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2018年2月18日 (日)

我々は、死ぬ時が来れば潔く死ぬべきなのだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

渡辺利夫『死生観の時代 超高齢化社会をどう生きるか』(海竜社)

氏は、定期的に、人間ドックに入り、健康に気を配られてきた。

「そうこうするうちに『待てよ』といった気分がふつふつと湧いて」きたのだという。

病気は早期のうちに見つけ治療すれば治るといわれている。

だから「人間ドック」に入って検査してきた。

しかし、もうそれなりの年になれば、早期発見の意味もなくなる。

病気を見つけても治療すると死ぬ確率のほうが高くなっているからだ。

ーー

それで「いったい、こんなこと(健診)になんの意味があるのか」と疑問を抱かれた。

そして「短い人生の重要な時間を、これ(健診)に『浸食』されるというのは『背理』なのでは」と考えるに至った。

ーー

詩人ポリツィアーノはかように詠った。

麗しき青春は、あわれ
とどめることも繰り返すこともできぬ
人よ、愉しみてあれ
(会田雄次訳編集)

ーー

人生とは、生まれ、老い、病いを得、死ぬことだ。

さらには、人と出会い別れ、いろんな出来事に一喜一憂し、不足に悩み、体のあちこちの痛みに苦しむ。

そして老いは肉体と精神を衰えさせる。

ーー

氏は続ける。

「『不安常在』が人生の真実です」

「生の欲望と死の恐怖と、その諸刃の剣(もろはのつるぎ)の上に身を置いて、からくも平衡を保ちながら歩いていく日常が、すなわち人生である」

「不安と恐怖を異物視し、排除しようと努め」ればつとめるほど、「ますます強く不安と恐怖に囚われ、抑鬱と煩悶へとおとしいれら」れる。

もうあとどのくらい生きられるのかなど、くよくよ思い悩むのはやめよう。

我々は、死ぬ時が来れば潔く死ぬべきなのだ。

まさに「いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 黒髪の色 褪せぬ間に」(吉井勇作詩、中山晋平作曲、ゴンドラの唄)である。

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コメント

>縦椅子さま お早うございます、本日も更新有難うございます。
>>不安常在が人生の真実です
 呍、私もそう思います。 ダカラ、人は「賢者の教え」に安心を求めるのでしょう。

 BC5世紀頃、インドのヒマラヤ山脈の麓の小国、釈迦族の王子として生まれたゴータマ・シッダッタも、常にこの不安に苛まれて居たと言います。 然し或る時城外の人々の病や、貧しさや争いから、若しくは災いから、簡単に起こる死と隣り合わせている生活を看て、多かれ少なかれ、人は死の恐怖と日々戦いながら、生きて居る、自分は、単に貧しさから遠ざけられて居るダケだ、と気づきます。

 後にブッダとなるこの若者は、「自分は王子だから、特別な人間なのだ」とは、余り考えず、却って、「王たる使命・責任」に着いて考えます。 結果「人間に与えられた生は、人間に病貧争災を齎し、人間を苦しめるが、是を取り去る為、或いは少しでも和らげる為に私は存在しているのだ」と言う、考えに至ります。 

 然し、王宮の周りの人間を見て居ると利己的な考え方が主で、自身も自身の地位や王宮の平和を護る為に、利己的にならざるを得ない事を悟ります。 その後周りで起こる悲劇や慶事を看るに其処に顕在している人々の内面の苦しみ「=不安や恐怖」に対してさえ、何も出来ないもどかしさを感じ始め、遂に、29歳の時、王宮を出て、出家して終います。

 修行約10年にして、シッダッタは悟りを開き、夢に現れたブラフマン「=梵神」に、「貴方が、今、貴方が開いた悟りを、世界の人に広めなさい」と諭されますが、シダッタは「人は他からの教えダケでは悟れない、自分で気付く事が唯一の途なのだ、万人が私と同じ体験など出来るわけが無いのだから、私がそれをしても無意味ではないか」と断りますが、ブラフマンは消えて終い、シッダッタの修行の旅は続きます。

 宮崎先生のお歳は70近辺だと、推察しますが、先生がお感じになられた、「人は死ぬべき時には、躊躇いなく死ぬべきである」と言うご意見に賛成です。然し、私は昨年、医者曰く「感染症から敗血症を起こして、寸での処で助かった」そうで、斯うして生き永らえていますが、昏睡から覚めた直後に、其の経緯を聞かされて思ったのは、「本当は死んでいたのに、キット、この世に未だやり残した仕事があるから、生かされたのだ」という事でした。

 つまり、死ぬ事は生命有るモノの宿命、自然現象なので、其れをジタバタせず受け容れる心も大事だが、他律的に生かされているのではないかと自覚する事も人生にはある、と言う事です。 でもいずれは死ぬのですから、生かされている理由を考えるのが、それからの私の毎日になっているのですが、モゥ直ぐ一年が来ますが、未だ分りませんw

 シッダッタが生きた時代の様に、人々が顕在する自然の脅威の中で、生き物として苦しみ、死んでゆく中で、自分の命を次の世代に伝えようとする、自分の身を犠牲にしてまでも、次の世代の命を護ろうとする行動が、自然な欲求によって為されていると言う事を感じ取って利他愛こそ神が定めし正しい愛なのだ、と気付く事が出来れば、私も、一介の行者となり、一人でも多くの他をその苦しみから、救済するべきなのでしょう。 それは、神が人類に御与えになられた使命なのかもしれません。

 20世紀にノーベル賞学者のドイツのローレンツが興した「動物行動学」の結論では、「生物の種の存在を護ろうとする行動は遺伝子に記憶されていて、生物の本能に直接影響する」と言って居ますから、利他愛に見える「種の保存」行動も、神が仕組まれた技である事が分りつつありますね。

 我々が与えられた環境を通して、真に気付くべき事は、ブッダが言うように、「人間は自然にとって特別な存在では無い、自然の一部なのだ」と言う事です。 

 そして同時に、地球は宇宙の中でも、近日点と遠日点の差が、公転直径の0.25%=500万㌔の真円率97.5%の奇跡的に真円に近い公転軌道を取っており、此の軌道がもう0,05%くるえば、地球上の生物は存在できないと言われて居ますし、亦、公転面に対し、23,4度と言う、絶妙な角度を取って居る為に、大気循環がスムーズに行われていると言う、生物を生かし育む為に、恣意的に設定されたのではないかと思われる状態にあるのです。 

 ですから、我々人類が「当たり前」と感じて居る事は、実は複数の奇跡に拠って、もたらされている事が、科学の発達に拠って、分り始めて居るのです。 つまり、我々生物は、科学的に見ても、その奇跡に拠って生かされているのです。

 亦、モゥ一つの大きな疑問、「人は死んだらどこへ行くのか?」と言う事ですが、ブッダは、「宇宙の生命体と言う次元を超越した世界にあるモノに、吸収されて、其処で魂が混ざりあって、一体化する」と述べて居ます。

 「霊魂と言うものが、有るのか、無いのか」と言えば、「有る」と思います、其れは実感でそう思うのですが、実際に死ぬ直前・直後の体重を測ると、数十グラム減少している事が、複数の団体で試行されて確認されて居ます。 霊魂には重さがあると言う事ですね。 人間の体では、松果体と呼ばれる脳の真ん中に、生きて居る時は常在しているが、不安定な人も居るとの事。 然し体から抜け出せば、次元が違って来るので、捕まえたりは出来無いモノと言われて居ます。

 この辺りは、未だ科学的には、納得できる証明が出来て居ませんから、信じる他は無いことです。 然し、人間も死ねば、ゴミ同然であると言う考えよりも、霊魂があって、肉体は死んでも、霊魂の状態で我々を見守ってくれていると考える事の方が、人間として納得が行きますね。


 

人は生きることに執着するのか、あるがままに生きるのかは、そんなに分かるものではなく、死に直面したときに分かるものだと思います。

死に直面することは、病と言うこともあれば、事故と言うこともありまして、いずれも自分が望むものではありませんが、それなりにあるものだと思います。
車を運転していれば、ヒヤッとすることは毎日と言えば多すぎますが、しぬかな?と言うことはたまにあるものですけれど、これは自分の責任と言うことになりますが、それ以外に仕事で一度だけ覚悟したことはありました。

これはガス漏れで、こちらが覚悟する位の状況だと思って下さい。
上司は、爆発したら原因調査が大変だなと言いましたから、私は自分が原因調査をすることはありません。と、返しました。
その時思ったことは、これで爆発したらどれだけの被害がでるか判らないけれど、自分(達)が無傷で住民に被害が出ては申し訳ないと思っただけです。

因みに、仲間に慌てて逃げる者は一人もいず、その場で出来ることをしていたのですが、これが朝鮮人だったら陸上であってもセウォル号になったと思います。
(事故は、幸いにして無事に収束しまして、被害はゼロでした。)


人はいつしぬか判りません。

>人生とは、生まれ、老い、病いを得、死ぬことだ。

その通りですね。
他人に出来るだけ迷惑を、掛けないようにしたいと思います。
ただ、痛いのは嫌ですから、その時はあっさりとお願いしたいものです。

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