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2018年2月21日 (水)

新羅は、まるで新しい羅刹のようであった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

半島の歴史をまとめると、次のようになります。

まず、紀元前37年に、満洲のあたりに高句麗が起こります。

高句麗は、国ではなく馬賊や匪賊の集団でした。

3世紀に支那北方に魏が興ると(あの三国志の魏です)、高句麗は、実態は馬賊匪賊の類ですが、進んで魏に臣属して国家を自称するようになります。

しかし高句麗は魏領に侵入して略奪を行ったため、2度にわたって魏に攻められています。

このとき高句麗は2万の兵を率いて魏軍と対峙するのですが、連戦連敗で、一度目は高句麗の千人が斬首、二度目は三千人が斬首されている。

ーー

4世紀になると、高句麗は半島へ進出をするようになる。

いまの平壌は、昔、楽浪郡と呼ばれ、西晋の郡庁が置かれていました。

高句麗は、西晋が混乱すると、この地を占拠。

これに脅威を感じた百済は、高句麗を攻め高句麗王の首を取っている。

ーー

ついで、即位したのが第19代の好太王で、一時はソウルのあたりまで迫り、百済・新羅を臣従させています。

ところが百済も新羅も、もともと倭国に臣従していた国です。

そこで倭国は5世紀のはじめに、半島に兵を送り、高句麗を撃退して、百済・新羅の領土を保全しています。

ーー

6世紀の終わりに支那に隋が興ると、度々高句麗に軍を送って、臣従を求めるも朝貢しようとしない。

3度の出兵で、隋は疲弊し、わずか37年で同じ鮮卑人が建てた唐に滅ぼされてしまう。

ーー

唐は、平城の南に位置する新羅と手を結び、大軍を送って、高句麗を滅ぼす。

まず百済を滅ぼしますが、実際に戦ったのは唐軍でした。

援軍を送った倭国も、3倍以上もの兵力を持つ唐軍との3年半も戦い、白村江の決戦に敗れ半島から完全撤退します。

勝った唐は、半島内に郡庁を置いて、形式的にも実質的にも、半島を唐の支配下におさめます。

しかし唐軍が引き上げたと見るや、新羅は半島内の唐の行政組織に奇襲攻撃を仕掛け、唐の役人たちを皆殺しにして、半島を完全に手中におさめてしまった。

ーー

つまり「唐が白村江の戦いで倭国に勝利して半島を支配下に置いたけれど、唐軍が吐蕃との戦いのために不在になると、それまで何もしなかった新羅軍が、唐の役人たちを皆殺しにして半島を手中に収めた」のです。

ーー

では、なぜ、唐の役人を皆殺しにした新羅を、唐は放置したのでしょうか。

実はこれには新羅の事情が深く関係しています。

新羅というのは、もともとは倭人の国家でした。

紀元後、支那中原が戦乱に明け暮れるようになると、その中原から、様々な民族が半島に押し寄せています。

たとえば『魏志東夷伝』は、秦・燕・斉・趙の流民が数万口で朝鮮に逃避した」と書いています。

半島南部は、もともと倭人の国で、たいへん豊かであったわけです。

また新羅は、倭人を王に立てることで成立した国でもあります。

高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成し1145年に完成した三国史記は、新羅の王の名を、居西干、次次雄、尼師今、麻立干などと蒙古人を思わせる表記をしている。

(干は蒙古人の王を意味する)

ーー

ところが豊かであった新羅に、粛慎、挹婁、靺鞨、沃沮、濊、濊貊などの諸部族が、次々とやってくる。

しかも朝鮮半島南部で鉄が取れたため、倭人たちは、彼らをその労働力として雇った。

倭人は彼らを養うのですが、やがてそうした人たちのほうが、人口が多くなります。

すると、次第に倭人集団ではなくなり、人を殺してでも自分の利益だけを得ようとする輩が跋扈するようになった。

ーー

もともとこの地での富は、倭人たちが持っていた。

倭人は、みんなの幸せが自分の幸せと考えますから、富を皆に分け与えます。

これに対し、流民たちは、俺の富は俺のもの、お前の富も俺のものという思考です。

気がつけば国が乗っ取られてしまっていた。

ーー

その国では、恥も外聞もなく、我が富だけが求められるようになります。

新羅が唐軍を皆殺しにして、半島を支配して以来、10世紀に高麗によって滅ぼされるまでの200年間で、新羅の国内は、食料生産さえできくなっていた。

倭国にやってきた海賊は、捕らえられると、「すでに国内に食べ物もなく、自分は新羅国王の命で海賊となった」と答えたと記録に残っている。

ーー

半島の権力者は民の生活に責任を持たなかった。

こんな状態で食物が無くなると、権力(武力)をもつものが、持たない者を捕食しだしたのです。

ーー

半島人は、はじめ倭人が国家経営をしていたので、菜食でした。

それが肉食になったのは元支配以降のことだとされているのですが、そうではなく、新羅の圧政で食べるものが亡くなり人肉を食べるようになったからでした。

ーー

郡庁の役人たちを皆殺しにされた唐が、半島に報復しなかった理由も、これで説明がつきます。

食べ物もないような貧困地帯を支配しても得るものは何もなかったからです。

ーー

羅刹(らせつ、人を食う悪鬼)は、地獄の獄卒のことをいいます。

10世紀、延暦寺の僧・源信は、『往生要集』の中で、羅刹を亡者を責める地獄の怪物として描いている。

新羅は、まるで新しい羅刹のようであったのです。

ーー

6〜7世紀までの新羅は、倭人が王を勤める、平和な国だった。

このことは、各種資料が証明しています。

けれど新羅は、倭国を裏切り、唐をも裏切って半島を統一したあたりから、国名は同じでも、その内情は別物に変わってしまった。

ーー

これを古代の話として片付けることはできないと思います。

敗戦を契機に、占領軍に協力することで、敗戦利得者となった在日・反日勢力が、政財界、教育界、言論・メディア、それに法曹界まで支配してしまったからです。

そして彼らは政権の奥深くまで入り込んでいる。

かつて半島では、そうした人達によって、国土は荒れ果て、人々はもはや強盗をする他に、生きるすべがなくなった。

人々は羅刹のようにお互いを食料にした、まさにそこはこの世の地獄であったのです。

平安以来日本の政権が、そのような半島とのかかわりを断っていたのには理由があったということになります。

私たちはいま、皇室にまで入り込んだ彼らによって、とんでもない不幸に誘導される可能性が出てきているのです。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

第二次世界大戦で、日本にはアメリカに精通する、スパイがいたそうな、日本人の振りをした人でしょうか?

激戦地の硫黄島でも、早々投降し居場所を教えたのも、日本人の振りをした人達らしいですね

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