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2017年10月 8日 (日)

台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

菊池一隆『台湾原住民 口伝(オーラルヒストリー)』(集広舎)

25年ほど前、評者(宮崎)が台北のホテルに滞在中、佐々木理臣氏が台湾の山奥には日本語だけの集落があるという。

(佐々木理臣(故人)は当時東京新聞北京特派員『魔都上海』という名著を残した)

それで、そこへ一緒に行かないかと誘われたのだが、他に先約あって合流できなかった。

評者(宮崎)は、別便でバスを乗り継いで、山奥の集落にあがると歓迎され、一晩泊まっての体験記を書いた。

ーー

佐々木氏とは、その後共に、馬祖諸島に飛行機で飛んだことがあった。

氏は、現地での取材を大切にする記者だった。

本書の著者菊池氏も、この日本語だけの集落(タイヤル族の集落、桃園県復興軍角板山)に通うこと十年、その都度取材を繰り返してきた。

本書はその現地取材の集大成である。

著者には好評を博した前作『台湾北部タイヤル族から見た近現代史、日本植民地時代から国民党政権時代の「白色テロ」へ』(集広舎)がある。

ーー

さて台湾には原住民がいて、日本では彼らのことを「高砂族」と呼称してきた。

台湾の原住民には大きく十六族がある。

彼等は国民党が勝手につけた「高山族」などの命名を嫌がる。

彼等の内、タイヤル族の先祖は、もとカフカス、黒海付近にいた。

それが、東への移動を始め、長江で合流し、さらに北上して黒竜江省あたりで、暮らした。

やがて台湾へ移住し、最初は平原で暮したが、オランダと鄭成功がくると平地を追われ、丘陵地帯から山岳へ、そして山奥へと移動した。

タイヤル族は支那人らと争ううちに三つの流れとなり、タロコへ移動した人たちもあるが桃園角板山のタイヤル族が「純タイヤル族」と言われる(pp171~172)。

ーー

タイヤル族は勇猛果敢、武装ゲリラ闘争を得意とする。

日本は、1895年、日清戦争に勝ち、下関条約で清から台湾を割譲された。

その統治に際しては、日本軍は、タイヤル族の武装ゲリラに苦戦を強いられた。

一転して日本贔屓となるや、タイヤル族は、「高砂義勇軍」として日本に協力した。

ーー

タイヤル族には独自の言語があっても文字がない。

そこで日本語教育と遭遇し、日本語を喋るようになり、いまでも、彼らの集落内では北京語や台湾語よりも日本語が通じる。

ーー

「50年間に及ぶ日本植民地時代に、台湾では日本語教育の強制、徹底化が図られ、戦争末期には、よくも悪くも日本語で話し、書き、考える人々が増大した」

「台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった」

「その結果、多くの原住民は原住民語をその単語などを除いて、ほとんど忘れてしまった」(p277)

ーー

日本語だと微妙な意味(ニュアンス)も心情も表現できるというので、彼等は、ラブレターも、哲学も日本語ですることになった。

ーー

さて本書の内容である。

台湾が戒厳令下、蒋介石独裁下に少数民族(タイヤル族)に嫁いで一家をなした奇特な日本人女性がいた。

国際文通で知り合い、愛を育み、台湾へ嫁入りしたのだ。

その一家と親戚が「あの時代」つまり日本統治時代について活き活きと語った。

時代環境、生活、風景が再現される。

文献資料からは想像も付かない歴史が口承によって甦(よみがえ)る。

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コメント

>「台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった」

台湾に、今でも日本語を話す部族がいると聞いて吃驚しましたが、それ以上に、部族間の共通語になっていると知って、二度吃驚です。

子供の頃、父から大戦中の話を聞いたことがあり、台湾の高砂族は強かったと、言っていたことを思い出しました。

台湾の原住民族として、日本が統治者となったときには独立性の維持のために戦い、日本を統治者と納得して認めたときには、日本のために戦うことに、明快な思考を感じます。

そして、日本が日本語を教えたときには、これを習得したとのことや、原住民語が徐々になくなったことは、朝鮮と同じく、日本は原住民後を禁止しなかったからと思います。
従って、日本語教育の結果、日本語が使いやすく微妙な表現まで出来たから、今まで残ったのだろうと思います。

日本の50年間の統治が、台湾の人達に良かったと思えるのなら、幸いだったと思いました。

>qazxさん、ポッポさん
>>台湾原住民世界では種族によって言語が異なっていたが、それが日本語が共通語となった
 貴重な情報、ご指摘有難うございます。 宮崎さんの情報収集力の秀逸さと、その着眼点の見事さ、そして、高齢な事を考えるにその超人的な体力には、敬服いたします。

 ↑の現象が起こって居て、それが戦後70有余年も維持されていると言う事は、如何に日本文明が、理に適った言語であり、多様な変化にも対応できる柔軟性を兼ね備えているかと言う証明の様な話ですね。

 西洋人の知日派と呼ばれている人の中には、「日本語は、世界一状況を細かく伝えるのに適した言語である」と評価する人がいます。 彼らの殆どが例外なく、可成りのレベルのインテリである事を考えれば、「日本語が世界一使い易い言語である」とは、とても言えないと思って居たのですが、台湾のタイヤル族(高砂族)が、日常語で使い続けて居るとは迂闊にも知りませんでした。

 そして、高砂族で思いだすのが霧社事件で、事件の発端は、日本人の幼児誘拐~殺害事件の主犯が高砂族であったと判明し、最初は日本人の地元警察が高砂族の犯人の検挙を目的にして居たのですが、その裡、軍が出動する内戦状況迄悪化して、多くの現住民と警官や兵士が犠牲になりました。

 台湾の内戦状態は統治開始時から30年も続き、双方に3万人の犠牲者が出て居ます。 でも、その間に、日本は何も近代設備が無かった台湾に、病院を造り、学校を建て、鉄道を敷き、港湾を整備した上、サトウキビの栽培を奨励して、台湾製糖を創り上げて、原住民の定職化の受け皿とし、同時に現金収入の道を開きました。その他にもダムを造って、急増する電力を賄ったのです。 それ故台湾は、僅か30年余りで、赤字財政を黒字に転換せしめ、日本に逆に貢献し始めた位です。

 是を、「植民地だ、搾取だ」と言う左巻きがいますが、日本が統治する以前にはオランダが、明末期から清朝初期に懸けて、台湾を植民地にして居ましたが、「フォルモサ=麗しい島」とのネーミングの割に、次の統治者大清帝国にとっては、「化粧の地=化け物が棲む土地」との認識で、「3年統治すれば、2年は背く」と、難治の場所としての認識しか無かった。 ダカラ、日清戦争の賠償で台湾を割譲して貰っても、「騙された」と言う認識しか無かったと言います。

 この九州ほどの大きさの島が、「親日」として今有るのも、日本の先人達の血の滲むような、努力と、我慢と、そして原住民に対する優しさの結果であると思います。

 ホント殆ど同じ条件なのに、朝鮮とは偉い差ですね。 台湾と©韓国が仲が悪いのもうなづけます。

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