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2018年1月29日 (月)

機関長以下機関部員は、そうやって、最後まで自分の持ち場を守った

ーー以下「読者意見」より抜粋編集

ソロです

私は商船学校の出ですが、寮の敷地の一角に、戦没慰霊塔がありました。

みると多くの先輩達の名が刻んであります。

それは、海軍に徴用された貨物船に乗り、死んで行った人が多いからです。

ーー

船は隔壁で仕切られており、何処かに浸水しても、簡単に沈まない構造になっています。

敵艦は、機関室を狙って砲を撃ってくる。

だから機関室が真っ先に浸水することが多いのです。

しかしそのことを十分知ったうえで、戦闘になると、機関部員らは機関室の水密ドアを内側から閉めてしまいます。

機関長以下機関部員は、そうやって、最後まで自分の持ち場を守った。

それゆえ、戦没者は、機関部の卒業生が圧倒的に多いのです。

ーー

戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱等は、皆、武士階級の不満が噴出したものであると言って良いでしょう。

では、それは如何なる不満であったか。

新政府の日本を守るための政策が手ぬるいという不満であった。

決して「自分達の既得権や目先の利益を守ろうとして戦ったのではない」のです。

それは、明治維新で、大名も公家も武士たちも、自分達が守り続けて来た特権をすべて放棄している事からも分ります。

ーー

この支配層が示した恭順の姿勢は、勿論、天皇陛下に対するものです。

が、天皇は、武力で他を圧する様な存在ではありません。

彼らが、天皇に恭順の意を示したのは、日本を戦乱に巻き込みたくないためであった。

天皇の「おほみたから」である民の生活を安んじる事が、何より、日本の為になると、判断したからでした。

ーー

しかしこのことは、日本人だけに通じる話でありましょう。

ーー

外患に対処できなくなった徳川幕府が天皇に大政を奉還したのは日本の伝統的なやり方であった。

そして天皇のもとに、日本中から知恵者が集められ、外患に対処できる体制を素早く築くことができた。

ですから、その後に起こった数多の戦争、乱、変は、個々の立場の違いから戦わざるを得ない状況に殉じたものと私は思っているのです。

それは、士農工商と言う身分制度の本義が、分業であった証拠で有りましょう。

士分に有るものは「自分が属する集団が掲げた大義のために最期まで戦い抜く」一方で、士分では無い者達へ迷惑はかけない。

それで、士分以外の犠牲者が少なく済んだ。

このようにして、「おほみたから」である民を護る為に戦うという、士分の立場を守ったのです。 

ーー

確かに維新は、士族という階級を無くしてしまったゆえに、武士道精神が失われた。

然し、日本人の精神は、武士道だけではないのです。

日本人には、地震・台風など自然災害の多い列島で1万年を軽く超え脈々と生き続けてきた人々の生活から生み出された知恵(文明)が染みついている。

武士道はその文明から作り出されたほんの一部の精神に過ぎないのです。

世のため人のためになろうとする知恵の開拓心や「平和裏に共存共栄していくべきだ」という和の心は、日本人の財産であるのみならず、世界の宝であると思います。

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コメント

>縦椅子さま 本日も更新有難うございます。
 私の投稿を取り上げて頂きまして有難うございます。

 船では12時間を3分割した4時間の当直をワッチ(watchの読み慣らし?)と言いますが、 戦前の船は殆ど蒸気タービン駆動で、機関での主な仕事は殆ど缶(水ボイラー)焚きですから、そも、機関室を出る事が無かったのですが、周りが見えて、状況が把握できる航海士や甲板員とは違い、「鋼鉄製の狭い箱状の中で、灼熱の炉に石炭を運び(運び手をコロパスと言います)、火夫(フィアマン)がその石炭を、炉を開けて中にほおりこむ」作業を、4時間繰り返して居るワケです。

 甲板員の様に、敵の機銃掃射や爆弾を受けて死ぬ事は少ないけれど、船が沈む時は、わけも分らない裡に、壁が破れて海水が入って来て、海の中・・と言うわけです。

 私の横に座って居た方は、海軍に技術将校として徴用され、呉の海軍工廠で戦艦大和の完成の寸前に立ち会った人でした。 この話は、勿論、学校でも聴いた覚えがありますが、詳細はその方からだと記憶して居ます。 親会社は大きな船会社でしたので、多くのその人の同輩だった人や部下だった技術者が挨拶に来て、序に昔話を聞かせてくれました。 中には機関部だったのに「3度も泳いだ(沈没させられた)」人も居て、「不死身のXX」とか言われて居ました。ww 

 然し、やって来る人の年代を看て居ると、明治末期生まれの次は、イキナリ昭和初期になり、大正初期~末期が全然いないと言う現象に気が着き、その人に訊くと、「戦争があったんやから当たり前や、其の時分の生まれは死んでいるのが普通やで」との話。 その人からお話訊いて居ると、「儂等、明治生まれが生き残って偉そうな事を言えているのは、現場で死んでいった大勢の若いモノのお蔭やと思って居る。 そう言う連中で生き残った奴の中には、儂等の世代を恨んで居る人も居るやろうなぁ」と70代になったばかりのその人は、声を落として言っていました。

 声を落としたのは、内容が「戦争の爪痕」とも言うべき記憶だからなのでしょうが、淡々とした語り口だったのは、却って我々世代が経験できない様な、経験をし、沢山の死を目の当たりにして来たからだろうと、思い、爾来、突っ込んで訊かない事にしました。

 何れにしても、戦争は忌むべき事象でありましょう。 然し、左偏りの政治運動団体でしかない、ヘイワ・ジンケン団体が宣まう様な、「如何なる理由が有ろうとも、絶対してはならない」ものでは無いと思います。

 戦争と言う異常事態の中に置かれた事で、却って自分の命を賭けても、護り通したいものと言うものが在る事に気付き、その為に「命を賭けて頑張る」のも、立派な生き方の一つだと確信します。 何となれば、「我は唯物論者に非ず」なので、ご先祖様のご意志や日本精神と言った「見えないモノを信じる事が出来るからです。

商船という民間の立場にあっても、一度戦争になれば自ずと戦争の前線に立って働かなければならない仕事は、本当に大変だと思います。

気が付けば自分の命が助からなくなっているのに、職務を放棄することも出来ないのは言いようがないでしょう。
これで思い出したのが、誠に申し訳ないのですがセウォル号事件でした。
あの時のセウォル号の船員の行動と、大戦中の日本の船員は比較にもならないのですが、船に乗り込む覚悟が全く異なることを今更ながらに考えさせられます。


23日に、群馬草津白根山が火山噴火を起こしました。
この時に自衛隊がスキーの訓練中で有り、不幸にも49歳の陸曹長が亡くなりましたけど、この方は若い隊員をかばったとの報道がありました。
戦闘現場ではありませんから、上司が部下をかばうことが出来たと思いますけれども、ここに自衛隊の部下を大切にする姿を見ることが出来たと思います。

武士道精神で新渡戸稲造が有名ですが、日本の民族自体に日本を守るとの、DNAが組み込まれていると思いました。

国会審議で、希望の党の今井議院が、森友学園で、与党追求、また在の手下になってる奴かとガッカリ

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