無料ブログはココログ

« 支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる | トップページ | 脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だった »

2018年1月18日 (木)

「広辞苑」は、これらの誤記を速やかに訂正すべきなのである

ーー以下「宮崎正弘ブログ」より抜粋編集

1月12日、『広辞苑』の第7版が発売された。

その中の「日中共同声明」の説明について、昨年12月、台北駐日経済文化代表処などが台湾は中華人民共和国の一部ではないとして訂正を求めている。

それは、「日中共同声明」で、台湾が中華人民共和国に帰属することを日本が「実質的に認め」という第6版と変わっていない箇所だ。

ーー第6版 第2刷(2011年1月11日発売) 【日中共同声明】

一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。

戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と認め、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。

ーー第7版 第1刷(2018年1月12日発売) 【日中共同声明】

一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。

戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と承認し、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。

ーー

「台湾」の項で問題視されたのは「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述だった。

これもまた第6版からまったく変わっていなかった。

ーー第6版 第1刷(2008年1月11日発売)【台湾】(TAIWAN)

中国福建省と台湾海峡をへだてて東方二百キロメートルにある島。

台湾本島・澎湖列島、および他の付属島から成る。

総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。

明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。

六〇年代以降、経済発展が著しい。

人口二二八八万(二〇〇六)。

ーー 第7版 第1刷(2018年1月12日発売) 【台湾】(TAIWAN)

中国福建省と台湾海峡をへだてて東方にある島。

台湾本島・澎湖列島および他の付属島から成る。

総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。

明末・清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果、一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。

六〇年代以降、経済発展が著しい。

人口二二六七万三千(二〇一〇)。

ーー

また、【中華人民共和国】の項も、26番目の行政区として「台湾省」を明記する「中華人民共和国行政区分」と題する地図を掲載し、これも第6版と変わっていない。

ーー

朝日、読売、産経、NHKなどほとんどのメディアが第7版の刊行を取り上げた。

が、日本経済新聞は、台湾が中華人民共和国に帰属するという記述について

「日本は72年の声明では台湾が中国に帰属するという中国側の立場を『十分理解し、尊重する』との表現にとどめた。『承認』などの確定的な表現を避けて解釈の余地を残し、台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」

と書き、『広辞苑』の記述に異論を唱えた。

ーー

昭和39年(1964年)2月29日の衆議院予算委員会における池田勇人首相は、台湾の帰属について答弁している。

そこで、明確に台湾の帰属先は中華民国ではなく「帰属は連合国できまるべき問題」、つまり台湾の帰属先は未だに定まっていないと表明している。

ーー

その後の総理答弁を10年前にさかのぼって確認しても、『広辞苑』記述のような「実質的に認め」たという文言は見当たらない。

また、それを推測させるような文言も見当たらない。

ーー

例えば、平成17年(2005年)11月15日に出された小泉純一郎総理の「答弁書」では「台湾に関する我が国政府の立場は、昭和47年の日中共同声明第三項にあるとおり、『台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である』との中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重するというものである」とし、それ以上の言及はない。

日中共同声明の第3項には「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」の後に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とある。

『広辞苑』が「台湾がこれに帰属することを実質的に認め」と記したのはこの記述を根拠としているのだろう。

ーー

しかし、日中共同声明をさかのぼること8年前の総理答弁は、「台湾の帰属先は未だに定まっていない」というものだ。

日中共同声明がその8年前の政府見解を無視する形で、「台湾が中華人民共和国に帰属する」ことを「実質的に認め」るなどということは考えにくい。

ーー

その点で、「台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」と解説した日本経済新聞の記事の方が『広辞苑』より正確だ。

また、台湾に関する政府の立場について、自民党であれ民主党であれ、歴代総理の答弁が「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する」ということで一致し、それ以上言及していないことにも注目したい。

実質的にであろうと形式的にであろうと、台湾の帰属先に触れていないのが日本政府の見解なのだ。

ーー

さらに広辞苑の記述は、中華人民共和国は中華民国の継承国家という立場を取っている。

しかし、池田総理の答弁に沿えば、台湾の帰属先が中華民国でないなら、中華人民共和国も帰属先ではないということになる。

いずれにせよ、『広辞苑』の「実質的に認め」という記述が的確性に欠けることは疑いようがない。

訂正を要するゆえんだ。

ーー

次に、「台湾」の項の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述についても言及しておきたい。

台湾が「中国に復帰」とという記述は、台湾が1945年までは日本の領土だったから、日本が1945年に中国に返還したということを意味する。

ーー

しかし、当時の「中国」だった中華民国自身が1945年に日本から返還されたことを認めていなかったのだ。

どういうことかというと、1952年(昭和27年)4月28日に日本と締結した日華平和条約において、中華民国は日本が前年9月に署名したサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島を放棄したことを「承認」しているからだ。

日本が中華民国に台湾を返還していたら日本はそれを領有していないことになり放棄できないからだ。

ーー

中華民国も日華平和条約において日本の台湾領有を承認していたのだ。

つまり『広辞苑』の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」などという歴史事実はなかったことになる。

これは明らかな誤記であろう。

ーー

1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約の第2条b項には「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めている。

日本の台湾・澎湖諸島の領有権を、アメリカをはじめとする署名48カ国が認めていた。

それ故に日本はそれらを「放棄」できたのだ。

ーー

「台湾が1945年に中国に復帰」していたら、日本は、日華平和条約もサンフランシスコ平和条約も締結できなかった。

台湾が中国に復帰していなかったからこそ、日本は、それらの条約を締結できたのだ。

「広辞苑」は、これらの誤記を速やかに訂正すべきなのである。

« 支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる | トップページ | 脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だった »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

岩波書店が、左翼的であるのは、周知の事実であるが、仮にも広辞苑が辞書で有れば嘘は、記載出来ない筈だが堂々と在日朝鮮人は、強制連行だと嘘を明記している。
これで金を取るのは、詐欺で有る。
辞書は嘘であってはならない。
本来なら国民生活センターに訴えて訂正をしなければいけない。
日本人は、曲がっている事が大嫌いな民族で、ことに辞書に間違いが、有る事は、許されないし一つでも間違いが有れば、それは辞書とは言えない。
誤字なら解るが、明らかに恣意的に書かれたものである。
ちなみに嘘を引いてみると1、真実でない事 2、正しくない事と納得のいく意味になっている。
多くの電子辞書に広辞苑は、採録されている。
責任は、重いと思う。
ある意味洗脳と言われても仕方ない。

平昌五輪開会式に、安部首相を参列させるて、公明党、自民党の幹部が国会会期を調整中との事、日本と韓国は韓国の日韓合意破棄でそんな参列て雰囲気でないが、日本人のフリシタネットワークで、韓国の依頼を力強くで、ごり押しか?

岩波書店の「広辞苑」と言えば、日本で一番頼りにされている辞典だと思っていましたが、違ったのですね。

台湾から誤りがあると指摘され、その他の団体(日本李登輝友の会)からも2008年2月に指摘され、訂正を求められた結果、岩波書店は「日中共同声明の文言と広辞苑の解説の一部とがくいちがっております。恐縮でございます。刷を改める機会があり次第、訂正いたします。」と、2008年3月に回答していたそうです。

岩波書店は、嘘をつくと言われても仕方がないです。


台湾は、日清戦争において日本が勝利した際に、日本に割譲されて日本の植民地になりました。
日本はこの台湾という植民地に対して、西欧列強の植民地とは異なって一生懸命に頑張って、支那が実態としてどうしようもなくいらなかった島である台湾を、良い土地と住民に恵まれた島に変えて行きました。

日本で一流の政治家を総督として派遣し、反乱を起こす住民に正面から立ち向かい日本の統治を理解させ、農業には土地の灌漑を行い、産業を振興したのです。
その期間は50年、日本がその後に併合した朝鮮よりは、植民地と併合地の差があって、台湾の方が朝鮮よりやや冷遇されましたが、それでも諸外国の植民地に対する扱いとは雲泥の差があって、台湾の人々に日本の統治は理解されたと思います。

この冷遇の部分ですが、幾つかを列挙します。
学校教育と神宮の建設については、台湾と朝鮮はに差はありません。
農業や地域の振興も、台湾と朝鮮に差はありません。
創氏改名は、朝鮮においては朝鮮人の権利として実施されましたが、台湾では特に優秀な人として、一部の人に限られました。
軍隊について、朝鮮では士官学校に入学する権利が認められていましたが、台湾では基本的に認められませんでした。(李登輝氏の士官学校入学は終戦間近であったための、特例処置があったと思います。)


>しかし、日中共同声明をさかのぼること8年前の総理答弁は、「台湾の帰属先は未だに定まっていない」というものだ。

日本政府の公式見解は、これ以上でも、これ以下でもありません。
ポツダム宣言で「8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。」、日本の領土は決められましたが、台湾のことは放棄したのでしょうけれど、その帰属先には言及していないのです。

それに、1945年8月15日の時点では、支那の支配勢力は中華民国でありましたし、その支配者が中共となったのは1949年ですから、「1945年に中国に復帰」したのなら、中華民国が主体になると思います。中華民国が1972年までは、国連で常任理事国で会ったことを忘れてはならないと思います。


>さらに広辞苑の記述は、中華人民共和国は中華民国の継承国家という立場を取っている。

出版社が、国家のあるべき姿を決めるものではないと思いますし、岩波書店はそんなに偉くないと思います。

広辞苑は辞典であって、事実だけを書けば良いのです。
台湾からの訂正要求を受け付けない、事実から目をそらしてできあがったのが広辞苑であることだけは、明確になったと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる | トップページ | 脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だった »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31