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2017年10月24日 (火)

「扶養の保証」は、実は女性が長い人間の歴史の中で切に求めてきたものである

ーー以下「鈴木傾城ブログ」より抜粋編集

かつての日本社会は、村社会であり、女・子供・老人は、共同体から支援を得て暮らしていた。

また古い家柄を誇りにする家族は、家族で女・子供・老人を守っていた。

そして夫婦は、一生添い遂げるものとされていて、女性は、夫によって守られた。

ーー

しかし、いまや村社会も家族も夫婦の絆(きずな)も、個人主義や自由主義の名の下に破壊されようとしている。

ーー

この村社会、家族、家庭は、女性にとっては自由を縛る「悪しきもの」だった。

現代の日本女性はそこから解放された。

しかしこの状況は女性にとって良いことだったのだろうか。

ーー

男女平等による、自由恋愛、自由な性行為は、女性が心から望んだものであった。

それは、男の支配からの脱却だったのだ。

しかし、逆に言えば、男もまた女を守らなければならないという束縛から解放されたことを意味する。

女性が自由に恋愛できるということは、男たちもまた自由に女性を渡り歩きやすい社会になったということだ。

ーー

つまり男女平等ということは、女が男性を扶養しないのなら、男も女性を扶養しなくてよいということを意味する。

女が自由を主張することで、男は女を扶養する必要が無くなった。

ーー

しかし男・女は、なるほど平等の権利を持つが、明らかに異質の存在である。

女は「妊娠・出産・授乳」という責務から逃れられない。

生物としての「妊娠・出産・授乳」の存在はむしろ男女平等を否定するものだ。

ーー

女性は自由を手に入れたと思ったのだが、それはもしかしたら錯覚だったのかもしれない。

ひょっとすると男女平等の主張は、女性が「妊娠・出産・授乳」の責任のすべてを抱え込んで苦境に落ちることを意味するのではないのか。

女性だけが貧乏くじを引いたような不均衡な社会が出現するのではないのか。

ーー

どんなに仕事第一の女性であっても、妊娠・出産・授乳中は仕事に全力で取り組むことができない。

子供は常に母親を必要としており、母親がそれに応えないと子供は死ぬ。

子供に時間を取られるのは女性の必然である。

ーー

一方で、男は「子供ができた」と言っても、自分が妊娠するわけでもないし、出産するわけでもない。

つまり「働き続ける」という観点から見ると男は女性よりも有利な立場にある。

女性は「自由恋愛、自由な性行為、男女平等」を手に入れた。

それは結果的に、自分が責任を抱え込む不利な立場を呼び寄せた。

ーー

男は生物学的に「妊娠・出産・授乳」を負うことは出来ない。

つまり女が、自由な性行為を追求すれば、「妊娠・出産・授乳」を、一人で抱えるしかなくなる。

女性たちは自由を得た代わりに、家族の支援、強固な結婚の契による夫の支援を失ったのだ。

ここに女性の誤算があった。

ーー

母子家庭というのは、まさに「ひとりで責任のすべてを抱え込んだ女性」の姿なのである。

母子家庭は子を産ませた男の「扶養の保証」を失った。

扶養の保証がなくなり、ひとりで子育てをしなければならなくなった。

確かに困った時には、公的支援がなされる。

しかしそれはギリギリの支援をしてくれるにすぎない。

ーー

女性が自由を得ると言うのは女性にとっては大きな恐怖である。

孤立した中、誰にも助けてもらうことなく「妊娠・出産・授乳」を強いられるからだ。

どんな女性であっても恐怖しないわけがない。

ーー

「扶養の保証」は、実は女性が長い人間の歴史の中で切に求めてきたものである。

それこそ、石器時代から、女性は「扶養の保証」を男に求めてきた。

妊娠・出産・授乳の期間、女性は素早く身動きできないし、食料を獲りに行くこともできないし、猛獣から我が身を守ることもできない。

子供ができたらなおさらそうだ。

だから、自分を守ってくれる存在が必要だった。

女性は生き延びるために「扶養の保証」を必要としているのだ。

ーー

だから、女性は責任感のある誠実な男を好む様に、いわば作られている。

「扶養の保障」を得るために女性は、男に従うとか、尽くすとか、貞操を守るとか、様々な「縛り」を受け入れてきた。

また自分が貞操を守る代わりに、夫にも自分以外の女性と精神的に深い関係にならないように縛り上げてきた。

女性が、たとえ肉体関係がなくても夫が他の女性を優しくするのを嫌うのは、「扶養の保証」が揺らぐからなのである。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

縦椅子さま

 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 ねこは居心地のいい家を我がもの顔に、動き回り、心地よい居場所を求めて、ドカッと寝そべり、毛づくろいをする、自分の気にいった人にしか近づかないーーー一方犬は、ご主人の気持ちを忖度し、顔色をみて、いつも即座に動けるように控えているという特色から、犬猫は男女に例えられるとおもいます。
 ねこが、のうのうと暮らせるのは、ご主人様の庇護のもとにあるからですが、ねこは一向に頓着していません。しかもねこは人の軒先で何匹も子猫を産んで、上手に育て上げている、大したものです。
 最近テレビでもレンゲティ国立公園のライオン母子がのどかに戯れている様子が映されていましたが、その近くに堂々としたたてがみの雄ライオンが、君臨していました。
 しかし、人間社会では、庇護を失うことは、大変な状況に身を置くことになります。子供時代は両親の庇護のもとにありましたが、両親は「精神的独立」するように導いてくれたように思います。だから、いつかは独立しなければという覚悟がありました。
そして、ありがたいことに、いまあるのは、いろんなお助けがあるからだと感謝いたしております。
 

>qazxさん
>>男・女は、なるほど平等の権利を持つが、明らかに異質の存在である。女は「妊娠・出産・授乳」という責務から逃れられない。生物としての「妊娠・出産・授乳」の存在はむしろ男女平等を否定するものだ。
良いお題を取り上げて頂きました。 私は日本では、古くから男女の権利について確固とした常識を築いてきていると思っております。 其れは一言で言うと、「同権異質」です。

 是に対し、国連などからは、日本は男尊女卑の野蛮な国のような言われ方をして居ますが、トンデモナイ間違いだと思います。

 西洋式の男女平等の原点は、アダムとイブの話で、イブはアダムの肋骨から創られた事になって居る、つまり、元々男の一部でしかない、人間として不完全なものでしかない、と言う認識の存在なのです。 是は、西洋文化の根源がキリスト教に多く依存して居る事、そのキリスト教は、ファリサイ派の士師だった使徒パウロが主になって編纂した新約聖書を最重要視して来た事にあるワケで、ユダヤ教の教えと変わらないと言って良いでしょう。

 然し日本の古事記や日本書紀は、女神である天照大御神を原点にして居る事、記記が編まれた時代には、既に女性は織物を紡ぐ事を生業にする等、既に男女分業が当然視されて居た事、ペリーが来日した時に、「日本は、女性を家畜のように扱うシナ朝鮮とは違い、女性の権利が男並み、否、男以上に認められている」と報告した事・・等々、日本文化の先進性と共に、社会常識の先進性も見直され始めて居ます。

 ですから、↑の文章は、その真髄を語って居ます。 何故、日本の男女観が同権異質なのかを細かく説明しており、如何に、日本の社会常識が先進的であるかを述べて居ます。

 今でも欧州では、女性が外で、一人で、或いは、女性同士で、男性の付き添い無しで食事する事等考えられない事の様ですが、日本の常識に照らせば、其れこそ考えられない事です。

 例えば西洋では、女性の文学者の登場は15世紀でしかありませんが、日本では、紫式部や清少納言、そして万葉集に出て来る遊女が詠んだ歌迄、700年以上前の7,8世紀には既に庶民層の最下辺に居る遊女までが、俳句や和歌に親しんで居た可能性が示されて居ます。

 この日本の歴史を無視しているから、西洋発のフェミニズムは日本では、特に女性から支持をされないのです。 古いものを否定しているから善、と言うマルクス史観でしかないフェミニズムの押し付けは、2千年以上の経験を経てきた日本文化を現実に知って居る女性に取って、迷惑以外の何物でもないのです。 

真に女性が求めているのは、妊娠・出産・育児期の不自由で不安な時期に庇護してくれる力を持った存在なのです。 女性が家畜並みや不完全なものとしか扱われて社会に育った人間が、頭で想像しただけの男女平等制度では、現実的な欠陥に気が付けないのですね。

 世界で一番古いが、一番進んだ男女観を体現している社会制度を事もあろうに、野蛮呼ばわりしているのでは、無知にして考えが足りないと言うしかない。

>かつての日本社会は、村社会であり、女・子供・老人は、共同体から支援を得て暮らしていた。

子供の頃の義務教育では、日本は男女同権ではなく、男尊女卑の国と教えられたのですが、成人してから少しずつ、このあたりのことを疑うようになりました。

村社会では、弱いとされる人間を上手に保護してきたのが、日本だと思います。
そして、これを戦後の日本は弱めてきました。
どう考えても、GHQの影響は大きいのでしょう。村社会は、農地改革によって、解体されたと思います。

それはさておき、戦前にも数は少なかったけれど、社会進出を果たしていた女性もいたと思います。
その人達は、結婚していた場合もあれば、終生独身の場合もあったと思いますが、日本は意外に、男女同権が進んでいたのではないでしょうか。
ただし、それは一部のものであって、全体的には女性の個人的な行動は縛られていたと思います。


>この村社会、家族、家庭は、女性にとっては自由を縛る「悪しきもの」だった。

当初は、女性を守る手段であった村社会は、女性としての自由と言うよりも一人の人間とした場合には、束縛が強いと考えます(その代わりに、守られる権利は放棄します。)。
このことは、体力的に女性は男性よりも非力ですから、危険を呼ぶことがありますが、現代は交通手段や治安の面でも昔より改善されていますから、男性と女性の差は無くなったと思います。


>女は「妊娠・出産・授乳」という責務から逃れられない。
>生物としての「妊娠・出産・授乳」の存在はむしろ男女平等を否定するものだ。

これは、性差ですが、近年、子供を産まない女性が増加している気がします。それも、高学歴というのか、労働能力の高い女性にこれが目立つと思うのです。
昔なら、女性個人が生きていく上には、男女間の収入格差があって厳しい社会だったと思いますが、現在は男女間の収入格差は少なくなっており、女性は子供を産むことを除けば、生涯を一人で暮らせるようになっています。

それならば、子供を産まず、育てないとの覚悟をすれば、男女の差は無くなっていると言えるのです。
男性は子供を産ませる性であり、女性は子供を産んで、育てる性との考え方が、本能に基づくものであるとの為政者の姿勢は、女性の労働生産性の向上によって、崩れつつある事を受け入れなければならないと思います。

従って、女性は子供を産んで育てるのは当然であり、これを為すために男性は女性を守るとの姿勢も、これからは崩れると考えます。

どちらかというと、子供を産み・育てることはこんなに素晴らしいとの、女性が子供を産み・育てる本能を醸成するつもりでないと、日本の人口を維持することなど出来ないと思います。
勿論、女性一人では子供を作れませんから、女性と共に子供を考える男性にも、育児に対する心構えが必要とされると思います。


男性が性について自由だからと女性も性については自由との考え方は、間違っていると思います。
これによる性病の蔓延は、米国においても大きい問題になっていると思いますし、HIVの場合には数十年後に国を滅ぼす可能性があります。

マスコミでは性の自由についてを、どう考えても推進していますが、これは朝鮮半島や支那による、大和民族の毀損のためと考えても良いと思います。その証拠の一つが数年前までの毎日新聞英文サイト変態記事事件だと思いますし、えんこうのことをことさらに取り上げるワイドショーが多かったことだと思います。

20年位前には米国でも、性の自由を取り上げた記事が多かったのですが、近年はこれについて抑制的になってきたとの記事を見たことがありました。
日本では、何でも米国のことを追いかけることが多いのですが、こんな事まで追いかけて、真似をする必要はないと思います。

それから、他国のことではありますが、イスラム教の一夫多妻で妻を4人までとしていることについては、男性が何らかの事故で失われることが多かったと思うのですが、男性の喪失による妻の生活保障のためと、聞いたことがありました。

>ポッポさん
>>ただし、それは一部のものであって、全体的には女性の個人的な行動は縛られていたと思います
  では、何と比べて「女性の個人的な行動が縛られていた」と云うのでしょうか、村社会で有ろうと何だろうと、人間が社会生活を営めば、それなりに行動に制約が懸るのは、男女に変わりは無いと思います。 唯、制約の質が違うダケの事。 女性は適齢期に成れば嫁に行って、子を産み育て、他人の家を一生を懸けて護らねばなりませんが、男は成長すれば壮丁として、兵士として国を護らねばならないのですし、家の興隆の為に、一生を懸けねばなりません。日本では、男女それぞれの質を異質なものと見定め、同権異質こそが、男女平等の有るべき姿だとしたのです。 

 処が、西洋文明が持ち込んだ男女平等は、所謂ジェンダーフリーの考え方ですが、是は謂わば、同権同質の考え方で、現実的な性差を無視しているが故に、とても不自然なモノです。 この考え方は、キリスト教、否、その土台となったファリサイ派ユダヤ教の女性を「悪魔」と看做したり、ユダヤ人の民族記でしかない旧約聖書に云う、「男の一部からできた、人間として不完全なモノ」と云う白人文明独特の、男性中心の社会の認識に対する、近世やっと自分の意見が云えるようになった女性側の反動でしかありません。

 然し日本は平安の昔より、女性の意見や立場は、その地位の貴賤に拘らず尊重されたものでした。但し、女性がするべき事はちゃんと決まって居たのですが、それは日本文化の特徴でもある、分業と云う考え方の敷衍であったと思います。 家庭内では、家の代表として夫を立てるが、家政と成れば女性の権限が大きかったというのが、日本式の家政であると思います。 

 然し、欧州文明では全く違います。 家庭の中でお金を支配しているのは当然の如く、夫です。 ですから、女同士でお金のかかる外食など以ての外なのです。 つまり、欧州の女性は未だに、日本の家政で云えば、一人前の人間と看做されていないのです。

 どぅも戦後のWGIPは、この面も戦前日本を悪にしたいようなのですが、どっこい、日本の女性は平安の時分から、意識を高く持つことを許される環境だったから、ジェンダーフリーの欠陥=未熟な平等認識を見破り、態々女性が不利になる話は受け容れないと云う認識の方が優勢になって居るのでしょう。 日本のジェンダーフリーの御大将である、東大名誉教授の上野千鶴子等は、単純にWGIPに乗っかっただけの戦後利得者に過ぎません。

 日本では平安以降維新前迄の社会は、ご指摘が有った様に閉鎖的な村社会でしたが、そんあなかでも、女性の地位は黒船のペリーが驚いた様に極めて高く、町屋などでは「家政を取り仕切り、男を使っている状況でした」、ダカラ維新が成って、世間に西洋文明が流れ込んでくると、早速100人を超す女性が海外に留学して居るのですが、是は、留学する若い若しくは幼い女性自身に対する周りの信頼が有ればこその話です。この現象は、送り出す側の父親は勿論、母親の後押しが無ければ到底実現できることではありません。

 然し、留学した彼女らが得られた事は、西洋文明に対する疑問だらけだった様です。ですから、帰ってきた女性の中には、女子大を創設したりする女性もいましたが、是とて社会が、女性の社会進出を容認する風潮に無ければ、換言すれば、女性の後押しが無ければ、無理だったと思いますし、女子大で教えた事も、良妻賢母を育てると云う保守的な話だったから、社会に受け入れられたのです。

 そして、大正期になる頃、共産主義が欧州で流行り、其れを輸入したのは留学生ですから、当然高学歴のエリート層でしたので、日本の赤化は、近衛文麿がコミンテルンの細胞であったように社会の上層から始まったと云えましょう。 それ故、高学歴の女性もその影響を大いに受けたと云う事です。

然し、この先もジェンダーフリー思想が日本に定着するのは無理でしょう。 進んだ社会に劣った思想を持ち込んで、幾ら囃し立てた処で、その内容を知れば大勢から批判されて御終いです。 WGIPの先兵を自認しているマスコミも、「社会の民度の差」ばっかりは如何ともし難かった様ですが、自分の考えを持てないオッチョコチョイの人間は、人生を台無しにする程のめり込むのですね。ww

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