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2018年1月17日 (水)

支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本の民衆は武士をとても尊敬し、その統治に従ってきました。

それは武士が、「民衆」のために、打算や損得抜きで「我が身を捧げる」行為をすると期待され、実際そのようにふるまったからです。

ーー

「義」の訓は「ことはり」です。

義は、羊に我と書きますが、大昔は羊は神々への捧げ物です。

たいせつなもののために、我が身を捧げるのが「義」です。

「ことはり」というのは、条理・道理のことです。

その「条理・道理」のために、打算や損得抜きの「まめなる心、忠」で「我が身を捧げる」のが、日本的「忠義」であり、武士道なのです。

ーー

これは、支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる。

彼らの文化にとっての「忠・義」は、上司のために命を捧げることです。

上司が不正をしていても、それをかばいだてするのが、彼らにとっての忠義です。

これは我々日本人の感覚では、受け入れ難いものです。

ーー

武士道に生きる者は、民衆が豊かに安心して安全に生きることができるようにしていくことに、全力を傾け、誠実を貫いたのです。

それが日本の武士(臣)の生き様だったからです。

このことは大東亜の戦いで散っていった英霊たちも同じです。

彼らは祖国の自由と独立自存のために戦い、かつまた植民地政策による支配と隷属の関係に置かれた東亜の諸民族のために戦いました。

ーー

当時は、世界中で植民地支配がなされ、その国の民を先兵にして敵と戦わせるのが常識でした。

そんな時代に、彼ら日本兵は、むしろ現地の人々を激戦地から避難させ、より厳しい戦場へと出向いて行った。

ーー

そうした中に、戦地で散華された多数の女性看護婦たちもいます。

彼女たちは、傷病兵のためにと、戦況厳しい前線へと出向き、そこで多くの彼女たちの命が失われています。

なぜ彼女たちはそこまでしたのか。

彼女たちもまた、民衆こそ「おほみたから」とする日本に生まれ育ち、日本人として生きたからです。

ーー

自身を安全な場所と時代に置いて、他人を批判する。

なるほどそれは個人の自由かもしれません。

しかし、お互いに非難や中傷をあびせあうだけでは、この世は決して良くならないということです。

ーー

私たちは、大人も子も、右も左も、みんなが天皇の「おほみたから」であるのだという自覚と誇りを取り戻さなければならないと思います。

なぜならそれこそが、日本人がこれまで生きてきた道だからです。

ーー

日本は先の大戦で敗れました。

しかし日本は、いまも日本です。

なぜ、戦いに敗れても日本は壊れなかったのでしょうか。

それどころか、日本は、いまでも世界の大国の一角です。

東京に至っては、世界最大の都市になっている。

ーー

ロシアなどは、2016年度のGDPは1兆2800億ドルで、日本(4兆9386億ドル)の4分の1でしかありません。

日本が見事に復活した理由、それは日本が天皇のしらす(統治する)国だからです。

民衆を「おほみたから」とするシラス国だからです。

ーー

国土が焦土となったとき、共産主義者らは革命闘争を繰り返し起こしました。

しかし、多くの民衆は、それに参加しませんでした。

そして力を合わせて瓦礫を撤去し、町を復興させていったのです。

ーー

戦後、占領軍が占領政策として、日本を壊そうとしたとき、在日・反日勢力がその占領政策に協力することで、利権をえます。

そして教育界を乗っ取り、「民衆が天皇の「おほみたからである」」ということを否定してしまった。

その結果、人々は自信を失い、日本がおかしくなりはじめた。

ーー

日本が悪いと繰り返し教育されればおかしくなるのは当たり前のことです。

しかし、占領軍も在日・反日勢力も結局のところ、日本に傷は負わせましたが、壊すことはできませんでした。

なぜでしょう。

その答えは、日本人の誰もが常に生涯を通じて「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民だからです。

ーー

日本人は「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民である。

それが日本人の遺伝子DNAに刻み込まれていると言っても良い。

つまり、占領軍であっても、日本人の心を壊すことはできなかったのです。

もちろん在日・反日勢力にもそれはできなかった。

これこそが日本が不滅の理由です。

ーー

「そんなことはない。日本には様々な問題がある」という方もいるかもしれません。

しかし、問題があるということは、問題を自覚できる感覚があるということです。

そして自覚ができることならば、それは改善し、乗り越えれば良いだけのことです。

それは神々が我々に与えてくれた試練であり、それを克服するために与えてくれた機会なのです。

ーー

機会は、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。

それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。

日本人に「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める遺伝子がある限り、日本は不滅なのです。

ーー

ーー以下「松山昭彦ブログ」より抜粋編集

日本ではインパール作戦は「牟田口中将が無謀な戦いをした」とされて、そのまま信じている人が多い。

しかし調べれば日本軍は英国との闘いで敵を圧倒して戦っていたことがわかる。

日本軍が如何に勇敢に戦っていたか、如何に軍紀粛正であったか、そして如何に強かったか。

ーー

現地の住民はよく見ていた。

大激戦地のロトパチン村の村長はこのように語っていた。

「日本の兵隊さんは実に勇敢に戦った。そして、この村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていった。この勇ましい行動すべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。私達はいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています」

ーー

激戦地コヒマでも日本兵は地元に住民に称賛されており、日本軍が去った後に群生した紫の花を「日本兵の花」と名付けた。

日英軍が激しく戦ったマパオの村では「日本兵士を讃える歌」が今も歌い継がれている。

こういうことは日本人はほとんど知らない。

日本メディアがこういう事実を一切報道しないからだ。

日本が侵略戦争をしたことにしたい日本メディアにとっては、事実を報道することは都合が悪いのだ。

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コメント

>>機会は、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。
 ↑のお言葉、人生の谷に居る今の私の心に沁みました。 勇気を戴きました、有難うございます。 折しも、明日は手術が予定されて居て下半身麻酔ですが、以前、目の手術で麻酔が効かなかった事があったので、若干不安が有りましたが、「苦難に立ち向かい乗り越えて行く事が生きて居る証なのだ」となれば、聊かでも尻ごみして居た自分が恥ずかしい思いです。

 亦、機会は、英訳でチャンスと言いますから、何か分らないけど私の行く手を塞いでいるものを、乗り越えるチャンスになれば、嬉しいですね。 この言葉を紹介して下さった方々と、私が言葉に出遭うお仕組みを下さった、神様に心より感謝を捧げます。

>それは武士が、「民衆」のために、打算や損得抜きで「我が身を捧げる」行為をすると期待され、実際そのようにふるまったからです。

戦後の教育に隠れてしまい、武士の本来の姿がどうであったのかが判らなくなっています。戦前の映画なら多少は、一般大衆がどのように受け取っていたのかが見えてくると思いますけれど、現在のテレビや映画による武士の扱われ方は、無茶苦茶で本当の姿が考証されていません。
テレビや映画で正しい姿は分からず書物でと思いますけれど、大衆文化は馬鹿に出来ませんから・・・・・・・

でも、武士の中心が我が身のことしか考えていなかったら、現在の日本は、欧米による植民地であったことは間違いないと思います。

そして、武士の世が終わった明治・大正期に、日本人の思考が我が身のことだけを考えるものであったなら、何を言っても神風特攻隊のような作戦は成立しませんでした。
特攻隊の作戦が始まって継続されたのは、国民が日本の国を信じることが出来たからだと思います。


特攻作戦は日本だけではなく、ドイツの空軍が一度だけやっています。
その内容は、ドイツを爆撃しに来る爆撃機に対して戦闘機で体当たりするというもので、体当たりの直前に脱出するとのものでしたが、「遺書を用意する」ことが認められていたのですから、特攻隊としても良いと思います。

実施時期は1945年4月7日、作戦部隊は「ゾンダーコマンド・エルベ」で米軍は重爆撃機が1,304機で戦闘機が792機、ドイツ軍の特攻機は180機程度でこのうち離陸したのは150機程度、戦闘に参加したのは100機程度で、生存者のうち部隊に戻ったのは15人のみ、それ以外は負傷者として前線を離れるか、捕虜になったらしいです。

ドイツの特攻作戦はこの一度だけで、部隊はこの後解散しています。結果は米軍によると、「17機が撃墜され、このうち8機が体当たり攻撃による。また、5機が大破の後墜落。帰還後に損傷が認められたのは147機で、うち109機は修理困難」と報告されているそうです。この結果では、撃墜以外の特攻隊による戦果が分かりにくいのですが、効果は大きかったと思います。
ただ、実施時期が余りにも遅くて、戦局への影響は小さかったと思います。

これの小説が有って読みましたけれど、特攻機から機銃関係、防弾版、無線送信機が外された攻撃機に対する批判もありましたから、国民性による差もあると思いました。


日本は他国の人が想像できない特攻隊を、一つの作戦として実施した唯一の国ですが、これを行えるのは国家に対しての信頼性があることと、軍人に自分が亡くなることで、国と家族を守れるとの信念があったからだと思います。

その結果が、敗戦後に敗戦利得者が日本人であるに関わらず日本を毀損するのでは、情けないだろうと思います。


>日本ではインパール作戦は「牟田口中将が無謀な戦いをした」とされて、そのまま信じている人が多い。
>大激戦地のロトパチン村の村長はこのように語っていた。

改めて地図を見て、日本軍は今のバングラデシュにまで、攻め込んでいたことに驚きました。

インドの人は、日本が本気で植民地を開放に行ったことを知っているから、チャンドラボースのことも日本人も植民地解放の英雄に出来るのだと思います。

日本ではインドを植民地から解放したのがガンジーやネールとしか教えていませんが、チャンドラボースと日本軍のことも学校教育で教えないといけないと思いますし、大東亜戦争は侵略戦争ではなく、八紘一宇を掲げた日本の植民地解放戦争であったことを教育して欲しいと思いました。

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