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2018年3月10日 (土)

上橋氏とは40年近い付き合いがあるけれども氏の行動の軌跡に関して理解不能のところがあった

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

上橋泉『私の生命の復活』(如月出版)

評者(宮崎)は、インドのプネーという瞑想の町へ行ったことがある。

そこには世界のヨガ経験者が瞑想の修練をする道場がある。

著者はそのような道場を千葉県に作ることを夢見ているのだという。

ーー

上橋氏とは40年近い付き合いがあるけれども氏の行動の軌跡に関して理解不能のところがあった。

ーー

上橋氏は京都大学時代、左翼学生らが学内を我が物としていたときに、彼らの暴力と戦った反共の闘士であった。

その後、外務省に入り、テヘランでは米国大使館人質事件に遭遇した。

ロスの総領事館にも勤務した。

ーー

氏のロス勤務時代に、評者は『二つの山河』を書くために、リトルトーキョーにあったニューオータニに長期滞在していたことがある。

日系アメリカ人を取材するためだった。

当時人気があった、大河ドラマ『二つの祖国』にあやかろうとしたのだ。

この間、上橋氏には、いろいろとお世話になった。

ーー

また拙編著『ウォールストリート・ジャーナルで読む日本』の編集では、上橋氏が仲間に呼びかけて翻訳チームをたちまち組織してくれたこともあった。

退官後、氏は、国会議員の秘書をつとめながら、政界進出の修行をしていた。

そしていまは千葉県柏市議を七期務める現役の政治家である。

学生運動時代のことを語らうとすると、氏は必ず谷口雅春師のことを言われる。

それで、彼が「生長の家」の信者であったことはかろうじて知っていた。

ーー

こうした氏の履歴を語ったのも、氏と宗教を結びつける接点がどこにあったかを確認するためだ。

ところが氏は小さい時から宗教に親しみ、神の実在を信じ、キリストの復活を信じてきたという。

だから評者は目を大きく見開いて本著に挑んだ。

読破するに三日を要したが、なるほど、上橋氏が宗教家でもあることを評者は改めて「発見」したのである。

ーー

三年間、五回にわたって地元でおこなった講演録が本書の中身だ。

しかし単行本数冊をかるく超える豊かさがある。

一回の講演に、半年の準備をなして、宗教の奥義を熱烈に語りつくす。

ーー

とはいえ、評者は、「大世界史は宗教がつくった」という視点から、宗教に大いなる興味を抱いている。

それに対し上橋泉氏は、神々が人間に恩恵を与え続けているという信者の視点から宗教を語る。

ーー

「私は二十歳代の頃から神の臨在を感じることがあった」と上橋氏は語りだす。

「それは神の姿が見えたということではない。人間の内に神の生命を認めることが出来れば、それが神の臨在ということになる」

最初の神の臨在体験は大学でプルーストの『失われた時を求めて』の授業中に起きた。

「プルーストは、人間が超時間的存在であることを子供の時から何度か体験している」

プルーストは、「見出されたとき」に、それらの体験すべてを回想している。

「(その)箇所は『失われた時を求めて』の中で最も難解な箇所とされており、フランス語文法を終えたばかりの私にとって難解であっただけでなく、教師も意味がよくわからないと言った」

「その瞬間、私の心の中に何かが入り込んできて、たちどころにプルーストの体験の意味が、氷が解けるように私の心にしみこんで」きた。

ーー

爾来、氏にとって「人間にとって時間とは何か」というテーマを求める思索の人生が始まったという。

政治と宗教は、日本では信長以来、明確に峻別された。

日本の宗教的風土とは多神教であり、仏教の国家保護と神仏習合という時代を経て、幕末明治の廃仏毀釈という過激な神道原理主義が沸騰した時代もあった。

が、宗教が政治に介入することまれにしかなかった。

ーー

上橋氏いわく、「日本が今日見るような苦境に立たされた原因がはっきり見えてきた」。

「それは経済政策や政治改革の失敗などではない」

「日本人が人間生命の尊厳性を見失ったところに、その原因がある」

「日本の危機は物の危機ではない。精神の危機、魂の危機だからである」

ーー

上橋氏は、まだまだ修行する必要がありそうだ。

政治家が、現実の庶民の生活を豊かにしようとしない限り、選挙民は不幸を嘆き、それこそ宗教に頼らなくてはいけなくなるからだ。

ーー

ただし上橋氏は「廃仏毀釈という仏教排斥への恨み(ルサンチマン)が、戦後日本の仏教界をして反政府的政治運動に帰結された」という意味の指摘は、一面的だが納得できる。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>「私は二十歳代の頃から神の臨在を感じることがあった」と上橋氏は語りだす。「それは神の姿が見えたということではない。人間の内に神の生命を認めることが出来れば、それが神の臨在ということになる」
 この体験は、私にも幼少期からありましたが、そう言う体験を他人に語っても、反応が全く無かったり、見当違いの事を云われたりして、亦、母親が体が弱かった所為もあり、色んな宗教に入って原理を勉強するのが趣味だったので、自然色々な宗教に接して来ました。

 時々、ふとした時に感じる「何か」の正体が、ブッダが出遭ったブラフマンの様な存在なのか、とも思いましたが、別にメッセージは受け取って居ず、時折、気付く感覚ダケのモノでしたから、単に自分の感性だけのモノで、錯覚に近いモノだと思って居ました。 唯、その「何かに護られている」と言う、意識は昔からあって、事実、幼少期から神隠しに遭ったり、何回も落命寸前の処で助けられたりしています。

 この現象について、心底共感・共有する他者を求める欲求は、心の底に潜んで居て、その存在感は歳を経る毎に、顕かなモノになって来た様に感じて居ます。 殊に、丁度1年位前に、感染症から敗血症を起こして死に懸って居たらしいのですが、薬一昼夜半の意識不明から覚めた時に、其れまで障害の様に感じて居たものが全て取り払われ、凄く爽やかな気分になって居た事を覚えて居ます。

 ですからICUの病棟で、女房や弟から「危なかった、死ぬところだった」と言われても、ピンと来なかったのですが、その後、スタートした入院生活で、左耳が失聴している等、如何に体が衰えて居るかを思い知らされて、その時「助けて貰った命なんだなぁ」と、神様に感謝する気持ちとなりました。

 然しこの一年、↑で仰有っている「神の臨在」は、感じて居ません。 私が現在持って居る信仰の神様は、有り難い事に私の目前に御示しされて居て、毎朝夕の開閉幕の際に、ご挨拶をして、手を合わせさせていただいて居るので、神様に時々「一体私は、これから自分の命を何の為に使えばよいのでしょうか?」と、御伺いしていますが、すが、顕かな啓示は頂けていません。 ですから、御沙汰がある迄は、自分で考えて看る事にしています。

 其れは、例えば、私は「成長の家」の信者ではありませんが、
>>それは経済政策や政治改革の失敗などではなく、人間生命の尊厳性を見失い、日本人が古より大切にして来た、人間生命の尊厳性を見失ったところに、その原因があり、真の危機は、生物の危機ではなく、精神の危機、魂の危機にある
 と、上橋氏が、↑の様に喝破しておられるる事を一人でも多くの日本人に周知して、共感を得て行く事に、微力を捧げさせていただく事が、今迄に,志半端にて無念の死遂げられた同志の方々の為になる事であると思って居るのです。

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