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2018年2月13日 (火)

そしてロシアの独裁者に上り詰めたのだった

ーー以下「黒木頼景ブログ」より抜粋編集

20世紀の極悪人と言えばスターリンである。

ユダヤ人や西歐人はヒトラーを悪人の代名詞にするが、本当の悪人はこのロシアの独裁者だ。

ユダヤ人の虐殺数も、スターリンの方がヒトラーのそれをはるかに上回る。

スターリンは、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた。

その奸智(悪知恵)は“超一流”としか言い様がない。

ーー

スターリンの甘言によって、チャーチルは、勝者であるにも関わらず、大英帝国を没落させた。

トルーマンも、ソ連の東歐征服を見て見ぬふりをし、結果的にソ連を助けるようなことをしたのだった。

ーー

西側の指導者らを手玉に取って、スターリンは、世界戦2で“最大の果実”をもぎ取った。

ーー

スターリン(本名ヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリ)は、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町に、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。

1879年は明治12年であり、大正天皇がお生まれになった年でもある。

スターリンはやがて泣く子も黙る人殺しになるのだが、少年時代の彼からは後年の姿は想像できなかった。

ーー

幼い頃、「ソソ」と呼ばれ、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。

ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになった。

彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせた。

ソソは合格し、しかも優秀な成績であったため月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得ている。

つまり、とても優秀な生徒であった。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年)

ーー

記憶力抜群だったソソは、たちまち学級で一番の優等生になった。

地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の未来であった。

ソソは民族意識に目覚め、祖国解放(共産主義国にする)の気概に満ちたこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えた。

そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いた。

こうした野望に燃えた少年が聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示したのはロシア政府から禁じられていた書物であった。

彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだ。

ーー

バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通している。

こうして、禁書を読むことで革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いていく。

やがて彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『闘争(ブルゾーラ)』という名前をつけ、自らその指導者になった。

メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだ。

ーー

スターリンは神学生であったが、「憎い圧制者を容赦無く打倒せ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」という標語(スローガン)を掲げた。

「陰謀」と「暴力」は彼の十八番、やがて破壊活動や工場封鎖(ストライキ)に参加して、官憲に追われる。

逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っている。

そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。

(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い)

ーー

チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位に昇りつめる。

彼の才能は犯罪で開花する。

ある日、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると考えた。

そうすればグルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語の党の広報誌(パンフレット)が作成できる。

彼は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。

ーー

すると、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されたとの報道があった。

そして、コバのところに秘密印刷所が出来たのだった(上掲書 p.28)。

ーー

コバは、脱走の名人でもあった。

官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアの「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。

だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出する。

しかもクリスマス・イヴに脱走を図ったのだ。

なぜなら、その夜は、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。

それにしても、幼少のころ病弱だったスターリンはいつの間にか強靱な肉体を得ていたことになる。

安全地帯のマカーロフ村まで、極寒の中、気が遠くなるほどの道のり32㎞(20マイル)を歩いて助かっている。

ーー

スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺(しび)れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったという。

(何度も助かっているのは、スターリンがロシア内務省が革命勢力のもとに放った工作員だったからだといわれている)

ーー

当時ボリシェビキは活動資金に困っていた。

レーニンの腹心レオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案する。

この「解決策」の実行をまかされたのがコバだった。

というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。

ーー

要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いてチフリスへ派遣されることになった。

大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に目を付けた。

掠奪行為はある早朝に実行された。

武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪した。

ところが、掠奪したお札が全部、高額の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号であった。

当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣を使えばすぐに足がつく。

ーー

コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。

しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。

警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかった。

コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。

しかし、誰かの密告により捕まって、ロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られる。

ところが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走。

ーー

つまり、スターリンは根っからの犯罪者なのである。

ーー

バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。

大部分の指導者が警察に逮捕され、党の運営資金も底をついていた。

しかし、スターリンには心強い、強盗犯や前科者といった仲間がいた。

スターリンは、商店主や銀行家、実業者などのリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだ。

しかし、この「お願い」を拒んだものに対しては、「お礼参り」をした。

つまり、「階級の敵」として、容赦なく破壊したのだった。

ーー

銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。

売春宿の経営だ。

彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。

スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得した。

やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。

女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡した(上掲書 p.45)。

コバが、店の常連客になっていたことは言うまでもない。

ーー

“抜かりの無い”コバは、上納金の一部をピンハネしていた。

この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。

革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。

帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。

ーー

レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難した。

レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢した。

なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。

しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。

こうした改善を施してやったとコバは主張したのだった。

ーー

まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。

ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとした。

するとスターリンは、「首を突っ込むと、お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅した。

それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかった。

ーー

ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。

しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束した。

コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたのだった。

ーー

その代わり、彼は別の資金源を開拓した。

街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたのだ。

この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納した。

スターリンは、こうして、お金に困れば“自力”で工面したのだ。

ーー

レーニンは、革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼っている。

ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛けた。

ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。

ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。

この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。

(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい)

ーー

本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。

ーー

ヤコブ・シフから日露戦争の軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。

シフは、ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはなかったのだ。

たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしては満足だっただろう。

ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品だったのである。

ーー

スターリンは、資金が無ければ強盗になり、売春婦を使って小銭を稼ぐことまでした。

そんなスターリンにとっては殺人など朝飯前だった。

実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができた。

鮮血で濡れた手を見ても驚かず、かえって喜びを感じるような人物だったのだ。

ーー

スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。

このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺し、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥した。

自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にした。

そしてロシアの独裁者(君主)に上り詰めたのだった。

ーー

『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネは、まさに、ヨシフ・スターリンを小物にしたようなものだといえよう。  

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コメント

>西側の指導者らを手玉に取って、スターリンは、世界戦2で“最大の果実”をもぎ取った。

スターリンは第2次世界大戦で、唯一儲けたソ連の指導者だと思います。
常識で言えば、ソ連の対ドイツ船における被害は2,000万人とも、5,000万人とも言われますから大変な国民の犠牲の上に成り立った戦勝国だったわけですから、儲けたとの表現には批判があると思いますが、スターリンにとって、そんな被害は蚊に刺されたと同じ程度の痛みであったと思うからです。

戦争に勝つために米英は、ソ連に多大の武器供与をしましたが、戦後にその武器費は踏み倒していますし、それ以上に東ヨーロッパを支配下に置きましたから、ソ連は儲けたとしか言いようがありません。

また、ソ連は終戦間際に、満州や千島列島に日ソ中立条約を破って侵入しました。
日本軍が占守島でこれの先頭で食い止めたと言っても、ソ連の無法の前ではどうにもならなかったのです。食い止めた部隊も、終戦命令に応じた部隊も全てがシベリヤ抑留の対象で、政府の公表では66万人が別の資料では200万人の日本人が被害者となって、死亡者は6万人以上と言われていますが、実際のところはシベリヤへ連れて行かれるまでに、処分されていますから分からないと思います。

また、スターリンは売春婦の管理をしていたと記述されていましたが、これで満州に侵入したソ連軍が、日本女性に対して性奴隷にしたことの一端が理解できました。

米英やドイツの軍隊が兵士の性欲を満たすために、管理売春を行っていたのに対して、ソ連軍は日本だけで無くドイツでも女性を見境無く乱暴したのですが、これがロシア人の特性なのだと思います、

ロシア人を信用しては危険だと思いますが、これは今も同じであるだけで無く、未来もそうなのだと思います。


それから、スターリンが信用できないのと同じで、毛沢東も似たようなものです。
蒋介石を西安事件で拉致した後は、国民党軍は八路軍の言いなりで、日本との戦闘に国民党軍は消耗し、八路軍は温存されました。
その結果、ソ連が満州に侵入した後、国民党軍とは智路軍の戦いになった頃には、国民党は負け続けたと思います。

>縦椅子さま お早うございます、本日も更新有難うございます。
>>スターリン伝
 此の人物が、ヒトラーとは比べ物にならない位の悪魔的所業を犯して居る事は、広く世に知られているのに、未だに崇敬する人々が居るのは、広宣と言うものの威力を感じぜずにはいられません。この人物と虐殺王として並び称される毛沢東も、スターリンと同じく崇敬の対象ですが、両人とも直接間接に殺害した人間の数は、分って居るダケでも数千万、それも、1億に届こうかと言う数字なのに、評価が「建国の父」なのですから、呆れ果てる他はありませんね。

 20世紀の初頭、共産主義は中世末期の18世紀の世を背景に考案された唯の理論であり、未だ政体として採用されて社会実験された事のない代物でした。 そして、その理論の前提となる、成熟した資本主義社会を経ても居ないのに適用し、皆に「これぞ理想の政体である」と吹き込んだのです。是は、「共産主義で理想社会を創ろう」と言う様に聞こえますが、全く実績が無いものを然もあるかの様に、言論や理屈を以て言いくるめ、最後は強制するのでは、宗教以下の政治的プロパガンダであった、と言えましょう。 彼らは二人とも、詐欺師・殺人鬼そのモノであったと言う評価が、一番当を得て居ると思います。

 そして共産主義は米英仏蘭と言った当時の文明国家群を初めとして、ロシア、ドイツ、南米、中南米、中東、南アジア、中央アジアと次々に広がり、20世紀の伝染病の様な様相を呈する様になったのですが、共産主義が必然となる筈の資本主義文明国家で受け容れられたのは、最初だけで、この主義に熱狂したのは、寧ろ、資本主義社会を経験できず、専制政治の悪政下で、縁無き差別と弾圧と収奪に喘いで、希望の無い毎日を送っていた農民達だった。

 我日本でも、農民や下層労働者が一時的に共産主義に走しった様に謂われて居ますが、実際は、大きな労働争議は数える程しか無く、暴動に至ったものも無いのが史実です。 大げさに伝えられているのは、当時のインテリと呼ばれる人々や共産主義者が惹き起こした「大逆事件」を初めとする、数多の日本の政体を転覆瀬しようとするテロ事件に対して、政府が徹底した厳罰主義で対応したからです。 

 是は、当時の日本は政体が、分類からすれば王政であったとはいえ、ロシアやシナと言った中世然とした専制社会ではありませんでした。マルクスの理論に従えば搾取収奪されている筈の大衆も、収奪して居る筈の支配階級も等しく貧しい格差の少ない社会で、農民達は、貧しい乍らも安定した生活を投げ捨てて迄、世の中を変えなければならないと言う社会に対する絶望感も、或いは、2600年近くも続けて来た国を無理に変えて、未知の政体を選択する程には、社会統治者に対する不信も大きくなく、却って、お上に対する敬慕の方が大きかったと言うべきでしたし、日本の大衆は、客観的で冷静であった言う事でしょう。

 処が世界では、ドイツの様に欧州一の古い歴史を持ち、神聖ローマ帝国と言う千年王国を支えて来た実績を持つ国が共産主義に容易く侵されて終います。 第一次世界大戦は、時代遅れの中世の専制主義「=領土拡張で利益を図る」其のままに、欧州再統一「=第三帝国建設」に失敗したに過ぎません。 是は為政者が、周りの状況を認識出来て居なかったのが主たる原因でしょう。 共産主義とは関係がない事象ですが、是でドイツの「周りが見えない独断専行」の欠点が浮かび上がって居ます。

 亦、米国の様に、その実態はその多くの出自が欧州の下層農民である様な国ですから、端から共産主義に共感し易い国民であったと言えましょう。 ダカラ、殊更に「自由の国、アメリカンドリーム」と、物質主義を掲げる一方で、中世欧州並みに、宗教的な桎梏を国民に与えたのでしょう。 

 然し、マルクスが予言した通り、資本主義は成熟すると行き詰まり共産主義的な政策で打開しようとしますが、自由主義経済と並行では、余計に傷口を広げると言う愚行を繰り返す事になって、最終的には、経済を立て直す為に戦争をして経済を極限まで活性化すると言う賭けに出る「=禁じ手を使い」他は無くなり、日本を姦策に陥れて「不意討ち」を演出し、国民を騙した事で、第二次世界大戦に参戦する事に成功しました。

 米国の物量にモノを言わせた作戦が、見事に成功をおさめ、日本にもドイツにも勝利を修めますが、然し、もし米国の参戦がなければドイツと日本が、東西で戦争を勝ち抜いて、戦後に世界を牛耳る大国になり、敗戦でソ連の共産主義体制が長続きせず、どちらかの国に飲み込まれて居たかもしれない。然し米国はドイツと結んで何れ大国になったでしょう。

 今も隠然たる力を持つ米国のエスタブリッシュメント達が、米西戦争以来描いて来た世界覇権の夢を実現する為に、譬え、米国が第二次世界大戦に参戦して居なかったとしても、米国中枢部に浸透していた共産主義勢力や旧ソ連の革命分子と謀って、反ファシストの旗頭の下に集結。 ナチス・ドイツを打倒して、共産主義国家を創って居たかもしれません。 そして、その戦場は又しても欧州と言う事になり、欧州は間違いなく荒廃します。

 然し結局、共産主義を政体とする国家では、言論は統制され、産業の自由な競争も起らず、家族は離散し、国民は相互に見張り合う様な、社会になって終う事が、東欧の全ての国で起こって居ました。 当のソ連も、独裁政党である共産党、或いは社会党の政治に携わる人間が特権階級になり、社会を牛耳る様になったので、革命で打倒した筈の専制政治下と同じ、或いは、全体主義国家と言う悪夢が再現されて終ったのです。 其処に気付いたゴルバチョフやエリツインは、ソ連を解体して、共産党の独裁状態を破壊します。 もし、米国が、ナチス・ドイツを倒して、共産国を創立していたとしても、何れ崩壊して居たでしょうね。

 一方で、ソ連のスターリンに倣って国を創ったシナ共産党は、前世紀の末期に市場開放政策/体制を築き、日本の指導や、日本、・米国・欧州の資本投下で、13億人の労働力を売り物に、世界の下請け工場として、世界経済に食い込み、日本を抜き去って経済世界二位の座に就いて居ます。 しかし、社会の中身は中世と変わらぬ賄賂漬けで、国の指導層が、国家の信用を二の次にして、国富を盗んで私腹を肥やして居る状況なので、長続きはしないでしょう。

 この様に、共産主義は、どの様な、措置を採っても、修正を行っても、最終的には、人民を縛り上げる全体主義にしか到達しないと言う結論が出て終って居るのです。 共産主義は、人類に取って、良心を麻痺させて、人を狂わせる毒薬でしかありません。 戦前日本が制定した、「共産主義禁止法」とも言うべき、「治安維持法」は、蓋し正しかったと思います。

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