つまり「希望の党」には、戦略も戦術もなかった
ーー以下「頂門の一針、前田正晶コラム」より抜粋編集
私は米国で長い間会社経営に携わった。
それで、会社の経営や各事業部の運営には戦略と戦術が必要だと考えている。
これは、選挙や政治にも当てはまると考えている。
ーー
strategy 、戦略、戦術よりも広範な作戦計画。
tactic通例〜s、戦術、戦闘における戦力の使用法。
ーー
この戦略と戦術を使って「希望の党」の敗因を考察してみた。
1、何を目指すのか目的(戦略)が不明である上に一貫していない。
2、目的(戦略)が指導者から組織の全員に明確に伝えられていない。
3、目的を実現するための局面毎の戦術がない。
ーー
「希望の党」は、「党首のやり方には一貫性がなく、その局面毎に場当たり的でしかない作戦を誰にも相談せずに自分だけの判断で立てていった」ために失敗した。
つまり「希望の党」には、戦略も戦術もなかったのだ。
ーー
そこでは小池さんの指導者としての経験が問題になる。
女史は局面毎に敵を作り上げている。
都議選での敵は、自民党都議の「ドン」内田茂であった。
そして石原慎太郎に対しては、不正を行っていたという嫌疑をかけて都議会のまで呼び出している。
ーー
これらは、「マスコミの話題になること」が目的であり、敵をつくることはその戦略であろう。
つまり女史には、都民の暮らしを良くするという、都知事としての仕事が分かっていないということに成る。
だから、女史の「広報作戦」に踊った人たちも、時が経つにつれて、正気に成った。
そして都政が何も改善していないことに気づいて、一転して女史を批判しだしたのだと思われる。
ーー
彼女は防衛大臣までを経験した。
その時に組織が如何に出来上がっているかを承知していて然るべきだった。
しかし女史は、何も学習していなかったようだ。
自分の政党を2度も設立しておきながら、ついぞ参謀本部も設けず、諮問機関を置くこともなかった。
女史は、練達の参謀を用いず、局面に臨むや、自分だけの判断で場当たりの対策を打ち出した。
ーー
「希望の党」の教訓は「指導者は組織目的を持ち、それが組織構成員全員に遅滞なく徹底されているべきだ」ということだ。
構成員は、目的が何かが分らなければ動きようがないのだ。
しかし組織運営に慣れている筈の自民党であっても、当選2回組からおかしな議員が多く出た。
これは、組織の運営というのが容易ならざる仕事であることを示すものだ。
ーー
だからこそ、我が国の会社では新卒者を採用して自社の色に染め上げ、全体の和を尊しとし年功序列を重視してきた。
一方、アメリカの組織は、飽くまでも個人が主体で、その能力と経験を買う。
能力と経験のある個人を採用して組織の運営をその個人に委(ゆだ)ねる。
そういうやり方に成れた集団である。
ーー
小池さんはやたらに英単語を発言の中に散りばめる。
女史は、恐らく、アメリカ式の組織運営をしたいのであろう。
が、女史は自己過信もあるのだろう、能力と経験のある個人を採用してはいない。
これでは、アメリカ式ではあるまい。
仮にも女史は世界最大の都市の知事なのである。
女史には、組織を熟知し、それを都民のために運営してほしいものだ。
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コメント
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>「希望の党」は、「党首のやり方には一貫性がなく、その局面毎に場当たり的でしかない作戦を誰にも相談せずに自分だけの判断で立てていった」ために失敗した。
希望の党の創業者である小池都知事の最終目的は何であるかについて、日本の首相であるとは考えていませんでした。都知事選挙に出馬したときで、東京都知事であると思っていたのです。
そして、希望の党の創立時に、そうではなかったと思いました。
希望の党の創立と小池氏の主張、民進党からの数人の離党と彼等の希望の党への入党までは、マスコミや世間の風が希望の党にとって追い風でした。そして、小池氏は選挙はテレビがするという余裕を持っていました。
これが変わったのは、前原氏が小池氏と会議の結果、民進党の全員が希望の党へ入党すると言ってからです。
小池氏は首相への意欲はあったでしょうけれど、これに対する基本方針はあったと思うのです。ですから、その方法は堅持するのが当然でした。
民進党の全員が希望の党に入党すれば、当然のことですが、これまでに希望の党に入党していた者は完全に少数派になります。そして、元民進党の者が希望の党の方向を多数決で決めるとなった場合には、既に希望の党へ入っていた者や小池氏の考え方は否定されるのです。
ですから、小池氏は民進党への入党希望者を選別して、自分の意向に沿った者だけを入党させることにしたのですが、これが「排除」でした。
言葉は、日本人好みではないのですが、これもマスコミが希望の党から離れた理由にされています。
マスコミから批判されてから、小池氏は外国人参政権を認めないから賛成に変わりましたから、小池氏も変節したと思いますし、これがぶれたとされたことです。
この頃に、枝野氏が立憲民主党を立ち上げ、マスコミはこれの支援に回りましたから、小池氏は苦しくなったと思います。そして、追い風が向かい風に変わってからは、希望の党の立候補者の内部からも希望の党の方針に反対して、初めの政策協定書を無視するものまで出る始末でした。
選挙の結果、希望の党は立候補者200人以上の内50人だけが当選し、150人以上が落選、選挙は惨敗と言われています。
そして、立憲民主党は55名が当選して野党第1党となり、今はマスコミに持て囃されています。
>つまり「希望の党」には、戦略も戦術もなかったのだ。
小池氏は、前原氏が民進党の全員を小池氏の政策協定書に賛成させた上で入党させれば、小池氏は多数の議員を所属させる希望の党の代表になるので、首相も夢ではないとしたのですが、これを受け入れた小池氏は浅はかだったと思います。
政党は、目的と理念に基づく綱領と政策を打ち出して、これを元にする公約で選挙に臨み、これが有権者に支持されれば良いのですが、支持されない場合には、より確かなものとして地道に活動していくと思います。
おいしい餌が目の前にあるからと言って、方法を変えてしまっては餌だけでなく、これまでの支持者もなくしてしまうのです。
もっとも、被害を受けたのは民進党の議員ではないと思います。
この被害を受けたのは、民進党議員が大量に入党したために、小池氏を信じて入塾した熟成だとも思います。
熟成の候補者の全てが政治家を目指したのか、政治屋を目指したのかは不明ですけれど、何人もの真面目な愛国者が希望をなくしたことも間違いないと思います。
そして、民進党の議員の多数は政策協定書を提出して、それまでの主張を止めても構わないとしました。その連中の中には、選挙中に首長を元に戻した人もいますが、政治家として多数の国民の一票の代理で行動するのが代議士です。
主張をころころ変えられるのは、代議士の資格がありません。
今回の選挙で、国民の一人として理解できたことは、代議士は自分の主張を支持する人の代理として国会で行動するのです。それが、選挙後の変心ではなく選挙中から主張を変えるのでは、有権者は候補者を本当に信用できるのかと思いました。
投稿: ポッポ | 2017年10月29日 (日) 17時21分
残念ながら、小池さんには、戦略、戦術処か、信念もビジョンもなかったと思いますね。 つまり、ドゥ云った新世界を描いて見せられるのか、と言う政治家に取って命とも言える「夢」を語る事ができない人なんだと、此の度分りました。
彼女は所詮、国民の前でマスコミが描いたとおりに踊って見せるタレントでしか無かった、と言う事です。 都知事選では、内田茂と言う格好の悪役が居ましたし、自民党が全面的に都議会を支配して居たワケで、「大きな悪に向かって、単騎で向かう・・」と言う「絵になる」状況だったワケで、それが彼女を誇大に評価する原因となった。 たぶん彼女自身も、過大な自己評価をしていたと思う。
それは彼女の敗戦の弁を聞いて居れば分る。 「何処で間違えたのか分らない」 「私自身に驕りがあった」・・、間違えたのは、自分が何に拠って立って居るのかを冷静に分析出来て居なかったからだろうし、驕りがあったとすれば、端からだろう。
つまり、負けるべくして、負けたのである。 彼女が万が一にでも、首相になった場合、第二、第三のルーピー・菅直人が出現して居たであろうが、こう言う絵しか書けないマスコミは、日本人の敵だと言う他は無い。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2017年10月31日 (火) 07時21分