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2018年2月 8日 (木)

もしかすると日本は、後者を実現するために、世界でただ一国、この20年の経済をマイナス成長させたのかもしれません

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

昔は、お寺の門前には、たいてい飴(あめ)屋さんがありました。

飴を買うのがお寺参りの楽しみの一つとなっていたのです。

日が暮れて、飴屋の店主が店じまいをしているときに、とてもやつれた女性が飴を買いに来たのです。

当時、飴は1個一文(もん)でした。

ーー

それからは毎日、日暮れとともにその女性が現れ、一文で飴を買って大事そうに持って帰る。

6日目に、女性は、「これが最後です」 と言うと、心残りがある様子で、一文銭を置いて店を出て行きました。

ーー

店主は、不審に思い、こっそりと女性の後をつけました。

女性はお寺の境内を抜け、墓地に入って行く。

そして新しい墓標のある墓の前でふっと消えた。

「これはなにかあるに違いない」

そう思った店主は、翌朝、寺の住職や役人に立ち会ってもらって、その墓を掘り返した。

ーー

昔は桶(棺桶)の中に遺体を安置したのです。

桶(おけ)を掘り起こし、ふたを開けその中の遺体を見ると、男の赤ん坊が遺体に抱かれた姿で、飴をしゃぶっていました。

亡くなったのは妊婦で、埋葬後に赤ん坊を産んだようでした。

若い母親が赤ん坊を生かすために幽霊となり飴を買ってきては、出ない乳の代わりに飴を与えていた。

ーー

当時、遺体を埋葬するとき、三途の川の渡り賃として六文が入れられていた。

みるとその六文は無くなっていました。

本当に「これが最後」だったことになります。

ーー

このお話は、小泉八雲の「怪談」で紹介されている「飴を買う幽霊」というお話です。

小泉八雲は、1894(明治27)年に、熊本で「極東の将来」と題する講演で、次のように述べています。

ーー以下要約。

諸君は動物学で、絶滅した動物について読んだことがあるであろう。

かつて、敵を恐れる必要がないほど強く、また暑さ・寒さ・干ばつなどによって滅ぼされることのないほど恵まれた、驚くべき動物がこの地球上に存在した。

そんな彼らにも絶滅する機会が訪れたのです。

人間もそんな動物と同じような運命を辿るでありましょう。

ーー

生活費が余りにも高いというだけの理由で、滅亡する民族が出てくる可能性がある。

私は日本の貧困は強みであると考えています。

裕福は将来、絶滅の原因になりうるからです。

日本が古来からの、簡素で、節度ある、誠実な生活方法を捨てなければ、強いまま生き残れるはずです。

将来、日本が偉大な国になるかどうかは、生活での無用な贅沢と浪費を嫌悪する心を、いかにして持ち続けるかどうかにかかっていると申し上げたい。 

ーーと。

日本は、1995年に経済がマイナス成長になりました。

以来20年「出口の見えない不況」と言われています。

ーー

豊かさには二通りあるように思います。

愛を失った豊かさと、
愛を根本とした豊かさです。

もしかすると日本は、後者を実現するために、世界でただ一国、この20年の経済をマイナス成長させたのかもしれません。

ーー

どんなに頑張っても出口の見えない不況。

それはまるで、公家や武士たちの誰もが平和な社会を願いながら、戦乱の時代を迎えた平安末期から鎌倉初期の時代にも似ています。

あのときには、その後に元寇がありました。

日本は、この戦乱の時代を経験したことで、元と高麗の大軍を押し返すことができたのです。

ーー

「飴を買う幽霊」は、かつての日本の母子の愛を描いた短編です。

自分が死のうとも我が子をいつくしむ心を忘れない。

この話の中には、日本人の有り方が描かれていると思います。

今日本人に求められているのは、そんな日本の心を取り戻すことであります。

20年来の不況は、それを取り戻すための、神のご意思かもしれないのです。

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コメント

>縦椅子さま 本日も更新有難うございます。
>>日本の伝統の親子愛
 日本人の愛情の基本は、家族愛だと思いますし、その亦基本は、親子愛なのだと同意します。 愛情を及ぼす範囲は、シナの氏族、朝鮮の個人と、民族に拠って違いますが、其れは、その民族が歩んできた歴史や環境に因るものが大きいでしょうね。

 例えば日本では、氏族で纏まろうとするのは士族の特徴でありましたが、是は、戦と言う非常事態を想定する時、直ぐに纏まった人数を揃え易いと言うメリットと論功行賞を頂く場合、優れた働きをしたモノが、属している一族も恩恵を受けると言う、システムがあったからでしょう。一方農民は、村単位、地域単位で纏まらねば、新田開発や、大規模な防災工事や災害復旧には、他の地域との相互の利害調整や協力が必須になって来ますので、より大きな集団の和を必要として居たと思います。 

 この社会の2重構造は、士農工商と言う身分(職分)制度に拠って、お互い「別次元の話」として認識されて居ましたが、身分は違えど、同じ地域に棲んで居るのですから、お互いを知る必要がありました。 身分さを超えて共感されるモノと言えば、愛の最小単位の一つである親子愛で有ったのではなかろうか。

 嘗ての日本は、「世界一子供を愛おしむ民族」と言う評価を受けて居ました。 今でも、子供に対する愛情の濃さは普遍的であり、教育は親が子に与えられる最大の財産であると認識されていると言って良いと思います。

 斯くして、現代日本では、教育熱が盛んになり、おまけに、公企業や大社会が、大卒を必須とする様になったから、猫も杓子も大学を目指す様になり、大学に入る為に、或いは、一家の稼ぎ手である父親の仕事の都合より子供の教育を優先して、家族が同居を止める等、本末転倒の事象が、最近まで普通に起こって居ました。

 その結果、最近の社会では、「家族」と言う単位が、社会の基本では無くなる位、希薄となって、「子殺し」「躾と称する虐待」「子供に対する虐め」を原因とする刑事事件が頻発している様です。 最早、「子供を世界一愛おしむ民族」とは言えないでしょう。 都会でこの傾向が強いのは、都会の生活が物質的過ぎる事もあるでしょうが、非日本人が関係している場合も多いので派内でしょうか。

 嘗て、米国人のドライな親子関係を言い表すのに、「ある時期が来ると、息子は親父のライバルになる」と言う事象が、丸で「進んだ国の模範」の様に語られて居ましたが、今考えれば、噴飯ものです。 米国の心理的な問題を抱えた犯罪者の多くは、幼児期に父親から、男女を問わず、性的暴力を受けて居る事が判明して居ますが、日本で、この事実が公開されたのは、ほんの最近の事です。

 日本では90年代の前半に、資産バブルが破裂して、国内市場が逼塞し始めました。 すると、日本の企業は国内を脱出して、海外に進出、殊に、親日的な東南アジア、南アジアを中心に、端に安価な労働力を用いて原価を下げるダケで無く、逆に、現地労働者のスキルを向上させると共に給与も上げる事で、国内に購買力の在る中産階級を創りだし、以て新たな市場を創生したのです。

 この手法は、日本が戦前から新たな国土となった地域などでやって居た手法で、嘗て西洋列強がアジア・アフリカでやった、帝国主義=植民地主義とは、統治者としては同じだが。前者の「収奪統治」とは、全く異なった中身の「育てる統治」でした。

 それが故に、ASEANと呼ばれるこの地域の人口は、長らく低迷して居ましたが、この20年で全て増加に転じ、インドは10億を超えて、やがて、シナを抜き去る勢い、インドシナ2億5千万、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンが各1億、その他のシンガポール、ブルネイや台湾を併せれば、既に、8億人、インドを加えれば、既に19億を超そうと言う勢いです。

 然も、その国々には、購買力を持つ若い年齢層の中産階級が多くを占めて居るのですから、20億人突破は確実です。 其れに比して、米国の人口は3億、欧州はEU全体で6億人の市場ですから、将来性と言う意味では、ASEANに敵う市場はありますまい。 シナ・韓国・日本を入れれば、世界の半分の人口が犇めく大消費圏がアジアに誕生する事が確実になって来たのです。

 そして更に、日本は世界中から貧困者を無くすつもりかの様に、海水の真水化事業、砂漠の緑化事業、農業の近代化事業を南アジアやアフリカで展開し、砂漠化に向かって居た土地を再生する努力を地元民と一緒にやって居ます。

 この推進力の源になっているのは、日本伝統の家族愛であり親子愛であると思います。日本人は、斯うして世界に、人間が最も理解し易い親子愛の示し方を広め、近代社会に如何に順応して、教育に拠り自らの能力を高め、其処から生み出す独創的な工夫や公共の為の挺身が、子孫の為になって、社会全体が貧困から抜け出す事こそ、社会から争いを無くす術である事を多くの人が知りました。 

 そういう、世界二日本の「和」が広がる時代が、モゥ直ぐ来ると私は確信して居ます。

ある人が言ってたが、民団、総連、韓国、北朝鮮て皆同じて、

>どんなに頑張っても出口の見えない不況。

出口の見えない不況というのは、その中で頑張っている人はただただ必死にやっているしかない。

公務員というのは、この感覚が異質なのかも知れませんが、好景気(例えばバブル時代)の方が寂しかった気がします。民間企業にお勤めの方は景気が良く収入も反映していたと思いますが、公務員はこの時には余り関係がないのです。景気に天井が見えてきたときに、やっと公務員にも好景気の影響が出てきたような感覚です。

そして好景気が終焉を迎え、不況が到来したとき公務員は、給与にその影響が未だ出ていません。不況が長引きますと、さしもの公務員にも影響が出てくるような感覚です。

そう、公務員は不況に強く、好景気に弱い業種だと言っても、差し支えありません。その代わりに、好景気の時には誰も公務員に見向きしません。


>豊かさには二通りあるように思います。
愛を失った豊かさと、
愛を根本とした豊かさです。

親が子に示す愛を考えますとその時に応じた愛を示し、それに豊かさが付随するように思います。
豊かさのない愛が尊ばれるような気もしますが、親ならば少しでも子供を豊かに育てたいと思うし、そのために一生懸命に働くだろうと思うのです。

ただ、親の環境によって、努力しても得られる豊かさに、差のあることも事実です。
その差は受け入れ、その上で親も子も努力して、次世代の子供がよりよい環境で生きていけるように頑張るしかないと思います。

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