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2018年2月25日 (日)

これから、記紀それぞれの作者の意図を把握し、それを謙虚に学ぶということが大切だと言えるでありましょう

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

歴史というのは、遺物、遺構、文字による記録(史料)などの証拠に基いて、過去にあった出来事をできるだけ合理的に説明しようとするものです。

歴史とは、遺物、遺構、史料などの証拠をつなぐ物語(Story)です。

その物語には、歴史を書いた作者の意図が含まれる。

ーー

日本は今、支那・朝鮮から歴史戦を仕掛けられています。

支那・朝鮮では、権力者が自分に都合の良いように物語(歴史)を作ってきました。

(historyには彼(権力者)の物語の意がある)

そこには遺物、遺構、史料などの根拠が何もない。

ーー

それでは自国の人民を騙すことはできても日本や西洋の人々は騙せない。

それで例えば朝日新聞に記事を捏造させ報道させる、そしてその記事を根拠に「歴史」を捏造してきたのです。

しかし、ネット環境ができて、既成メディアを批判的にみる人たちが、情報発信しだすと、根拠のある情報だけが残るようになった。

そして根拠のない支那・朝鮮情報については、政治宣伝として、排除されるようになったのです。

ーー

しかし事実には、様々な側面があるのです。

どの方向から見るかで、捉え方も異なってきます。

また、記録というものには、「本当は、おそめさんが下手人だけれど、その事情を考えれば彼女を処罰するのは忍びないので、事故死だったことにしておこう」みたいなことが起こります。

つまり文書による記録が事実であるとも限らないのです。

ーー

ですからある武将が死んだと書いてあるが、実際にはこの世からいなくなったのではなくて、実は出家しただけであるとの記載も、これまたよくあるのです。

では、亡くなったことが真実なのか、出家したことが真実なのか。

つまり真実は当事者以外には、わからないことのほうが多い。

ーー

このように比較的近い戦国時代でもわからない。

まして、古事記や日本書紀の神語(カムガタリ)については、もしかしたらそこに書かれていることは、そもそもこの世の出来事ではないのかもしれないのです。

ひょっとすると、我々が住む世界とは、まったく異なる世界の物語かもしれない。

ーー

江戸時代に考証学派というものができます。

これは、古事記、日本書紀、その他の古史古伝といったものを研究して相互の違いを明確にし、そこから真実を探ろうという学派です。

こうして、できるだけ正確に過去を知ろうとしたのです。

ーー

しかし、それは、書かれた文章の比較にすぎず、比較検討したからと言って真実に近づくとも限らない。

しかしだからといって、証拠を無視したら、歴史がただの小説になってしまいます。

それで日本人は歴史というのは、どこまでも証拠に基いて考えていこう(考証していこう)としているのです。

ーー

ただ、忘れてはならないことがあります。

それが「学ぶ」という姿勢です。

歴史に嘘が書かれてはいないかと批判的に読むことは必要なのですが、全否定してしまうと、歴史から学ぶことができなくなってしまう。

ーー

書かれたものには、必ず作者の意図が含まれています。

千年もの間、人々の批判にさらされてなおかつ生き残った歴史書には、それ相当の値打ちがあるものです。

そうであれば、そこに何が書かれているのか。

作者の意図は何か、作者が何を伝えようとしたのか。

それをできるだけ正しく読み解く姿勢が必要です。

ーー

考証が優先か、学ぶことが優先かは、議論があると思います。

が、すくなくとも、実学として役立つのは、学ぶという姿勢から得られる知識であり知恵です。

まして神々の世界のことともなれば、我々人間界の想像をはるかに超える。

神々の世界を文章で説明するというだけでも容易なことではありません。

後ろを向きながら同時に前を向くとか、向こうとこちらが同じ場所にあって、未来が過去にあって、しかも一人の神が同時に幾つもの世界を生きる。

亡くなられた神が生きていて、過去に存在した神がまだ生まれていない。

これらは、我々が住む世界では説明不可能です。

ーー

しかし記紀で最も大切とされているのがこの神語(かんがたり)の部分なのです。

ーー

なぜならそこにこそ学ぶべきものがあると考えられてきたからです。

作者はどうしても神語の部分を書かなければならなかった。

それには理由があったはず。

その理由、つまり作者が伝えようとした内容とは何だったのか。

ーー

「書かれたものには、必ず作者の意図・目的がある」ということです。

従って目的が違えば、同じことを書いても、当然、書き方が違ってくる。

たとえば古事記では、「シラス」を「知」と書いています。

日本書紀は「シラス」を「治」と書いているのです。

ーー

「知」という字は、矢と盃(さかずき)からなり、神々と繋がり、神々の知恵をいただくことを意味する。

それゆえ、古事記は、「知」と書くことで、神々と人々の繋がりを示した。

ーー

日本書紀では「シラス」を「治」と書いている。

治は、「流水+農機具のスキ+口」で成り立ち、これはもともと食物を得るために水を治めることを示したのです。

ーー

同じ「シラス」について、異なる漢字を用いることによって、記紀それぞれの作者が、自分の意図を示したのです。

では、「シラス」は、「知」と書くのが正しいのでしょうか。

それとも「治」と書くのが正しいのでしょうか。

答えは、「どちらも正しい」といえるのではないでしょうか。

ーー

そして古事記において「治」を用いれば、それは間違っていることになるし、日本書紀で「知」を用いれば、それは本旨から外れた間違った用例となります。

ーー

これから、記紀それぞれの作者の意図を把握し、それを謙虚に学ぶということが大切だと言えるでありましょう。

ーー

偽書だとか、あり得ないとか、他の文献と比較して云々という前に、そういうところから、しっかりと学び、読み解いていく努力が、まず先にあるべきなのではないでしょうか。

では、なぜそういう態度が必要なのか。

古事記に書かれていることを、他の文献史料と比較考証するのはとても大切です。

しかし、その別な文献資料と古事記と、どちらに書かれていることが真実なのか。

書いて有ること以外、史料がないことについては、これはもう、わかりようがない。

ましてそれが神々の物語なら、もしかすると人知をはるかに超えるものが、もともとの母体となる物語であったかもしれない。

つまり神話を比較考証しても、決して、正解を見つけることはできないと思うのです。

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コメント

>日本は今、支那・朝鮮から歴史戦を仕掛けられています。
>支那・朝鮮では、権力者が自分に都合の良いように物語(歴史)を作ってきました。

日本が大東亜戦争に敗北して、70年余りが経過しました。
そして、大東亜戦争に敗北した結果、勝者による戦争責任の追及によってA級戦犯7人の他、B級・C級戦犯が約1000人が処刑されました。

戦争が敗北して終わったのですから、敗者が勝者に裁かれることは悔しいけれど仕方のない一面があると思います。
しかし、戦後70年を経過した今、あの戦争の原因は本当に日本が侵略したことから、始まったことでしょうか。

米国と英国によって、日本は戦争に引き込まれたとの考え方や、ルーズベルト大統領が米国内の共産主義者によって日本を戦争に引き込んだとの考え方があります。

また、支那大陸において、満州帝国の発展に努力していた日本に対して、蒋介石総統が日本に戦争をせざるを得ないように引きずり込んだとの見方もあれば、毛沢東主席が西安事件で蒋介石総統を拘束した結果、蒋介石総統は日本と戦わざるをえなくなったと考えることも出来ます。

支那において、東京裁判記念館を設置する動きがあるそうですから、このような機会に今一度、日本においてもなぜ日本が戦争するに至ったかを検証して、今後の日本が戦争に追い込まれないようにするべきだと思います。
なお、この時に注意しなければならないのは、日本人の多くが東京裁判史観によって戦後の教育を受けてきましたが、この教育を正しいものとしない信念で、研究することだと思います。

これに関しては、1970年代に発生した慰安婦問題と同様に、日本のマスコミ(特に朝日新聞)は、日本を悪とする偏見しか有りませんから検証能力がないと思いますので、戦後教育の影響を廃して考証する能力が求められると思います。

>縦椅子さま 本日も更新有難うございます。
>>歴史とは、遺物、遺構、史料などの証拠をつなぐ物語(Story)です。その物語には、歴史を書いた作者の意図が含まれる。
 ↑は西洋の話ですが、東洋でも、例えば「史記」を書いた司馬遷の様に、歴史は「真実に従い書き連ねる記録」と言う家伝・家訓を護ろうとしたが、時の為政者、前漢の武帝に拠って、匈奴戦で敗戦した李陵を庇い、更に武帝の父親の景帝について批判的な事実を書いた為に、宮刑にされたと言う例もある様です。 つまりシナの歴史は、西洋と同じく、為政者の為の記録「=His Story=History」でしか無く、真実の記録とは言えないでしょう。

然しもし、歴史を事実の記録の連続に拘るのならば、ねずさんの仰有る通り、事実を確認出来るのは、公文書の様な、「事実を書く」事を義務付けられている様なモノの連続でなければならないでしょうが、歴史の重要な転換点は、殆ど世の中が乱れて居る時に起こって居て、事件の原因、経過、結果の大雑把なものは後世でも分りますが、肝心な事実の推移は不明な事が多いでしょうから、歴史を真実の記録として遺すのは非常に難しいと言えますね。

原則日本の記紀にも同じ事がいえると思います。 然し日本の場合、他の国とは違って、同じ民族内の伝承です。勿論、その国の肇まりは、現存する万世一系の皇室であると仮定しての話ですが。

国を肇むる事の起こりになった神武東征は、瀬戸内を16年もかけて横断し、河内潟に辿り着き、そして追われた後。 早い黒潮が流れて居る紀州灘を難無く航行している処から、相当に大型の船を操って居た事が考えられます。 推定される時代は、皇紀通り紀元前6~7世紀辺りではないかと思います。そして大和国を橿原に朝廷を打ち建てます。 確かに、地元の葛城や磯城、16年の東征で教化した、安芸、吉備、播磨の豪族達は、協力的でしたが、未だ土台のあやふやなもので、とても安定した政権を営めたとは思えません。

 然し、神武が伝えた水田耕作法が普及し、急激に人口が増えた事で、僅か、100~200年の裡に耕地が足りなくなって、BC200年頃に「倭国大乱」が起こり、その混乱で「欠史八代」が生じたのだと思います。 この約700~800年後に編纂された記紀で、諡号に「神」が着く帝は、神武、崇神、応神、といますが、其々の王朝が王宮を置いた場所が変わって居る可能性が有ります。 神武は橿原 崇神は大和、応神は大阪といった具合です。 そして次第に大規模化して行って居て、応神の後には「倭の五王」として、シナ王朝にも、その存在を意識させる強大さ・存在感を示して居ます。

 是は倭国の大乱の原因は人口の増加に食料の生産が追い付いて居なかった事が原因と見て、河内潟の南方に続く湿地帯だった河内や和泉の国を穀倉地帯にせんと、仲哀帝が大規模開墾を開始して、結果、米の生産量が飛躍的に上がり、其れに連れて、人口が爆発的に増えた事に拠るモノと思います。 そして、この成功体験で、開墾事業を更にあちこちで行う様になりました

 日本は100年余り続いた倭国大乱で多くの死傷者を出し、人口を減らして居ましたが、是で回復し、更に多くの人口を養える力を持ちました。 この開墾事業には、吉備、播磨、丹波から、労働者が移住して来たのではないかと思います。

 前述した様に西洋やシナの歴史は、支配者・勝者が自分の都合の良い様に編纂に影響を与えた、正確さに疑いがあるものですが、日本の歴史は殆ど正確に、事実を積み重ねて居ます。 譬えば、大開墾事業の時、九州の熊曽族と半島の三韓(高句麗・百済・新羅)が背いたと言うので、留仲哀帝は自ら遠征軍を率いて留守にしますが、九州に着いた直後に、仲哀帝は熊曽族の流れ矢に当たって死んで終います。

 すると、留守を任されて居た筈の豪族に動揺が走り、香坂、忍熊の2人の皇子を、夫々担いで内乱を起こす気配を見せます。 然し、仲哀帝の股肱之臣である豪族が反乱軍を事前に押さえ込み、2人の皇子と共に抹殺して、開墾事業を続行させます。この点を記紀は、開墾事業の処から触れて居ません。是には、800年経っても祟る事情があったのでしょう。オソラク、吉備系の豪族が実権を握ろうとして失敗したのでしょう。 遠征軍は、妊娠中の神功皇后が、代わりに指揮を取り、同道して居た父親の武内宿祢が、三韓を征伐して、遠征中に生まれた、後の応神帝と共に凱旋します。

 この辺りの詳述な話は、オソラク、蘇我蝦夷が屋敷に火をかけた時に焼失した文献の中に在ったモノと思われますが、失われているので、様々な説が飛び交って居ます。

 この様に日本の歴史にも、正確な事実が分らない、或いは、意図的に隠していると思われる部分は、他にも2,3件存在します。 然しそれらは、「正しい皇統を護る事で、国内で異なった王朝で豪族間を分裂させ対立~戦争を生まない様にする、知恵」でもあったと思われます。

 そう言う意味で、三韓征伐で、時の帝(ミカド)を失った事は、大きな皇統の危機であったと言えましょうが、と同時に、2人の皇子を殺害してまでも、皇統を護ろうとした家臣団には、「平和を維持するには、皇統こそ護るべきモノ」と言う共通認識が生まれたモノと拝します。

 日本の歴史は、只管、天皇を中心として日本の平和を願い、皇統を維持する事で、威力分離の政体を維持して来た事に有ると私は思います。

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