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2018年2月19日 (月)

実際日本人は自然を神々として敬いそれに感謝して生きてきたのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

バイブルでは、「唯一神が森羅万象を創造し、人も造った」と記述しています。

一方記紀は、神が森羅万象を創造されたのですが、森羅万象のそれぞれをまた神と呼んでいるのです。

それゆえに、日本をいわゆる多神教国として分類する人が出てくる。

しかし、日本の多神教は、ただ花の精や、木の精がいるといった信仰とは異なるのです。

ーー

たとえば古事記に、黄泉(よみ)の国から帰られたイザナキが穢れを祓(はら)い、禊(みそぎ)をして、次の12神をお生みになるのです。

 衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)。
 道之長乳歯神(みちのながちちはのかみ)。
 時量師神(ときはかしのかみ)

 和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)
 道俣神(みちまたのかみ)
 飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)

 奧疎神(おきざかるのかみ)
 奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさひこのかみ)
 奧津甲斐弁羅神(おきつかひえらのかみ)

 辺疎神(へざかるのかみ)
 辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)
 辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)

ーー

神々お名前の漢字の意味は、次のようになります。

 衝立船戸    邪悪なものの侵入を防ぐ
 道之長乳歯   長い道のり
 時量師     時間がかかる

 和豆良比能宇斯能 主がわずらう(難儀する)
 道俣      道の分岐点
 飽咋之宇斯能  主が口を開けてのんびりする

 奧疎      沖に遠ざかる
 奧津那芸佐毘古 沖から渚
 奧津甲斐弁羅  沖が水辺と交わる

 辺疎      海辺から離れた場所
 辺津那芸佐毘古 海辺の波打ち際
 辺津甲斐弁羅  海と渚が交わる場所

ーー

これをつなげるとつぎのような文章ができます。

ーー

ようやく穢れた国から帰られたイザナキがやっと安心できる場所にたどり着かれて、邪悪な者たちの侵入を防ぐための衝立としてお祓いをされた。

そこにたどり着くまでは 本当に長い道のりで、到着までに長い日月がかかった、それだけイザナキは難儀されたのだった。

やっとその国との分岐点に着いて、イザナキはあくびをされるほどにくつろがれ、穢れた国の沖へと遠ざかれた。

波の荒い海峡から、やっと静かな渚にたどり着いた。

そこは沖と水辺が交わった、海浜からすこし離れた、波打ち際で、海と渚が交わるところだった。

ーー

古事記の作者が、神々の名をずらずらと並べて書いているので、研究者は、どうしても敬遠してしまう。

それは、神々の名に「意味がない」と思い込んでいるからです。

しかし古事記の作者はある意図をもって書いている。

その意図を読み解かないと、古事記を読んだことにはならないはずです。

ーー

古事記の序文には、天武天皇の詔(みことのり)に基づき、国家の典教として書いたと記(しる)されています。

従って古事記には、国家形成にあたって必要な知恵が書かれている可能性が高い。

つまり「菟」をウサギと読んだり、わざわざ「高志の八俣遠呂智」と書いてあるものを、頭が八つある蛇と読んだりしたのでは、作者の意図を理解したとは言い難いのです。

ーー

神々の名が連ねられているのにも、必ず意味があると考えるべきなのであります。

そう考えて神々の漢字名を読み解くと一つの文章ができる。

そこに現れる作者の意図は、イザナキの所業ひとつひとつを神として感謝せよということでありましょう。

つまり、古事記の作者は、国家の原点にイザナキの所業(国造り)を置き、それに感謝せよと言っていると読める。

ーー

日本に住む人々に、イザナキが作られた日本の自然(神々)に感謝して生きることを求めた。

実際日本人は自然を神々として敬いそれに感謝して生きてきたのです。

日本人の周りには神々が居られる。

そんな日本という国が、とてつもなく愛(いと)しく思えてきます。

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コメント

>縦椅子様 お早うございます 本日も更新有難うございます。
>>記紀の読み方
 ねずさんの発想や閃きには、天分の様なものを感じますね。 素晴らしいと思います。 私も、神の名前等、飛ばして読んで居ました、と言うのは、漢字の意味が分からなかったのが原因でした。 ねずさんご指摘の様に
>>「菟」をウサギと読んだり、わざわざ「高志の八俣遠呂智」と書いてあるものを、頭が八つある蛇と読んだりしたのでは、作者の意図を理解したとは言い難い
こう言う探求心の深さは、既に、民間の一研究者を超え専門の学者の域に達していると言って良いでしょう。 漢字の意味を正確に捉え、記紀に持って居た先入観を捨てて、読み方を変えれば、意味がガラリと変わり、記紀の編纂者が、何を言わんとして居るかも見えて来ると言う事ですね。 つまり、記紀は、日本の古代史を後世に伝える為の文献であると共に、子孫へのメッセージをも含んで居ると言う事で、ねずさんは、その一部を解き明かして見せたと言う事です。

 朝日新聞が、来年行われる天皇位のご譲位に関する行事を「神話を根拠にした天皇等、崇敬するに足りない、国事行為とすべきでは無い」とか、憲法第1条を無視した様な社説を掲げて、その正体を現して居ます、朝日新聞が如何に売国であるかは。既に国民に周知されている事ですが、日頃、現憲法を不磨の聖典の如く奉って置きながら反憲法であるとは知らなんだ、自分達に都合の良い部分だけ取り上げて非常識な部分まで称揚し、悪い部分は、国民の支持が高いのに是を誹謗するのでは、最早朝日新聞には国民の耳目、報道機関たる矜持も、そして、愛国心の欠片も見出す事は出来ません。 是を支持する国民が一定数存在すると言うのも非常に残念で且つ悲しい事に感じます。 この朝日新聞に追随する新聞社は、毎日・中日を筆頭に、日本中に在る事から、朝日新聞が齎す害毒は測り知れないと言えましょう。

 「神話を基にしたモノは崇敬するに値しない」と言って居るが、其れを国成り立ちのものが足りにして居る国は、世界には数多ある。 朝日新聞はそれも否定しているワケダカラ、キット、唯物論者に違い無い。 然し、唯物論を基にした共産主義こそ、今や世界の毒薬として認識されて来たモノです。 その代表が、共産シナであり、旧ソ連のロシアでもあります。 双方共、現状は共産主義の残滓ともいえる様な状況ですが、是が、自分達が建国時に打倒した筈の全体主義になっているというのは、御笑い種でありましょう。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と申しますが、歴史に学べないモノ、否、歴史を現状に都合よく改竄するモノばかりでは、失敗に対する真摯な反省も、随い、有効な対策や工夫も為されず、政体が崩壊、或いは、国そのものが壊れて消失してしまう例が、歴史には幾らでも残って居ます。 今回の韓国や朝鮮と言った、「歴史を改竄処か、虚構の歴史を創りだす」民族が創った国が、消滅しようとして居ます。 

 記紀は、そう言う未来迄見通して、例えば、神の名前を連ねて、神の名前にメッセージを隠して伝える等、態と難解にしているのではないかと思いました。

>バイブルでは、「唯一神が森羅万象を創造し、人も造った」と記述しています。
一方記紀は、神が森羅万象を創造されたのですが、森羅万象のそれぞれをまた神と呼んでいるのです。
それゆえに、日本をいわゆる多神教国として分類する人が出てくる。

バイブルは唯一神がと、神は唯一人としているのに対して、記紀は神が森羅万象を創造し、森羅万象のそれぞれもまた神としています。
多神教よりも一神教の方が近代的だそうですけれど、日本人には多神教の方が似合っているように思います。

木の神さん、山の神さん、地上には幾つものものがあってそれぞれを神さんが守っているのは素晴らしいもので、これは自然だけを対象とせずに飛行機の神さんや芸能の神さんもあって、それぞれを生業とする人々が敬いあがめるのは日本人だなあと思います。


一文字に神経を注いで読んだ学者さんがいました。
魏志倭人伝の中に「邪馬壹國」とされているのに、これを「邪馬臺国」と読んでさらに「邪馬台国」と読むのは可笑しいとして、「邪馬臺国はなかった」とする著作をあらわされた古田武彦氏でしたけれど、本人に「邪馬台国ではなかった」が正しいと突っ込んだことがありましたけれど、情熱的な素晴らしい研究者だったと思います。

古田氏はこの本を出発点にして歴史学にデビューした形で、その後、幾つもの説を打ち立てましたが、ライバルと多くの論争をしたり、その研究方法が緻密に原文を検証することから、本を読むのに疲れる著作が多かったように思います。

既に亡くなって数年経過しましたが、今WIKIを見ますとそれ程の評価をされていないことが寂しいのですけれど、私の尊敬する国語の先生でした。

縦椅子さま

 今日は古事記を読み解く奥義をご披露いただきありがたく感謝いたします。
「古事記の作者が、神々の名をずらずらと並べて書いている」ことに意図があると考えて「神々の漢字名を読み解くと一つの文章ができる。」ーこのような読み解き方をこのブログを通じて教えていただけるということを、身に余る光栄なことに存じます。
神の名を讃えながら、あがめながら、発する言葉がすべて、国造りの技を後世に伝える天皇の詔に沿うよう、わざと難解な方法をとったという、日本人の奥深い知恵に脱帽するばかりです。
本当に今日のブログには感激致しました。感謝でございます。

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