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2018年2月 5日 (月)

我が国は「天照大神(アマテルカミ)の天壌無窮の神勅とともにある」

ーー以下「宮崎正弘ブログ、西村慎吾コラム」より抜粋編集

明治維新は、日本が日本でなくなるための変革ではなく、日本が日本であり続けるための変革であった。

それでは何がそのような明治維新を成り立たせたのか。

それは、我が国に「万世一系の天皇」と「士魂」があったからである。

しかもその「士魂」は「万世一系の天皇」と不可分なのだ。

ーー

明治二十一年まで生きた山岡鉄舟いわく、「我が国の「士魂」(武士道)は我が国の開闢とともにある。即ち、天照大神(アマテルカミ)の天壌無窮の神勅とともにある」と。

ーー

この観点からみると、明治維新は、慶応三年暮れの大政奉還と王政復古の大号令から五箇条の御誓文と国威宣布の宸翰(しんかん、天皇が書かれた文書)の発布。

そして、徴兵令から廃藩置県を経て明治十年九月二十四日の城山における西郷南洲の切腹まで、これが明治維新だとしたい。

西郷南洲は、我が国に「士魂」を残すために切腹したからである。

(陛下のために死んで見せた)

ーー

明治維新は、フランス革命(ルイ16世殺害)やロシア革命(ニコライ二世殺害)とは全く違う。

我が国の明治維新は、王政復古の大号令によって始まったからだ。

つまり日本の改革は、これからも王政復古がその指針となりうる。

ーー

ここで、天皇と日本の淵源である「アマテルカミ」の天壌無窮の神勅と士魂(武士道)の系譜を指摘しておく。

天壌無窮の神勅に、「爾(なんじ)、皇孫、就(ゆ)いてしらせ」とある。

「しらせ」という言葉こそ、大日本帝国憲法を起草した井上毅が、古事記、日本書紀などの我が国の古典を調べ尽くした中で、最も注目した言葉であろうと思う。

この「シラス」こそ、天皇の統治の本質と考えられるからである。

ーー

天皇がシラス国とは、天皇が民を「おほみたから」とされ、一つの家族のように暮らす国のことである。

したがって、明治維新の王政復古の大号令とは、日本を天皇を戴(いただ)く一つの家族の国に戻す号令であった。

ーー

仁徳天皇は、民の竈(かまど)から煙が上がっていないのをご覧になり、徴税をおやめになった。

税収がないために雨漏りのする皇居におられた天皇は、3年後、民の竈から煙が上がるのを眺められて「我、すでに富めり」と言われた。

この天皇の御陵こそが世界最大の墳墓とされる仁徳天皇陵なのである。

帝は、家族である民のために統治を工夫され、民は大いに富んだ。

この巨大な陵墓は、その民によって築き上げられたものだ。

ーー

また明治元年の国威宣布の宸翰で明治天皇が、「天下億兆一人も其の所を得ざるときは、皆朕が罪なれば」と言われた。

これは、天皇が、民とご自分が家族だと思われているからである。

もちろん、敗戦の我が国の津々浦々を巡幸された昭和天皇も、東日本大震災の被災地を度々見舞われた今上陛下も、皆、国民とともにおられる。

ーー

これが、日本という国の姿、即ち、國體(国体)である。

ーー

我が国は、如何なる「近代化」のなかでも、如何なる「時代変化」のなかでも、この「天皇のしらす国」という國體を維持しなければならない。

これが、我が国は「天照大神(アマテルカミ)の天壌無窮の神勅とともにある」という意味である。

ーー

次に、「士魂」のことである。

我が国の士魂は、この「天皇のしらす国」に生まれたものだ。

つまり「士魂」は、天皇の家族(おほみたから)が互いに争うような事態になったときに、天皇の側に立って、「平和(争いのない状態)」を回復する為の武士の心構えのことなのだ。

この日本においては天皇を中心にまとまることが国運を開くと考えられてきたからだ。

そのためには、朝敵の排除が必要であり、それが武士の役目であると考えられてきたのだった。

錦の御旗を目にした幕府軍が敗走したのは朝敵にされたと考えたからである。

天皇の「おほみたから」のために死をも恐れずに立ち向かう人たちが日本には居るということだ。

ーー

ここが、異民族を征服するために武力(彼らにとっては単なる暴力)を使ってきた人々とは違っているのである。

「孫氏」の兵法では、敵を欺くことを基本姿勢とする。

これは、結局彼らは武士ではなく暴力団に過ぎず、死ぬことが怖いのである。

ーー

「生死なんぞ疑わん、天の付与するを、願はくば魂魄を留めて皇城を守らん」

これは、沖永良部に幽閉されていた時の西郷の漢詩である。

皇居の武道館横の近衛歩兵第一連隊跡地にはつぎのように刻まれている。

「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずとは雖も、選ばれて近衛兵となり、輦下に奉仕せる吾等、たとい魂魄となりても永久に皇居を守護し奉らん」

西郷南洲の士魂が、ここに受け継がれている。             

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>天皇がシラス国とは、天皇が民を「おほみたから」とされ、一つの家族のように暮らす国のことである。
>また明治元年の国威宣布の宸翰で明治天皇が、「天下億兆一人も其の所を得ざるときは、皆朕が罪なれば」と言われた。

有難いことだと思います。
天皇の存在と天皇が基本とされている事柄には、日本の国を思うことしか存在していません。

これが理解できていたから、大東亜戦争で敗色が濃くなり、ポツダム宣言の受け入れを検討する際に、首相を初め陸海軍の参謀長がいかにして国体を守るかを腐心したのでしょう。

このようなことは、支那韓の連中には理解できないことだと思います。尤も、戦後の左翼連中にも理解できないのでしょう。


明治維新の時には、江戸時代を通して日本の国を研究する国学者の流れが、天皇の存在を分かっていたから、それが表面に出てきたと思います。

そうでなければ、政権が徳川から別の大名に変わっていただけですし、場合によっては、日本はイギリスかフランスの植民地になっていたと想像します。

西郷隆盛もこれを理解していたけれど、人間時には思わぬ事をやらざるを得ないこともありますし、身の運不運とはそんなものだろうと思います。

>>明治元年の国威宣布の宸翰で明治天皇が、「天下億兆一人も其の所を得ざるときは、皆朕が罪なれば」と言われた。
>>これは、天皇が、民とご自分が家族だと思われているからである
 このお言葉は大阪平野の大開墾を成し遂げられた仁徳天皇が、民の生活を何よりもご心配されていたので、民にもそう言う帝の御愛情が伝わり、お隠れに際し、そのご遺徳をしのび大きな陵墓を造り参らせたモノと拝察いたします。

 世界に見られる他の大陵墓は、エジプトやマヤのピラミッドであれ、シナの大陵墓であれ、埋葬者である支配者の権力の強さの象徴こ誇示したモノに相違ないが、日本の其れは、開墾に携わった民衆に拠る帝から受けたご慈愛の大きさの表現ではなかったか、と勝手に想像いたしております。

>>「士魂」は、天皇の家族(おほみたから)が互いに争うような事態になったときに、天皇の側に立って、「平和(争いのない状態)」を回復する為の武士の心構えのことなのだ。
 つまりは、家内の争いを治めるに、家長である帝は、神の大御意を伝えるスメラミコトでもあったのだから、帝の側に立つ=神の側に従うのが正義と言う考えが、最も世の中の争いを穏やかに治める最良の手段である、と考えられていた、と、云う事だと思います。

 士(もののふ)は、神の御意に従って戦う使徒であり、兵(つわもの)であったから、鳥羽伏見の戦いで、帝のご意志を表す錦の御旗に、兵士数や武器の数に措いても、全く引けを取らなかっ幕府軍は戦う上で正義を失しない、一躍賊軍に成り下がった事で戦意を喪失、敗走してしまったと言う事ですよね。 こう言う現象は、日本人が戦う際、大義の在り方が如何に大きいかを如実に示して居ると思います。 

 西郷南洲翁は、生涯で幾度も死に瀕しながら、只管、皇(スメロギ)を護持する、士(もののふ)の生き方を貫かれた人であったと私は、同じ薩摩人として、誇りに思っております。

 最後に、その士の生き方に共感していた、彼を慕う兵共の行き場の無い国への思いを一身に背負って、逆族の汚名を黙って受け一命を落とす事になったけれども、新しい日本の為に、胸を張って死んでいかれたと確信しております。

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