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2018年1月28日 (日)

革命とはこれほどに犠牲を伴うものなのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

支那では、何度も易姓革命が起こり皇帝(多くが異民族)が替わっています。

そしてその都度、国の人口のおよそ3分の2が失われています。

ロシア革命では、帝政ロシアの人口1億が、3400万人になった。

つまりロシア革命による死者は、6600万人にもなった。

フランス革命は、当時の人口2千万人が、革命によって1510万人に減少しているのです。

ーー

革命とはこれほどに犠牲を伴うものなのです。

ーー

明治維新では、諸国諸大名や武士たちはその身分を返上しています。

さらに「四民平等」を実現し、「藩籍奉還、廃藩置県」まで行っています。

明治維新後に身分を失ったのは、武家だけではありません。

かつての摂関家を含む公家も身分を失っているのです。

ーー

それでは明治維新前の諸国諸大名や武士、公家の生活はどのように成り立っていたのでしょうか。

当時は米がその生活を支える収入でした。

ひとつが「石取り」、もうひとつが「蔵米取り」です。

ーー

「石取り」というのは、所領をいただき、その領内のお米の出来高を「石」で表したものです。

たとえば500石取りなら、米500俵を算出できる村などの地域(所領や知行地など)を与えられているわけです。

1万石以上を大名と称していたのですが、年貢の割合が、四公六民なら、1万石の4割=4千石がその大名(武家、公家も同じ)の取り分でした。

大名は、その4千石で、村人たちが凶作時に餓えないように、また、道路や水路、水害対策の普請、火災時のお蔵米の放出など、その地域の人々の生命財産安全について全責任を負っていたのです。

ーー

さらに石高に応じて、家人や郎党の数、屋敷の門構え、馬の数などが細かく定められ、その分の支払いもします。

1俵がおおむね1両に相当しました。

1両はだいたい今の6万円くらいに相当します。

その1俵のお米は、1反の田から収穫していました。

1反は、だいたい30㎡で、1俵は、大人一人が1年間に食べる量とされていました。

石高表示では、1石になるわけです。

ーー

つまり、1万石の大名というのは、300㎢の土地を所領とし、4千石(2.4億円)の税収を得ていた。

それで、指定された人数の奉公人に給料を払い、参勤交代を行い、さらに、領内で何か問題が発生したら、その対処をしたり、あるいは問題が発生しないように道路や水路、堤防の管理などを行っていたわけです。

これは決して楽な生活ではないことがお分かりいただけるかと思います。

また、たとえ千石取りの大身の武士であっても、その収入で万が一の事も含めて所領の面倒を見るのは、不可能でした。

ですから、大名家の一員となって、いわば団体保険をかけるようにして、万一の対策としたのです。

ーー

こうした所領をいわば経営しなければならないという考えは、天皇の「おほみたから」を養わなければならないという発想から生まれています。

天皇の「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくために、所領を与えられているという認識があったのです。

ーー

また、税が四公六民というと、給料の4割を税金で持っていかれるといった重税に思えます。

が、これもまた田んぼの収穫高を低めに見積もり、また江戸時代初期の田のみを基準にしたもので、その後に開発された新田の面積の方が圧倒的に広かったことなどから、実際の出来高換算では、1公9民程度の年貢米となっていました。

当時は大地主制で、地主である庄屋が村の事実上の管理を行っていましたが、農家そのものが豊かであることによって、村内の様々な出来事に関しては、概ね村内で処理できる体制にもなっていたわけです。

もっともそうでもしなければ、武士も殿様も所領地に常駐しているわけではないので、管理できなくなってしまう。

さりとて、所領内で一揆でもあれば、領主が責任をとらされて腹を切らなければならないわけです。

武士もたいへんだったのです。

ーー

これに対し、「蔵米取り」というのは、所領を持たず、ただ上役から、お蔵米を現物支給される人たちでした。

御家人のような下級武士、貴族であれば、宮中に務める下級貴族の給料が、それにあたります。

ーー

江戸時代までの日本では、責任と権力は常に一体とされていましたから、責任を持たない人は、それだけ軽輩とされた。

ーー

明治維新は、こうした古くからの伝統的な石高制そのものを打ち破り、給料の支払いを米から現金に変え、所領についての責任制度を廃止した、いわば革命に匹敵するような大改革であったわけです。

しかし 明治維新における戊辰戦争の死者は、幕府側の8,625名、新政府側3,588名、合計で13,562名です。

黒船がやってきた1853年ごろの人口は3124万人ですから、これは人口のわずか0.04%にしかあたりません。

明治維新は、単に自国内での争いというだけでなく、そこに欧米列強、つまり外国が介入した内戦が起きています。

それでいて明治維新がこの程度の死者を出しただけで成し遂げられた。

このことは、世界史的にはあり得ないことだったのです。

ーー

ところが日本人の感覚からすると、戊辰戦争はきわめて大きな内乱です。

この感覚の違いは、実は、我々日本人にとって戊辰戦争は「政変」に過ぎず、「政変」でありながらこれだけの死者が出たからこそ、たいへんな争いという感覚に包まれるのです。

もし明治維新が、ロシア革命のような「革命」であったのなら、我が国の当時の人口は、約3千万人が、1千万人にまで減少したかもしれない。

大人も子供も老人も女性も含めて、3人に2人が死んていたのです。

それがどれだけ恐ろしいことか。

ーー

その意味では「革命」などというものは、共産主義者が言うように実現しては、絶対にいけないものであると思います。

ーー

つまりロシア革命やキューバ革命、フランス革命、あるいは支那の易姓革命のような、国の形が変わる革命を、我が国はしなくて済んできたのです。

それができたのは、我が国に天皇がおいでになったからです。

戊辰戦争においても、佐賀の乱でも、西南戦争でも、天皇の「おほみたから」という概念が根底において崩れていない戦いであったから、民衆の犠牲者はほぼ皆無に近かったのです。

武士たちの戦いの枠組みを外れることがなかった。

ーー

これがわかると、天皇の存在を否定する人たちというものが、どのような思考に基づいている人たちなのかがはっきりと見えてきます。

それは「自分が民衆の支配者になり、民衆から搾取し自分だけよい生活をしたい」と考えているのです。

(共産党幹部はまさにそのような生活をしている)

なぜなら、欧米で生まれた大航海時代以降の西洋文明は、支配と隷属、一部の者の利益のみを重視する文明にほかならないからです。

それゆえ、日本以外の地では、民が一方的に搾取される体制がいまも続いているのです。

ーー

私たちは、いまこそ天皇のご存在の意味を知るべきだと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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コメント

>qazx様、お早うございます。 今日もブログ更新有難うございます。今日はねずさんのブログからの引用でㇲが、この処日本史シリーズになっている様に感じますが、歴史好きの私としては、願ってもない事で、感謝申し上げます。
>>江戸時代までの日本では、責任と権力は常に一体とされていましたから、責任を持たない人は、それだけ軽輩とされた。
 是は云われて看なければ、「当たり前」として考えて居るので、気付けない事でした。
 確かに「責任と権力(権限)」は一体で無ければ、仕事は出来ませんからね。 「仕事を任される=責任を背負う」と言うのは、実は日本的な事なのですね。 是が戦争でも発揮されて、一兵卒に至る迄「自分に与えられた持ち場を護る事を責任とする」を貫徹したから、日本軍は強かったのですね。

 私は商船学校の出ですが、寮の敷地の一角に、戦没慰霊塔がありました、みると多くの先輩達の名が刻んであります。 それは、軍船ダケで無く、海軍に徴用された貨物船の乗り組んで、死んで行った人が多いからです。

 船の構造は隔壁で仕切られており、何処かに浸水しても部分的な浸水で食い止め、簡単に沈まない様に造ってあります。 其れで戦闘になると、端から機関室の水密ドアを内側から閉めて終います。 然し、敵は船の行き足を止める為に、機関室を狙ってくるので真っ先に浸水する事が多いのです。 卒業者名簿の戦没者の欄を看ると、機関部の卒業生が圧倒的に多い事が看て取れます、つまりよく、船長が舵輪に自分を縛り付けて、船と運命を共にする話が出てきますが、日本では、機関長以下機関部員は、そうやって、多くは文句の一つも云わず、最後まで自分の持ち場を守って死んでいったのです。

>>「おほみたから」という概念が根底において崩れていない戦いであったから、民衆の犠牲者はほぼ皆無に近かった
 戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱・・考えて看れば、皆、武士階級の不満が噴出したものであると言って良いですが、では、其れは如何なる不満であったか、と掘り下げて考えて看ないと、先人の心は見えてこないと思います。

 此処を恣意的に省いて「日本人も普通の国と同じく、自分の利権を護る為に戦を起こしたのだ」と印象付けるのが、左翼学者の手口でしょう。如何にも、西洋文明を、然も民主的で進んだモノとして崇拝する一方で、日本文明のみならず、東洋文明全体を利己的な支配者の遅れた悪政と決め付けて居るという、歪んだ価値観が見えます。

 然しその見方は丸で違います。 先ず全員が、「日本を護る為に戦った」と言う事で、決して「自分達の既得権や目先の利益を守ろうとして戦ったのではない」と言えると思います。 其れはねずさんが指摘して居る様に、大名も公家も、自分達が守り続けて来た特権をすべて放棄している事からも分ります。 

 この支配層が示した恭順の姿勢は、勿論、天皇陛下に対するものですが、当時の皇室は、権威の象徴ではあったけれども、武力で他を圧する様な存在では無く、そういう力だけで量れば、無力な京都の一司祭に過ぎなかったのだから、恭順を示した事は何より、この日本を戦乱に巻き込みたくない、否、もっと具体的に言えば、「スメラミコトの大御宝である民の生活を安んじる事が、何より、日本の為になる事である」と、判断したからでしょう。

 是は、今でも西洋人には決して真似の出来ない事だと断言できます。 正に、大政奉還は、伝統の日本精神の神髄を示した事象であると言えましょう。

 ですから、その後に起こった数多の戦争、乱、変と規模で区分されるモノも、集団としての考え方の違いや、個々の立場の違いから戦わざるを得ない状況に殉じたモノと私は思って居ます。

 亦、士農工商と言う身分制度の本義が、搾取や弾圧の為でなく分業であった、証拠で、士分に有るものが、士の本懐である、「自分が属する集団が最初に掲げた大義を護り、其れに殉じて斃れた人達の遺志を継いで戦い抜く」一方で、士分では無い者達への迷惑を最小にするべくして戦ったから、農民以下の犠牲者が少なく、全体の死者数を抑えて居るのだと思います。此処にも「おおみたからである民を護る為に戦うのが士である」と言う原則を守って居る姿が見えます。 

 確かに維新は、武士と言う現実的な存在を無くして終ったのは事実でしょう。 然し、我々は、失われた武士のみが持って居たとされる武士道だけが、日本精神である様な話には乗ってはなりません。 

 真に日本人が大事にすべきは、この災害の多い列島で1万年を軽く超え脈々と命と精神を繋いできた人々の生活から生み出そうとする知恵の開拓心や和の心こそが、日本人の財産である事を認識するべきなのです。 この知恵の開拓心や和の心をもっと掘り下げ、この先の人類の発展の為に、役立てられる様にするのが、叡智の民、大和心を持つ日本人の子孫として、目指すべき未来であろうと思います。

在日MEDIASが、マスコミでピットコインの事を一斉に流してます。あの人達になんの繋がりがありましか?在日朝鮮人並びに、祖国等が投資をしてるのか?

一反ゆうと、幅が10メートルで、長さが100メートルですが、現在は白米で600キロ収穫、六俵ですね。

日本では、外国人が行政窓口に立ち、外国人に日本の様々な行政サービスを、円滑に受けれる制度があると聞きましたがそうでしか?てことは日本人の血税を外国人が好きなように使える制度て事ですか?

ロシア革命の過程において、ロシアの人口は1億人が三分の一の3400万人になり、フランス革命は2千万人の人口が1510万人に減少した。
それに較べると、明治維新の戊辰戦争では13,562名の死者で済んだことは誠に幸運でした。

幸運と言うよりも、西欧列強とその後から出てきた米国によって全世界のほとんどが植民地となり、僅かに残っていた日本は西欧列強の植民地にされないために必死の努力をする過程での出来事だと思います。

明治維新では江戸幕府と維新側の双方が、結果的に全力で植民地にならないように努力したと思います。
そして、京都市の鳥羽・伏見街道の戦いで初めて使われたのが錦の御旗です。
錦の御旗は維新側が準備したもので、これによって幕府側の戦意が喪失したとされていますが、これは西欧ならば何の意味もない旗です。

しかし、日本では天皇の軍であることを表す錦の御旗は、1名の兵をも持たないにも関わらず、幕府側の兵の戦意を喪失させただけでなく、その後の戦いにも影響をもたらしたと思います。

共産党の幹部はこのように無言の威厳を保持する天皇について、否定するだけでなく、これに変わる立場を欲しいのかも知れません。

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