわけではない。

その言論の自由は私にもある。

ーー

自分たちの言論のみが正しく、反論は許さないというのであれば、それはまるで支那・朝鮮ではないか。

もしそのような状況を望むのなら、支那・朝鮮へ行き、共産党員になればよろしい。

ーー

ここは自由、法治、民衆政治が機能している日本国なのだ。

だから、国民の生命、財産、自由を守るために自衛隊が存在している。

東日本大震災を受けて、その翌年、自衛隊が国民を守るための防災訓練をおこなった。

在日・反日勢力は、その訓練を行った自衛官に「反論できないことを知ったうえで」直接非難の声を浴びせた。

それはもう、日本国民を敵に回したということではないか。

彼らの行為には、ひとかけらの正義もありはしない。

ここに私は彼らを「人でなし」だと断言する。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>東北大震災の翌年に行われた自衛隊に対する組織的な罵倒
 是を行った集団は、細かい個人調査などしなくても、彼らは少なくとも、日本人が持つ、「人の道」を持ち合わせて居ない事は明白であろう。 それにしても、マスコミは「言論の自由」を「放埓な言論活動」にしてはいまいか。

放埓と自由の違いは、言論に責任を持って居るかドゥ化だろうが、我々が知る限りにおいてだが、マスコミが自らの言論に瑕疵が生じた場合に全面広告を打つなどして、誤報や書き過ぎを陳謝・訂正する処を見た事が無い。

 特に朝日・毎日・東京の三新聞は、小坪氏が言う、日本の「人の道」すら持って居ない、「人で無し」と言われても仕方が無い記事が多い。 此度何を思ったのか、この三紙が共同で「安倍政治を許さない、国会前大集会」を、4月14日に快哉尾呈して居るそうであるが、安倍政権側にそんな節目になる様なイベントはないので、この三紙側の都合である事は明白である。

 推察するに、紙媒体の新聞は、既に「前世紀遺物」である事が、広く認識されている。 それでも、日本は、世界の新聞紙の消費では、飛び抜けておおいくにである。 読売800万、朝日625万、毎日401万、日経380万、産経350万と、主要5紙だけで、2500万部を毎日発行しているが、是は世界中の他国の新聞数の総計に匹敵するものであるが、日本は更に、各都道府県に2,3紙が存在して、その総数3千万部は下るまいと言う正に、新聞大国なのです。 然し、この紙媒体のメディアが、今、正に終わろうとしているのです。

 新聞紙になる紙の原料は、当然輸入した木材から、或いは現地加工したウッドチップや製紙加工したパルプ・ロールの形で、世界の各地から運ばれてきますから、当然、長期に亘る運送契約と売買契約が必要ですが、この10年間の部数減の傾向は不可逆なものである事は、万人が認める処。 

 当然、今後の見通しを以て、新たな契約の更新に望まねばならないでしょうが、海運や商社には、採算ラインと言うものも有るので、或る数字を切ったら、紙新聞そのモノを止めるか、海外に倣って、別の小売の形にするしかないでしょうね、すると、波高部数は、現在の1/2~1/3にすらなる可能性が有りますね。

 部数の極端な現象の影響は、国内的にも大きく、編集し上がった新聞を、毎朝摺り上げる印刷業者、販売(配達)拠点に届ける国内運送業者、そして、配達する無数小小売業者が連なって居ますので、紙新聞が存在する事で生計を建てて居る人は、千数百万人は居るワケでㇲが、これ等の人々の多くが職を失う事になります。

 新聞社は、これ等の人の生活を支えて行く責任も持って居るのですが、「この記事のエビデンスは?」と訊かれて、「ねーよ、そんなもん。 安倍政治に対する私の憤りを記事にしただけだ」と言い放つ、朝日新聞の女部長。 誰が聞いても、朝日新聞は「客観に基づく、冷静な事実の報道」であるべき新聞とは、真逆のアジびらでしかない事が分ります。 

 では、理性を無くすほど、安倍政権が皇民に酷い政治をやったのか?と言えば、国民には全く共感は無い。 寧ろ、朝日新聞が自ら発して来たフェイクニュースの数々を、未解決・未処理のまま放置して居るから、社説で安倍政権を非難したくても、過去に遺して居る自身の違反実績から、「お前が言うな」と突っ込まれてばかりだから、進退窮まって来たダケの話では無いか。 毎日とて、東京とて、全く同じく犯した過去の失敗を持って居るのだから、「安倍政治を許さない」のではなく、「安倍政治を終わりにする事で、自分達の過去もチャラにしようとして居る」としか思えない。

 自分のした事に責任を取って見せてこそ、「~の自由」というものは認められるのも、日本の社会の古くからの常識です。 決して西洋起源のものでは無い。 

 寧ろ、日本の農村では、人口1割以下の武家階級が、残りの9割の殆どを占める農民を統治する為に、社会の規律を守る事を重大事とする政策を採ったが、戦国時代の無法時代を経験している農民は、是に従った。 

 ですが、江戸時代は地球自体が、小寒冷期に入って居たために、旱魃や寒冷な夏が数十年起きに訪れ、時に凶作が、4~5年続いた事もあって、大きな飢饉が三回発生している。 是に当たり、支配層の武士は、御助け米の供出や年貢の減免等、救済米の他藩からの借り入れ等、皆で飢饉を乗り越えようとする姿勢を示し、農民の信頼を勝ち得て居るのである。

 否、江戸時代に限らず、日本人は数万年に亘り、斯うした厳しい自然条件の中で、皆で手を取り合い、援けあう事でしか、自分達の絶滅を防ぐ術は無い事を知って居る。

 ダカラ、個人の自由に関する考えは、特に厳しく、社会の規律を破るもの、例えば、支配階級の決まりを飛び越え幕府への直接の訴えで有る、直訴を目的とした、百姓一揆(寄り合)を起こした時は、代表者は、譬えその直訴の内容が公共の為だったにせよ、端から一命を持って償うしきたりになって居たのです。 当然、頭を越された直接の支配者は、切腹、御家は断絶の目に遭いましたからね。

 これも日本人が、数万年、培ってきた社会を安寧に保つ上での決まりで、このしきたりを支持しているのが、所謂、「人の道」なのです。 これら個人の自由に対する厳しい視点からすれば、メディアが、一般の国民の支持を得られないのは、寧ろ、当然だろうと思います。 

 ネットの出現に拠る、紙媒体の新聞の凋落は、時代に流れでしょうが、TVの砲の凋落は、TV局自身の新聞報道に頼りすぎた、情報収集方法や政治的偏向が、報道の信頼性を著しく損ない、加えて、娯楽作品もコンテンツのマンネリ化、貧弱化に拠って、視聴率が回復不能な程下がって居るのに、改善する気もなければ、才能も感じないでは、正に自業自得。 放送法を緩和して、海外のTV局も競争に参入させて、或る程度の弊害には、事前淘汰に任せ、活性化しようと言う政府の目論見は正しいと、私は思いますがね。

 政治的偏向に走る余り、或いは、戦後72年間に築いて来た既得権を守らんとするあまり、日本社会伝統の「規律を重要視する考えとその厳しさ」を忘れて、「人の道」を踏み外したマスメディアや政治団体は、滅び、消滅して行くのが。世の倣いというものです。


 

>平成24年9月1日に自衛隊・米軍参加の東京都・目黒区総合防災訓練に反対する実行委によって主ツイされ、65人が動員された、「9.1東京都・目黒区総合防災訓練反対行動」であります。

平成24年9月1日は、政権は民主党の野田佳彦首相の頃で、民主党は同年12月26日まで政権の座にありました。

この時に実施された東京都・目黒区総合防災訓練も参加した自衛隊訓練生20名に対して直接罵声を浴びせたとのことですが、この罵声を浴びせた65名は、災害があって被害を受けたときには自衛隊を初めとするこの訓練に参加した機関に対して、援助を求めるなと言いたいです。

相手が反撃できないことを知った上で攻撃するのは、池に落ちた犬を叩くことであり、このことわざが朝鮮のものであるように、日本人のメンタルにはないものです。

日本人ならば、相手が反撃できない状態のときには、相手が反撃できるように助けるか、少なくとも相手が平常になるまで待ってそれから攻撃をします。
そのことを、正々堂々と勝負するというのです。

最近は、ヘイトスピーチ規制が良い例で、一方に反撃を許さずにもう一方だけが攻撃するという、日本にこれまでなかった規制が出来るようになりました。

ヘイト規制は日本人には何も言わせずに、反日側だけが日本人に攻撃する規制ですから、納得できるものではありません。
この規制は、反日が日本に対してヘイトを言わなくなってから施行するものですが、現状は反日が日本のことを悪し様に言いたいように言いながら、日本人にはこれを規制する自由と平等に反するものでしかないと思います。

私は反日が安倍首相の人形をブルドーザーで踏みつけたことを今でも忘れていませんし、川崎デモにおいて道路上で寝て道路交通法に違反したことも覚えています。
自己の保護を訴えるのなら、その前に日本の法律を守ることが先であると思います。


自衛隊の方はこのような連中の罵声にも、我慢するよう教育されていると思いますが、それでも良く耐えられたと思います。
災害救援活動でしか国民の前に現れない自衛隊ですが、その活動中は温かい給食も与えられないと聞いています。それだけでも、頭が下がります。

総合防災訓練は、毎年各地で開催されているので私も参加したことがあります。
作業服姿の自衛隊の方を見たことがありますけれど、この訓練に参加している機関の方達は、その全てが実際の災害のときに活動されます。

訓練ですから、日頃見かけない機関の場合は展示会のようになりますが、これに協力している機関の訓練を見るだけでも、もし実際に災害が起こった場合には、自分と家族はどうすれば良いかと考える機会になりますから、一度位は参加することを奨めます。


それから、もし日本で70年前のように朝鮮進駐軍のような不法集団が暴れた場合、集団で非難したり対応することにも、防災訓練での住民が協力行動することは、役に立つのかも知れません。
それで、民主党政権のときはこれに力を入れず、最高責任者の総理大臣は訓練に参加をしても、災害のときにはこれを忘れていたのでしょう。

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