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2017年10月15日 (日)

どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れている

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集

姓・嬴(えい)、氏・趙(ちょう)、諱・政(せい)は、紀元前221年に史上初の支那統一を成し遂げ、始皇帝と称し、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。

始皇帝が君臨した秦は、彼の死とともに崩壊し、その中から、項羽と劉邦という2人の人物が頭角を現す。

項羽は、楚の将軍の家に生まれ、優れた体躯を持ち、兵学を学び、万夫不当の猛将、部下に慈悲深く、惚れた女に一途。

劉邦は、農民の出で本名すらよくわからず、武勇拙(つたな)く、兵法にも政略にも政治にも疎く、強者にはへつらい、弱い者には傲慢で、女にだらしない。

しかし現実に天下を獲ったのは劉邦だった。

ーー

大元帥の韓信が劉邦に曰く、

「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」

この「将才と君才」について、あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うた。

韓信、答えて「陛下ならざっと10万といったところでしょう」と。

では汝は如何にと劉邦は続けて問うた。

「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」

「余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」

「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」

ーー

つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物なのである。

ーー

項羽は、范増・陳平・韓信という錚々たる人材を擁していた。

にもかかわらず、ひとり、またひとりと項羽の下を去っていった。

なぜ項羽から、人が去っていったのか?

項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、敵からは鬼神の如く怖れられていた。

一方味方に対しては、礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せた。

しかし項羽には、致命的な欠点があった。

ーー

韓信曰く、「彼は、いざ褒賞を与える段になると、途端に、これを渋る。これは致命的です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」と。

つまり「家臣に仕事を任せ、功に対して惜しみなく恩賞を与える」ことだ。

ーー

どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れている。

しかもその成果は、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはない。

それを、我が物とすれば、必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていく。

項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼした。

ーー

与えよ、さらば与えられん

得たものは、必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果なのだ。

ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与えよ。

得たものはなくなり、与えたものは増える

ーー

劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与えた。

そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきた。

ーー

「希望の党」が「失望の党」に変わってしまった。

小池氏の都民ファーストの会自体が、小池氏の豊洲移転中止の独断によって、機能不全状態になっている。

その癖が「希望の党」にも出てしまった。

「希望の党」の人事も小池氏の独断で決まるといった不透明なものになった。

それを嫌って小池氏の周りには優秀な人材が集まっていない。

つまり女史には君才は無いということに成る。

一方の前原氏は、「武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にへつらい、弱い者には傲慢で、女にだらしない」と言うところは劉邦に似ている。

しかし、政党助成金を我がものにしようとしている。

彼もまた君才の持ち主ではないということだ。

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コメント

項羽と劉邦については、司馬遼太郎の小説でも有名ですが、武力を考えると、項羽の方が劉邦よりも強いのに負けてしまった。
それに、この文中にある韓信も後に、劉邦によってころされてしまった。
中国の歴史小説の題材が、沢山あった時代だと思います。


とろろで、小池都知事や前原民進党代表を、中国の歴史小説の英雄達と並べて見ますと、ちっとも面白くないです。

その理由は、小池氏の場合、写真1枚を撮るのに3万円だとか、立候補者は資金を希望の党に提供するとか、民進党の党資金を選挙資金等の枯渇している希望の党が使えるように画策しているとか、けち臭いというか、そこが見えているというのか。

一方の前原氏だって、負けてはいません。
党の代表になったと思ったら、民進党の人気がないことから民進党の党員全体を、出来たばかりの希望の党に移動するという奇策です。
少なくとも政権を一度は取った民主党が不人気のため、党名を変えた民進党ですが、その名を変えただけでも呆れたのに、その党を解体して新党に合流するのですから・・・・。

考えてみたら、民主党から追い出された小沢氏は、民主党時代に細野氏や前原氏に指導してたと思いますし、小池氏と同じ等になったことがあります。また、共産党を含めた野党は選挙協力をして選挙を戦い、選挙後は共産党を除く野党は連立し、共産党は閣外協力をすることで、政権を自民党から奪還する事は可能だったでしょう。

しかし、希望の党からはみ出た枝野氏が、立憲民主党を作ったことからこの企ては挫折しました。前原氏なら説得できても枝野氏は小沢氏の企てに乗りませんし、枝野氏は共産党となら組むとの関係にあるからです。

小池氏は項羽程の能力がないのに、志を同じとする者を重用しませんし、何事も一人で決める上にその経過は非公開です。今は、情報公開が必要な時代ですから、小池氏の政治スタイルは時代遅れで、都民はいずれ信用しなくなると思っています。

項羽と劉邦の時代は、失敗すればしが待ち受けていました。
しかし、今の日本では失敗しても、数年で前の失敗はなかったの如く蘇ります。

団塊の世代の一人として、民主党政権の悪政の数々を、忘れないように伝えたいと思います。

テレビ報道番組で、北朝鮮問題を朝日で討論してるが、当事者が討論してるが、なに食わぬ顔して、誤魔化しが通じてるのか?

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