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2018年1月19日 (金)

脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

石 平『なぜ日本だけが支那の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書)

石平氏は北京大学を卒業した時には、まったく日本語が喋れなかったという。

そして日本語がしゃべれない状態で日本に留学してきた。

神戸のレストランでアルバイトをしているうちに日本語がしゃべれるようになったのだという。

そのときに書店に行ってみると、日本の本屋の書棚には、支那の古典・孔孟から韓非子、朱子学の翻訳本がずらりと並んでいた。

ーー

日本の読書人は、西洋の古典から現代の書物の他に、支那の古典を読むという、おそらく世界一読書範囲が広い。

マルクス・レーニン全集があるかと思えば、ニーチェ、ヤスパース、ショーペンハウエルからアンナ・ハーレントまで、マルクーゼからヴィトゲンシュタインの翻訳もでている。

本国フランスにはないのに、サルトル全集がある。

ーー

日本とはいったいどういう国なのか?

ーー

トランプ大統領が誕生すれば30冊を超えるトランプ本がならび、大河ドラマが西郷隆盛になると百冊をこえる西郷物が書店で売られるようになった。

李登輝氏などは、京大に学び、「日本語の翻訳により知識を拡げ教養を高めることが出来た」と述懐されている。

日清戦争ののち、夥しい支那人留学生が日本にやってきて、日本語を通じてルソー、サミエルソンや、デカルト、カントを知った。

つまり日本人はあらゆる思想、哲学、文学を翻訳し、咀嚼し、そこから独自の思想を形成してきたのだ。

ーー

その日本にやってきた石平氏は北京大学で哲学を学び、成都で哲学の教鞭を執っていた。

ゆえに日本の思想史に甚大な興味を抱くのは自然の流れ、そしてある日、「不可解な矛盾」があることに気がつくのだ。

「江戸期以前の時代では、日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間であるのに対し、江戸期に入ってからの代表的な思想家はほとんど儒学者だった」と。

ーー

「えっ」と思わず声をあげた。

こういう見立てがあるのか、というのが第一の感想だった。

ーー

石平氏は「聖徳太子が仏教を国教にまでしたのは、支那から独立するため」であり、日本は仏教を日本化することによって文明を日本独自のものとしたのであると述べる。

しかし、江戸時代には逆に儒教を官学の基礎においた。

その徳川時代の儒学は、じつは朱子学であり、支那の儒学とは似ても似つかぬものであった。

他方で本居宣長などの国学の台頭を生んだ。

いま紹介したのは大雑把なまとめだが、石さんは本書において、その経緯を詳細に論じている。

ーー

紆余曲折をへて日本は脱支那の思想を構築し、文明の独立自尊を守り抜いた、というのが本書の骨子である。

ーー

日本は仏教と儒学をほぼ同時に輸入するも、仏教を日本化して脱支那文明の基礎とした。

一方で、漢学儒学には深い関心を寄せず、やがて遣唐使を廃止してしまう。

仏教は最澄と空海によって絶頂を極めて、以後、哲学的には衰退してゆく。

そしてこの時代に『古事記』『日本書紀』が書かれ、やがて『源氏物語』が書かれる。 

ーー

「家康が天下統一したあと、推し進めたもう一つの仏教対策は、全国に『寺請制度(檀家制度)』を整えることだった」(p136)

つまり住居移転や結婚、旅行など檀那寺が発行する「寺請証文」が必要とされ、それは寺院の収入を安定させたのだが、以後仏教は、実質的に「葬式仏教」となってしまう。

「仏教は国家体制と政治権力にとって、無害にして有益なものとなっていった」

「思想史的にいえば、まさにこの過程で、日本の仏教は思想としての創造力と影響力を失う」

ーー

一方の儒教は、「幕府による推奨政策の結果、『蔵入り』から掘り出され」そして「仏教に変わってこの時代の思想と行動原理(イデオロギー)の主役の座を占める」のである。

これが、「近世に入ってから起きた、日本思想史上の最大の変化」(p142)だと著者は述べる。

ーー 

だが儒教は官学でしかなく、「昼は朱子学、夜は陽明学」という佐藤一齋らが象徴するように儒学と併行して日本では陽明学が読み込まれた。

陽明学の知行合一というのが武士の美意識に適合したからだろう。

ーー

市井では本居宣長に代表される国学の意気軒昂たる復活があり、江戸前期には山鹿素行の『中朝事実』がでて、水戸学への驀進が始まる。

ここで「中朝」というのは日本のことなのである。

支那の王朝には連続性がないが、日本の皇室はそれと違い連綿と続いており、日本こそが「中朝(中心の国)」なのだと述べる。

これが『日本の思想』の中軸となる。

ーー

江藤淳はその著『南洲残影』の中で、「西郷隆盛は日本の思想である」と書いた。

こう考える日本の読書人からすれば、本書で展開されている石平氏の斬新な視点には注目すべき点が多い。

とりわけ石平氏の山鹿素行論は、従来の保守陣営の解釈とは趣きが異なる。

次のような描き方となる。

ーー

「鎌倉時代末期の日本の神道思想の確立において、外来宗教の仏教に対する日本神道の優位性が主張された」

「山鹿素行は、天孫降臨以来の皇統と神道を中核とする日本の伝統に基づき、支那儒教に対する日本の優位性を強調して見せた」

「支那古来の『華夷秩序』の世界観を正反対に転倒させたのである」(p216)

ーー

江戸中期になると国学が日本の思想界を席巻し、「真淵は『日本の古道』を絶賛して、儒教と支那の『聖人』たちの欺瞞性を暴いた」。

そして宣長は、「日本の精神と思想の世界から『漢意』(すなわち支那)というものを、きれいさっぱり洗い去ることによってこそ、日本は日本本来のすばらしさを取り戻すのだと説いた」(p217)

脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だったのである。

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コメント

外患、日本人のフリシタ人達の、支配体制はどうなってるんだろか、自分達は裏方で、日本人を雇ってみたいなのも多いいですか

日本には、八百万の神が存在する国です。
人間もその一部ですから、あらゆる範囲にわたって制限を設けず学びたい知りたい人は、知識を得れば良いと言う世界でも珍しい国である。
日本語も漢字、ひらがな、カタカナ、ロ-マ字と八百万的性格を持っています。
それが故に、早くから文明を築き最新の流行も大陸から取り寄せることが出来た。
そもそも最近では、縄文時代に漆が使われていたことに驚いていますが、しかも北海道から発見されている。
考えますに、今の日本列島が、縄文時代から日本の地形変化がが無かったと言うのが前提で歴史学が進んでいますが、おかしな点が、幾つか日本列島や考古学・歴史学に見られます。
先ず日本列島ですが、フオッサマグナこれは、我々の頃は、細い線の構造体でしたが今では、幅の有る物に変わっています。
それに福井・長野・山梨に於ける3000M近い山々。
これは造山活動が有った証拠です。
山頂では貝の化石が出るそうです。
と言う事は、日本列島は、西日本と東日本は、海を挟んだ島で有ったと考えられます。
それに民間伝承に千曲川は陥没して出来たとか、ある書物に今の長野県の安曇から茨城の鹿島へ行く話も有りまして列島を考えると不可能な話なんですよ。
しかも安曇は水軍を想起しますし信玄が諏訪攻めの途中村上氏と対峙している。
村上氏と言えば、瀬戸内海の水軍で有名です。
しかも両者は、旗印が同じ。
細か部分を寄せ集めると日本の歴史は、辻褄が合わないです。
考古学的にも青森の三内丸山古墳もおかしな点がありまして、あれだけ北に有って鮭の化石或は、骨らしきものが全く見られない。
北海道では、南海でしか取れない貝のブレスレットが出土している。どうも変ですよ。
魏志倭人伝になるとその通り行けば南海の海の中に有る事に成る。
ある人は四国の南沿海通って行く話も有りますが、南海の先ではないですね。
結局今まで一度も出てこなかった説は、日本列島の移動しかないです。
斉一的見方をすれば、多古の昔から日本列島は、今の儘だったと言うのは、素人の私でも納得しにくい。
日本史は闇の中です。
プレート移動したならば、時期はまだ明確に解りませんが、話の辻褄は、合って来る。そう言う説を出している先進的発言も有る。
学者は、絶対認めないでしょうね。
全ての学説が崩れますから。
しかしプレート移動は、既に認められた説です。
現在言われてる歴史の99%は、嘘の説であるとまで言われている。
確かに海底に沈んだ遺跡等不明な点が、多々あります。
ちょっと気付いた点を列記してみました。

縦椅子さま

 今日一休宗純禅師の「無縄自縛」という教えがいとも簡単に頭に入るようにアニメ化されている動画をみて、感心しました。難しい禅の言葉も「一休さんのとんち話」として、絵本で読んだことがあるのですが、今回の動画はかなり進化して、哲学的になっています。
「日本の読書人は、西洋の古典から現代の書物の他に、支那の古典を読むという、おそらく世界一読書範囲が広い。」とあり、日本の読書人は幼い頃から、あらゆるジャンルの書物を読書三昧できるという恵まれた環境にあります。それに加えて、私には、高校時代、漢文の授業で中津濱渉先生から素晴らしい授業を受け、荘子の逍遥篇や楊貴妃の入浴シーンが目の前に彷彿とうかんでくるような授業に感動しました。中津濱渉先生は「楽府詩集の研究」汲古書院から昭和45年3月に初版、52年に第2刷を刊行され、「中国の女詩人たち」と「続中国の女詩人たち」を朋友書店から出されています。大学でも東洋文学の授業を受けましたが、先生のお授業は優っていたように思います。先生はもうなくなられてだいぶたちますが、懐かしくここに記載させていただきました。書道の授業 も、好きなだけ臨書させていただける、素晴らしい授業で、筆使いの妙技を堪能できてありがたかったです。
このように、人は書物というもの、そして素晴らしい師や、長年本当にお世話になった、今もお世話になっている方に生かせられていると思います。
今日の血液検査の結果は「最高に良好でこの値をキープするように!」とのことでした。感謝でございます。感謝!!

>日本の読書人は、西洋の古典から現代の書物の他に、支那の古典を読むという、おそらく世界一読書範囲が広い。

日本人は日本に入れることが出来る書物は、できる限り翻訳した結果、世界中からの書物を日本人は読むことが出来るようになったと言うことに、驚くとともに嬉しく思いました。

興味があれば、原文でなくとも丁寧に訳された日本語文の書籍があれば、外国語を知らなくても読めるのですから有難いことだと思います。


>石平氏は「聖徳太子が仏教を国教にまでしたのは、支那から独立するため」であり、日本は仏教を日本化することによって文明を日本独自のものとしたのであると述べる。

支那から独立するためなら、神道を強力に推し進めれば出来ることだと思います。
聖徳太子といえども、蘇我氏の影響からは逃れることが出来なかったから、仏教を進めるしかなかったと思いますけれど、それでも仏教を日本化したのはせめてもの抵抗だったと想像します。


>脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だったのである。

日本での文化に限界が見えたときには、支那を初めとする地域から異なった文化を取り入れましたけれど、これ以上の文化を導入すると影響が大きくなると困ると考えられたときには鎖国して、外来文化の流入を停止して国内文化の醸成を図ることの繰り返しが、日本に工夫する文化を育てたと思います。

最高裁判決で、官房機密費の一分を公開する判決て・・・外患が公開要求するのを、最高裁が認めたら、最高裁も外患でないですか?

 私は日本の古神道の根っこには単純だが、最も大事な民のあるべき姿と為政者の或るべき姿が謳われていると思います。  

 其れは、「民は、国の基、大御宝である」と言う考え方です。 

 つまり、王たる者、自分や一族の利を図る事よりも、毎年襲来する、自然の¥災害で大きな痛手を蒙る国民を励まし、その生活を安んじる為に、国の安定を図る役目を自分が背負い、神に毎日祈りを捧げる。 と言う、背骨の様な、君主としての覚悟があったから、民と君主の間の信頼関係が普遍のモノであったと言う事でしょう。

 そして、この考えが1万年以上確りと、平和を育んできた=自然災害に皆で力を合わせる事が出来た、と言う実績から、分業が、一番優れたシステムであると確信したのだと思います。

 日本人の平等観は、世界でも、相当に異質の様です。 日本では、平安以前から男女平等は当たり前ですが、「同権異質」と言う特徴があります、是は現実其のままではないでしょうか。 ダカラ、平安以前から、女性も文を読めたし計算も出来たと考えられます。 日本文明を大陸文明と同一の地平で考える事自体、間違えて居ると私は思います。 日本人派もっと日本を知るべきです。

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