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2018年2月24日 (土)

記紀の作者らは、後世の日本人に、日本の原点を知らすことを意図していた

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

ベストセラーとなった本であっても、わずか30年足らずで忘れ去られている。

記紀は、千年という時の選別の中で生き残った。

生き残るには、理由が必ずあるはずです。

ーー

その書物がもし千年以上も読み継がれているとしたら。

多くの人々がそこに、読むに値する価値があると考えたからでありましょう。

それでは、記紀に書かれた「読んで学ぶに値するもの」とは何なのか。

ーー

人が書いたものである以上、書物には書き手の思い、意図が必ずあるはず。

記紀の作者らは、後世の日本人に、日本の原点を知らすことを意図していた。

それが記紀が生き残った理由であると(ねずは)考えているのです。

では、記紀の作者らが後世の人々に伝えようと意図した「日本の原点」とは何でしょうか。

ーー

それは、「日本が天皇のシラス国である」ということが書かれていることに尽きようかと思います。

ーー

日本書紀には天壌無窮の神勅が記されています。

ーー以下wikipediaより抜粋

天孫降臨の段で天照大神(アマテルカミ)が孫の瓊瓊杵尊(ニニギネノミコト)らに下した神勅のことを指す。

天壌無窮の神勅 - 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。

さらに

宝鏡奉斎の神勅 - 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。

斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 - 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。

ーー

瓊瓊杵尊の曾孫・磐余彦(イワレヒコ)が神武天皇として即位して以来、日本は皇孫によってシラされてきた。

そのシラスについて、古事記は漢字で「知」と書き、日本書紀は「治」と書いています。

いずれも読みは「シラス」です。

ーー

つまり、もともと大和言葉にある「シラス」を、単に漢字に置き換えただけですから、漢字が異なるわけです。

そして、大和言葉を漢字で表記する際には、これは当然のことですが、大和言葉の意味と、漢字の意味が等しいもしくは近いということができます。

そうであれば、現代ではすでに死語になっている「シラス」について、漢字の意味や成り立ちから、逆に大和言葉の「シラス」の意味を知ることができる。

ーー

古事記が用いている「知」は、「矢+口」、この場合の「口」は、盃を意味します。

つまり「知」は、矢と盃で成り立っている。

矢と盃は、神棚に供えるものです。

昔は、神棚を造って、そこに供えたのが、矢と盃であったわけです。

そこから「知」という字は、神々の知恵を授かる意であることがわかります。

ーー

古事記には、諸命以(もろもろのみこともちて)とか、修理固成(つくりかためなせ) などの記述が見えます。

神々の命じるままに統治をすることが「シラス」の意味であることが示唆されているのです。

知恵も知識も、神々が私たちに授けてくださったものです。

その神々というのは、私たちの祖先でもあります。

ーー

知恵も知識も、私たちの祖先が悩み苦しみ必死に考え行動したことによって、長い歳月の間に育(はぐく)まれたものに他なりません。

つまり「シラス」は、神々の知恵を授かり、神々の命ずるままに統治するという意味を持つ語であるわけです。

ーー

その「神々の命ずるままに」ということを、別な言い方で、「神の随々(まにまに)」と言います。

これを漢字で書くと「随神」で、その「随神」を大和言葉で「かんながら」と読みます。

そしてその「かんながらの道」のことを「神道」と言うのです。

ーー

神々の知恵を授かるためには、神々と繋がるお役目の人が、ひとりは必要になります。

国であれば、国を代表して神々と直接つながるお役目の人が必要です。

そのお役目をするのが、神々の世から万世一系のご子孫である天皇です。

そしてその天皇は、同じく神々の子らである国民を「おほみたから」とします。

その「おほみたから」たちが、豊かに安心して安全に暮らせるようにする役目を担うのが、政(まつりごと)をする権力です。

当然のことながら、その権力には責任がつきまといます。

ーー

日本においては、責任のない権力など、存在してはならないと考えられてきたのです。

ーー

ですから律令制度における国家の組織図を見ると、政治を司る太政官の他に弾正台(だんじょうだい)と呼ばれる警察機構が置かれています。

これは太政官が所轄する刑部省とは、まったく別な機構です。

刑部省がいまでいう司法警察機能です。

弾正台は、そうではなくて、国家機関の監察機構です。

ーー

現代社会でいうならば、国会・内閣・裁判所の他に、天皇直轄機関として国家三権の監察機構が置かれているようなものです。

ーー

たとえ衆参両院の政治家であっても、外国から金をもらって反日活動をするような不埒な政治家は、弾正台がその監察機能をもって、逮捕し処罰するのです。

弾正を名乗った有名人に、織田弾正忠・平信長がいます。

そうです。織田信長のことです。

信長の織田家は、代々「弾正忠」を自称していました。

つまり、たとえ朝廷であれ、幕府将軍であれ、その職務をまっとうしないならば、それらを堂々と処罰する権限を有する者という自覚が、幼い頃から信長の頭のなかに叩き込まれていたわけです。

ーー

天皇は政治権力を行使することをしません。

神々とつながり、神々の命じるままに、太政大臣や弾正尹、神祇伯などを任命するだけです。

太政大臣は、左右の大臣らとともに、政治に責任をもって国の統治を行います。

ただし、その政治権力は、常に弾正台によって監視されている。

ーー

権力者が自ら責任を取らない場合は、弾正台が、これを逮捕し処罰するのです。

ーー

一方、おほみたからとなっている民は、全員が、神社に帰属しています。

昔は、神社が苗と、非常時の備蓄米の管理をしていたのです。

その神社には、村の全員が、老いも若きも毎月集合し、そこでともに食事をし、村の運営を話し合いました。

だから神社は、村の鎮守様です。

その鎮守様には宮司がおいでになります。

その宮司は、上位の神社から派遣され、宮司は毎月その上位の神社に集合して、村の状況報告などを行います。

そしてその上位の神社は、一宮と呼ばれる、いまでいうなら県庁にあたる神社に集まり、そこでもまた状況報告が行われます。

その状況報告は、中央の朝廷にある神祇官にもたらされます。

神祇官は、天皇の祭祀を補弼(ほひつ)します。

ーー

つまり天皇に最も近い存在です。

要するに、民の現況は、常に天皇の御耳に入る仕組みになっていたわけで、政治が責任ある政治になっているかどうかについての民の思いは、常に朝廷に筒抜けとなっていたわけです。

これが政治に責任を課した我が国独自の統治の仕組みです。

ーー

そして神々にもっとも近い存在である天皇のもとで、こうした統治が行われる国のことを「天皇のシラス国」と呼んだわけです。

ーー

一方、日本書紀は、その「シラス」に、「治」という字を当てています。

「治」は、「水+農機具のスキ(ム)+口」でできています。

つまり、水辺で稲作や畑を営んで、誰もが豊かに安心して安全に食べていかれる国を意味します。

そしてそのような国つくりをしていくことを、国を「をさめる」と呼びました。

これが「治」の訓読みの「おさめる」となって、いまも使われています。

ーー

日本書紀が「しらす」に「治」の字を当てたことには理由があります。

ーー

日本書紀の創生の神々は、  國常立尊(くにのことたちのみこと)  國狭槌尊(くにのさつちのみこと)  豊斟渟尊(とよくむぬのみこと) の三神です。

「くにのことたち」の「とこ」は、床の間の「床(とこ)」で、一段高いところです。

そこに立たれているから「とこたち」です。

ーー

「くにのさつち」の「さ」は神稲、「つち」は土のことです。

つまり国の稲と、それをはぐくむ土のことです。

ーー

「とよくむぬ」の「くむ」は、水を汲むの「汲む」、「ぬ」は低地の沼を意味します。

つまり、水田のことです。

要するに造化三神のお名前は、そのまま国の中心に稲作を置くことを意味しています。

その稲作農家を「おさめ」るのに、日本書紀は水辺で稲作や畑を営んで、誰もが豊かに安心して安全に食べていかれることを意味する「治」の字をあてているのです。

ーー

そしてその読みが「しらす」です。

つまり「しらす」とは、造化三神の御意向を受け、我が国の民が、豊かに安心して安全に食べて暮らしていけるようにしていくことを意味する用語として使われていることがわかります。

ーー

現在の日本では、なんでも好き勝手にできるだけの財力や権力を持つことが豊かさであると思われています。

しかし、豊かさというものは、相対的なものです。

いまでは普通に乗られている乗用車。

これは、かつては、大金持ちでなければ乗れなかった物です。

ーー

つまり、相対的な豊かさよりも、大多数の人々、それは数十世代を遡れば誰もが親戚となるわけですが、その誰もが愛と喜びと幸せと美しさのある人生を送れる。

そして、その喜びを次の世代につなげていくことができるようにしていく。

そんな国造りをするための道具(ツール)として、実は、記紀は存在しているのです。

そのような史書を持っている私たちは、とっても幸せであると思います。

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コメント

>縦椅子さま 本日も更新有難うございます。
>>記紀は日本の神政政治を後世に伝える文書
 我々の祖先が、この風災害や地震、火山の噴火等、絶えず危険な環境に晒されながらも、其れに耐え忍んで、生活に様々な工夫を凝らし、皆で団結して、時間を懸けて一つ一つ乗り越えた事で、巧まずして和の気風が育って居たのだと思います。

 亦、島国ですから、流れ着くのは、物だけでは無く、偶に外来の危険な人もあった筈ですが、難破して難渋している人を余所者として問答無用で攻撃したり、援けずに放って置くと、彼らの生存への欲求から、悪さを働き、争いの元になる事を経験した日本人は、逆に、無条件に難破者に暖かい食べ物と水、そして、ゆっくり眠れる場所を提供したのです。 是が、「客人神(マロウドガミ)」と言う、「おもてなし」の精神にも繋がったのでしょう。

 無駄な争いを避けるには、先ず、相手の身になって考えて、相手の困って居る事を、想像して、してあげる事が、一番大事な事だと知って居る人々の心を、為政者が統治する上で大御宝(オホミタカラ)としたのは、宜なき事でしょう。
  
 そして、その宝を、「利他愛」として称揚している仏教に出遭って聖徳太子は、日本を「仏一途の仏国土」にしたいと願ったのでしょうね。 つまり、仏教が入ってくる以前から日本は、自然と言う神の創り給うた天然の要害上にあり、流れ着く人さえも選別して居たのではないかと言う気がします。日本が海に囲まれた島国であった事、それに、世界の三大潮流の一つである、北赤道海流の支流である黒潮や寒流である親潮の会合場所である事も、大きかったと思います。

 隣のシナでは、2~300年置きに、主として旱魃や飢饉で生存権を侵された内陸のステップ地帯の遊牧民が南下して来て、殺人や略奪行為を働く事を手始めに、終いには大挙して攻めて来て世の中をひっくり返す、を繰り返してきました。此の所為で、現在のシナの実際の民族的な構成者は、純粋に漢民族と言える人は、オソラク1%も居ないでしょう。共産シナ政府が言う「97.5%の漢民族」は、実質15億人は居ると言われている社会を纏める為のプロパガンダに過ぎません。
 
 日本とシナの違いは、地理的には海と陸の違い位しか無いのですが、陸は、侵入者達が自分の意図を以て侵略して来るのに対し、海で難破するものは、本来目的地とは全く違う処に流れ着いて居るワケで、十中八九死ぬ処を、偶然に助けられた事の差になっているワケで、援けられたのに侵略する等、余程の「人で無し」でも無ければ考え着かない事でしょう。 そう言う意味でも、日本は神に護られていると言えると思います。

 記紀は、壬申の乱を制した天武帝に拠って、編纂が命じられた書物ですが。是は、中臣鎌足(後の藤原の鎌足)と、中大兄皇子が、蘇我入鹿を大極殿で殺害した乙巳の変の折、父親の蝦夷が邸に火を放ち、多くの歴史の文献も焼失させた事で、その復興事業として行った事だと記されて居ます。

 ですから、編纂に当たった人達(古事記;稗田阿礼、太安麻呂、日本書紀:舎人親王他)は、焼失した文献に書かれてあった事、私が想像するに、武烈帝を誅し奉った事の経緯や崇神帝が、「欠史八代」を生んだ「倭国大乱」を如何にして鎮めたか、亦、「欠史十代」は、如何なる原因で起こったのか等々、今でもはっきりした経緯が分らないモノがありますが、 そう言う純粋に「歴史的な記録」に拘るのではなく、「この倭の国を、新たなな近代国家として、日本国を建てて行くには、一体何が必要なのか」と考えて編纂されたのだと思いますね。

 天智帝の時、当時の世界の大国唐と新羅の連合軍に負けた事で、国を逸早く立て直し、祖の侵略に耐える国家としなければならない、と言う思いは、天武帝~持統帝~文武帝へと引き継がれて居たと思います。

 この歴史で後世の国家・国民に、自分達が生きた時代の考え方や思想を伝え、不届きな、或いは、恥かしい事象も詳らかに伝える事で、端から厳しい評価も甘受し、以て未来の国難に対する、対策や工夫の参考としてほしい、との意図が感じられる事は、先人の国家観が、現在と比べても全く遜色ないレベルであった事を示していると思います。 歴史を捏造して、混乱に陥っている隣の国とは大違いですね。

>天皇は政治権力を行使することをしません。
>神々とつながり、神々の命じるままに、太政大臣や弾正尹、神祇伯などを任命するだけです。
>太政大臣は、左右の大臣らとともに、政治に責任をもって国の統治を行います。
>ただし、その政治権力は、常に弾正台によって監視されている。

素晴らしい政治の方法だと思います。
統治者は政治を行う者を選定し、為政者はこれの協力者と共に政治を行う。そして、統治者は為政者を監視する。
監視に当たる者は、政治に関わることなく運営が無事に行われることをひたすら祈る。
本当の意味での、民主主義なのだと思います。

村の鎮守における宮司さんの存在が成る程と思える位置にありますし、村の鎮守さんを皆で守ることの意味も分かるものです。
それに、非常時の備えにもつながっています。

都市に生まれましたけれど、昔は所々にお社があったことを思い出しました。


ところで、だいぶ前に宮司さんが亡くなったときのことに、縦椅子様が触れていましたけれど、神官の葬儀と墓地が判りにくかったので神職に聞いてみました。

葬儀は神式があってこれで執り行い、墓地は神職に親しいお寺があって、そこに墓石を建立してお祭りしているとのことでした。

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