無料ブログはココログ

« 日本社会は、権力のある者が上といった単純な仕組みで成り立っているのではないのです | トップページ | 朝鮮人には国家意識や公徳心が欠如している »

2018年1月25日 (木)

確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じること

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本は世界一古くから続いている国であるといわれています。

江戸時代の日本は、徳川幕藩体制にありました。

1867年徳川慶喜将軍が大政を天皇に奉還し1868年に明治政府が作られた。

幕藩体制も天皇が徳川家康を征夷大将軍に任じられたことから始まっており、天皇が頂点におられた。

明治というのは、天皇が、政権を、徳川家から明治新政府に移されただけなのです。

徳川幕府(政府)も新しくできた薩長政府も主権者は天皇でした。

ーー

これは要するに政権が交代しただけで、日本国が別の国になったわけではありません。

ーー

憲法についてはどうでしょうか。

明治に入ってから大日本帝国憲法ができました。

大日本帝国憲法も、天皇の御名によって公布せられたのです。

要するに、江戸時代の日本も日本なら、明治新政府の日本も日本だということです。

ーー

戦後の日本国憲法もまた天皇の御名によって公布された。

つまり、日本の主権がどこか別の国に移ったわけではないのです。

それゆえに、建国の詔(みことのり)を教えるべきなのです。

ーー

日本は長い歴史の中で、度々政権交代はありましたが、常に混乱のあとには、「神武創業に還れ」が合言葉になっていました。

その神武天皇は、さらにまた淤能碁呂(おのころ)島創業、つまりイザナキ大神、イザナミ大神の精神に還ることを、我が国建国の原点とされているわけです。

つまり日本は、はるか神々の時代から、ずっと続く・国の原点を持つ国なのです。

ーー

それゆえに神武天皇が即位された日(2月11日)がいまも建国記念日とされているのです。

ーー

建国の詔を教えるということは、その国の原点を教えること、もっというなら「日本人とは何か」(アイデンティティ)を教えることを意味します。

つまり日本人が日本人になるためにはとても必要なものだといえる。

逆にいえば、敎育過程において、建国の詔(みことのり)を教えることができるようになったときこそ、日本が日本を取り戻したときといえるのです。

ーー

日本の文化というのは、あらゆる日本文化がそうですが、子供にも親しみやすくできています。

たとえば茶道でお茶を飲むことは、離乳が始まったばかりの赤ちゃんにだってできることです。

しかし茶道を極めようとすれば、一生かかっても極められないほど奥が深い。

能にしても、能面の美しさは、小学生の子供にもわかることです。

しかし能を極めることができるのは、限られたごく一部の人だけです。

ーー

神話も、たとえば大国主神話なら、大国主がウサギと話したというお話が出てきます。

子供向けにはそれで良いのです。

けれど古事記の原文は、「菟(と)」で、これは行商や物流・流通を担う人、いまでいうなら陸運業者や通販業者のことです。

古事記には大人の読み方があるのです。

ーー

サッカーの日本代表チームの胸にある八咫烏(やたがらす)の「咫」は、いまの「尺」という字です。

1尺はおよそ30cm、「や(八)」は、「多い」ですから、要するに大柄で色黒(カラス)の人という意味になります。

また神武天皇は、「天皇御年137歳であった」とあります。

この時代の「歳」は、いまでいう「月」のことですので、これは、天皇としての御在位が137歳(月)およそ11年であったという意味です。

ーー

このように、正しく読まなければ、古事記の内容が「あり得ないもの」扱いされてしまうのは当然のことです。

まして、ウサギなら上つ巻の神様のこととして書かれていますから、まだゆるせます。

しかし、神武天皇の物語は実在した人物の我が国・建国の経緯です。

正しく紹介しなければ、大人向けには、理解されないのではないかと思います。

ーー

確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じること。

任(にん)重くして道(みち)遠きを念(おも)って、総力を将来の建設に傾けること。

世界の進運(しんうん)に後(おく)れないこと。

これらは昭和天皇の終戦の詔で出てくるご遺命です。

新しい時代をともに開いて行こうではありませんか。

« 日本社会は、権力のある者が上といった単純な仕組みで成り立っているのではないのです | トップページ | 朝鮮人には国家意識や公徳心が欠如している »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

あと謎多き日本ゆえに解釈もさまざまあって、一説によると、と言うのが多いですね。
日本書紀もそうです一書に曰くと引用されているケースが目につきます。
八咫烏とヤマタノオロチは、何か関係が、有りそうにも見えます。
日本の古代史は、なぞなぞが多いです。
八咫烏は、足が3本の三つ又です。ヤマタノオロチは首が8本です。
これを考察すると箱になります。つまり三つ又になった角が、8つある事に成って箱を意味する。
と言うものです。
浦島太郎の玉手箱も九州にある筥崎宮も箱と言う共通項で日本にアークの聖櫃が、持ち込まれたのではないかと推測しています。
元寇の時も筥崎宮の話が関わっていてそこでアークを利用して大軍を壊滅させたのではなかろうかとこれも推測で、夏場と冬場で2つの台風と言うのは、どうでしょうか?
つまり台風と神風が、有ったと推測できます。
アークは、それほどに取扱注意の代物です。モーセが、紅海の海水を分けるだけのオーパーツ的代物です。
筥崎宮は、時代は遡りますが、神功皇后の話も朝鮮征伐に関して出てくる話ですが、アークが半島から箱崎に運ばれて宇佐神宮に移ったとなれば、宇佐神宮に神功皇后もまつられている意味が、分かります。
元寇の時に宇佐から筥崎宮に担ぎ込まれたと考えられなくもない。
その後アークは、宇佐から東大寺開眼式に参加しその後行方知らずです。
一時期は、京の御所にも置かれたようですが、とても生活できるような状況でなく、皇女が先導してアークの安置場所を探す旅に出て伊勢に落ち着く話が、あります。
現在は伊勢神宮の地下にあると言われている。
形式的に伊勢の遷宮式で御船代が有りますが、あれが、アークの代用でしょう。本物は、地下の様です。
アークの移動後は、元宇佐とか元伊勢という足跡の神社が存在します。
八咫烏だけでもこの様な話にも関連付けて話が出来ます。
全くの嘘でもない様に思われるのです。
アークの形状は、陛下の国璽の璽と同様の姿だと言われてます。これは、横から見た姿で、これに担ぐ2本の棒が有れば、完全にアーク(神輿)です。

在日朝鮮人の悪行を、許さないとツイッターで書き込んでた、奈良の町議が、差別だと役場に電話が殺到、業務に支障が出て、町議が辞表を、しかし悪行をばらされたら、差別で並びに電話作戦で攻撃どうですか

細かいことですが、
>1尺はおよそ30cm、「や(八)」は、「多い」ですから、要するに大柄で色黒(カラス)の人という意味になります。

尺とは、人の肘から手までの長さを基本にしているから、30センチメートル位。でも度量衡の単位になりますと、人の大きさはばらばらですから、どこかで誰かの肘から手までの長さを基準にしたと思っていました。


>この時代の「歳」は、いまでいう「月」のことですので、これは、天皇としての御在位が137歳(月)およそ11年であったという意味です。

歳についてですが、1年を春分から秋分までを1年と数え、残りを1年と数えることで、結果として1年が2年になると聞いたことがありました。(もう亡くなりましたけれど、古田武彦先生です。)
また、日本の四季をそれぞれ1年と数えますと、普通の1年が4年にるとも言われていました。

1里は通常4kmとして計算しますが、昔は1里が70メートルとされていたことだってあります。
度量衡を考えるとき、私たちは今定められている値が昔から変わっていないと考えますが、大昔には政権が変わるとともに変化してきたと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 日本社会は、権力のある者が上といった単純な仕組みで成り立っているのではないのです | トップページ | 朝鮮人には国家意識や公徳心が欠如している »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31