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2017年10月11日 (水)

いわば朝敵の藩の元祖だから明治新政府からは徹底的に無視された

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

中村彰彦『保科正之 歴史の裏に真あり(2)』(自由社ブックレット)

保科正之については最近まで無名に近い扱いを受けてきた。

ところが江戸時代には大宰相と言われた人物であった。

ーー

「藩政と国政には、現代政治の先を行っている点が多々ある」

「貴賎男女の別なく九十歳に達した会津の領民には終生一人扶持を与え続ける、と発令しました」まさに国民年金制度の先駆けである。

ついで「旅人が病みついたときは医者を呼んで治療させよ、その旅人が手元不如意なら経費は藩庁長が出す」とした。

これは「一種の救急医療制度」だったわけである。

ーー

「国民年金制度と緊急医療制度を養老保険・傷害保険とみなすなら、これを初めて国家政策として採用したのはドイツ第二帝国のビスマルク首相」だった。

つまり欧州より220年も早かった。

明暦の大火でも、『疾風に勁草を知る』が如くに沈着冷静にことにあたり、難民救済、江戸の再興計画を建て実行した。

そして犠牲者の慰霊事業をてきぱきと行った。

ーー「疾風に勁草を知る」《「後漢書」王覇伝から》

激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。苦難にあってはじめて、その人の節操の堅さや意志の強さがわかるということ。

ーー

何故そんな人物が今まで忘れられていたのか。

第一に明治維新以来、日本人が古き時代の改革に興味を失ったこと。

第二は明治以降の支配者となった薩長が徳川幕府の歴史を徹底的に無視したこと。

第三は占領軍が占領政策として日本の歴史を破壊したこと。

ーー

占領軍は、戦争責任が日本あるという教育と、メディアを使っての東京裁判(自虐)史観を日本国民に強制した。

それによって日本の歴史は自虐史観一色となり、公正で客観的な日本の歴史は長い間、顧みられなかったのである。

ーー

ネット環境の出現によって、占領軍の占領政策に協力し、敗戦利得者となった在日・反日勢力の存在が明らかになる。

そして、在日・反日勢力によって破壊された日本の歴史が見直されるようになった。

そんな中で中村彰彦は、保科正之を再発見したのだった。

氏の『保科正之』(中公新書)はベストセラーとなった。

次いで氏は、保科正之をモデルに小説も書いて高い評価を得た。

ーー

保科正之は二代将軍秀忠の側室が産んだ庶子であり、高遠(たかとお)の保科(ほしな)家に預けられた。

それが三代将軍家光の知るところとなる。

家光は、正之を中央に招き、幕政を彼の手腕に託した。

正之は、将軍家の血筋であることをうまく使って、政治を行うことができた。

さらに四代将軍の助言役となって、以後四半世紀、事実上の日本の宰相として数々の偉業を成し遂げた。

ーー

その手柄によって、保科正之は、山形から会津へ配置換えされ、会津藩の主(あるじ)となった。

幕末には、幕府側となった会津藩は京都守護職として薩長に敵対し、官(新政府)軍と会津戦争(戊辰戦争)を戦う。

会津は、会津城籠城戦(慶応4年8月23日 - 明治元年9月22日(1868年10月8日 - 1868年11月6日))を1カ月間戦い、ついに降伏したのだった。

いわば朝敵の藩の元祖だから明治新政府からは徹底的に無視されたのだ。

ーー

本書は、保科正之の行った政治に現代的解釈を施しており、分かり易くなっている。

とくに若い人に読んで欲しい本である。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 保科正之ですか、良い処を衝いてきますね。彼抜きでは、徳川の265年の治世はなかったであろうと迄云われた名君ですね。 嫡子である家光の異腹の弟ですが、庶子として生まれたからにはコンプレックスや嫉妬を持ち易い立場なのに、弟でなく家臣として仕えた事が兄である家光や忠長に好かれ、生涯を通して順調な出世をして一生を送りましたが、その実、実の父である秀忠とは御目通りも適わず死別、実母や養母の若い死、更に多くの子供を成しながら、その2/3に早世される等、亦、晩年労咳を病み、おまけに失明すると云う、健康面では大変な一生だったようです。 

 映画でも演劇でもそうですが、江戸期の物語となると町民の話が主となり易く、武家階級が実際はどの様な環境で仕事をしていたのかがあまり伝わってきません。然し、武家とは何だったのか、という視点をもぅ一度復活して、日本とは何かを知る事こそ大切だと思います。

それに戦後の自虐史観と云いますかマルクス史観で、「古いモノには、今より優れたものは存在しない」と云う決めつけと、為政者米国の人種的偏見を伴った文明観では日本の明治以前の文明は、中世欧州の様に文明的暗黒時代であったと考えられていましたから、明治期以前の日本文化を、主に、工芸品、美術品を通して知る毎に驚嘆して居ますが、実際には、此の保科正之や池田光政、上杉鷹山の様な、名君、英君と呼ばれた、為政者(政治家)達は、西洋で英邁とされているどの君主、政治家と比しても全く見劣りしない人々であると云えます。 亦、数多の名君を名君足らしめる家来衆や、名も無き農民達の公を思い犠牲を引き受ける志の高さは、世界に誇ってよいモノと私は思います。

 日本の佳き伝統を次世代に伝えて行こうとする時「日本人である事に誇りを持つ」これが非常に大切なのですが、日本では、歴史を正確に追いかけるだけで自然に其れが出来る事が素晴らしいと思います。 名君英君として名が挙がって居る人を崇敬するのみならず、何故優れた政治が出来のか、という背景を学んでほしいモノです。

 私は薩摩の出身ですが、明治期に、保科正之公を幕府側の人だからと云って無視した、と云うのは新政府建設に傾注して居たとはいえ、薩摩人としては非常に残念な事です。

日頃の不勉強と言うより、無知でしかありません。
名前は知っていたのですが、その業績は全く知りませんでした。

>「藩政と国政には、現代政治の先を行っている点が多々ある」
>「貴賎男女の別なく九十歳に達した会津の領民には終生一人扶持を与え続ける、と発令しました」

支給年齢はいささか厳しいのですが、国民年金による高齢者への給付です。

>「旅人が病みついたときは医者を呼んで治療させよ、その旅人が手元不如意なら経費は藩庁長が出す」

「行旅病人及行旅死亡人取扱法」と言うのが法律にあり、行旅病者の人には役所対応と言うことになっているのですが、このような制度が300年以上も前に行われていたことには、驚きしかありません。

旅人の病人と言うことですが、江戸時代にお伊勢参りをする人は、襟に1両小判を縫い付けて、万一に備えていたと読んだことがありましたけれど、遠い昔の旅には大変な苦労があったことと思います。


>何故そんな人物が今まで忘れられていたのか。

自分の不勉強を棚に上げて、言えたことではないのですが、日本の歴史を教えることが放棄されていたのですから、教えない方が悪いの一言になってしまいます。
しかし、本質は占領軍による占領政策によるものだと思います。
自分の国の良いことを知らずに悪いことだけを教えて、侵略国家だとされていては、日本の国が良い国だと子供達は言えないのです。


>ネット環境の出現によって、占領軍の占領政策に協力し、敗戦利得者となった在日・反日勢力の存在が明らかになる。

ネット環境というのは誠にありがたいもので、自分がこれまでに知らなかった事柄を、これまでとは別の方向から教えてくれます。

同じ事を読んでも、見る方向が違えば考え方も違っていて、より正確なことを知ることになります。
このネット環境の出現は、敗戦利得者にとって大変危険な状況を呼ぶことになったのですが、私のようなもの知らずにとっては、本当にありがたい道具だと思います。

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