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2017年9月15日 (金)

ヒトは、海岸付近で生活し文明を発達させて、草木や虫などから身を守る衣類を用いるようになってから内陸部へと、その生息圏を広げていった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

猿人が出現したのがおよそ600万年前、ネアンデルタール系等の新人類種が出現したのが、およそ25万年前といわれています。

25万年前の人類は、火や石器を使うネアンデルタール種を筆頭に、猿人から現在の人類に近いものまで、かなり多様な種族があったようです。

ところがおよそ7万年〜7万5千年前に、インドネシアのスマトラ島にある「トパ火山」が大噴火を起こします。

その噴煙が地球を覆うように広がったことで、地球の気温が年平均で5℃も下がった。

ーー

たとえば、鹿児島での年平均気温が1℃下がると、仙台の年平均気温になる。

それが5℃下がると、アラスカの気候になり、赤道直下の気候が北海道から樺太にかけての気候になるということです。

ーー

当然影響はすさまじく、地球上の人口は、10,000人以下にまで減少したといわれています。

急激な個体数の減少によって遺伝的な多様性を失ない、わずかに生き残った種が、その後繁栄して現代の種になった。

これを「ボトルネック効果」といいます。

ーー

おもしろいことに、このときのトパ噴火後、ヒトに寄生するシラミもまた、この時期に変種が生まれています。

毛髪に寄宿する毛ジラミと、衣服に寄宿する衣ジラミで、近年の遺伝子の研究によって、この2種が分化したのも、およそ7万年前とわかりました。

このことは、トバの噴火後、急速に寒冷化した地球を生き残るために、人類が衣服を着用するようになったことを示しています。

ーー

トバの大噴火によって起こされた地球の寒冷化は、その後約5万年続きました。

その5万年が、地球上の最終氷河期と呼ばれる期間です。

その終わり頃のおよそ1万8千年前、姶良(あいら)カルデラを作った噴火が起きます。

鹿児島湾には、入り口付近に桜島があり、その内側は、およそ直径20kmの窪地を構成しているのですが、これが姶良カルデラです。

つまり、鹿児島湾自体が巨大な噴火口だったわけです。

ーー

このときの噴火による火山灰は、南九州では30m、高知県宿毛で20m、鳥取県大山付近で8m、京都にも4mも降り積もっています。

そして偏西風に乗って世界各地に甚大な被害をもたらしています。

そしてこれによって、地球はさらに寒冷化するわけです。

ーー

実は近年、南九州で、この火山灰層の下から、縄文時代の大集落跡が次々と発見されているのです。

そこでは世界最古の船造りのための工具や、燻製施設、金属を加工するための炉、縄文ではなく貝殼紋の土器などの遺物遺構が続々と発掘されています。

この人たちは、船の遺物の状況からみて、船で海上を自由に移動できる人達だったことがわかります。

ーー

さて日本列島の関東、栃木県の岩宿(遺跡)で、この姶良カルデラ(あいらカルデラ)の破局噴火よりも1万2千年古い、およそ3万年前の世界最古の磨製石器が発掘されています。

さらに島根県の出雲にある砂原遺跡からは、およそ12万年前の石器が発掘されているのです。

これはトパの噴火よりも古い時代の遺物です。

現生人類の誕生が7万年前とすると、砂原遺跡の石器は、現生人類ではない旧人類(新人)の遺物ということになります。

ーー

一方、その人々がそのまま日本列島に生き残ったのであろうことは、近年の研究成果で日本人のDNAに、ネアンデルタール系のゲノムが世界で最も多く残されていることで証明されています。

これは昨年、西ドイツの研究チームが発表したことです。

つまり日本人はネアンデルタール系の旧人類が、現生人類と7万年の歳月をかけてゆるやかに結合していくことで現代日本人につながっている種といえるわけです。

ーー

日本列島で石器を遺した人々は、7万年前のトパの噴火で多くの命が失われ、また3万年前の姶良の噴火でも、やはり多くの人命を失ったことでしょう。

ところが姶良の噴火後、およそ千年の間に、地球気温はいまよりもずっと上昇します。

そして青森でいまから1万6500年前の世界最古の土器が発掘されています。

なぜ青森なのかといえば、その頃の気温はいまよりもずっと高かったからです。

そして姶良の噴火以降の遺跡は、九州から山陰、畿内、関東、東北へと広がっている。

ーー

この時期の日本列島は、寒冷化と温暖化が数百年単位で変化しています。

たとえば森の木々にしても、森が針葉樹林になったり、広葉樹林になったりしているわけです。

このことは、人々の生活環境を劇的に変えたことを意味します。

そうした変化を生き延びるためには、当然、着衣や道具類を変えていかなければならない。

ーー

また、人は移動できるので、寒冷化が進めば南へと移動し、温暖化が進めば北へと移動します。

しかも、船を操り海上を移動することもできた。

魚は当然適した水温の場所へと移動する。

比較的漁がしやすい食用魚が移動すれば、人々は、その魚を求めて移動したことでしょう。

ーー

姶良の噴火のような自然災害がいつ起こるか分からないという状況では、子孫を別の場所に住まわせることもあったことでしょう。

古事記では、国産み神話の中で、人々(子孫)が全国各地に広がっていった様子として描かれています。

なぜなら、そうしなければ、変化する環境を生き残れないからです。

ーー

ずっと寒冷のまま、ずっと温暖のままであれば、そのような知恵は必要ないかもしれません。

けれど環境が劇変する場合、子孫の生活拠点をどこに置くかは、とても重要なことになるのです。

ーー

さて、3年前の2014年のことですが、現生人類とネアンデルタール人は、6万年前くらいから混血してきたのではないかという説が発表されました。

翌年には、米国の研究チームがDNAの研究によって、鬱病や気分障害や依存症などの精神疾患は、ネアンデルタール人由来のものであるという発表を行っています。

そして上にも書きましたが、昨年には西ドイツの研究チームが、世界でもっともネアンデルタール系のDNAを保持しているのが日本人だという研究成果を発表しています。

ーー

いわゆる文明というものは、河川と海の交わる平野部で興っています。

人類が内陸部でも生活するようになるのは、農耕が営まれるようになったおよそ1万年前からのことです。

それ以前は、狩猟採集生活なのですが、狩猟だけでなく、海洋や河川での漁が人々の生活に欠かせないものであった。

ーー

人は食べなければ生きていけません。

そして人が生活したのは、その食べ物を得やすいところであったであろうということは、容易に想像できることです。

そしてその食べ物は、野山と海や川にあります。

ということは、森があり、海にも川にも近くて、その川がいわゆる暴れ川ではないところが、人々の生活の場所になったであろうことは論をまたないことです。

ーー

実際、縄文時代の遺跡である貝塚は、いずれも当時は海に近かった場所にあります。

そうであるとするならば、人は海や川の近くに住み着いて進化したはずです。

人類の祖先が、山や砂漠地帯での生活を何万年も送ったとは考えられないし、そのような生活をしていたと証明する遺跡もありません。

ーー

体毛は、哺乳類が森で生活するのにあたって、肌を守るために絶対に必要な条件です。

ところがヒトの体毛は、サルよりもはるかに薄い。

そして海に住む哺乳類では、繁殖を陸上で行うアザラシ、トド、アシカ類には密生した体毛がありますが、それ以外のジュゴン、クジラ、イルカ等には体毛はありません。

つまり、海に近い所で生活するようになったサルが、体毛を退化させてヒトに進化したと考えられるのです。

ーー

このことから、ヒトは、海岸付近で生活し文明を発達させて、草木や虫などから身を守る衣類を用いるようになってから内陸部へと、その生息圏を広げていったということになります。

ーー

そしてシラミの研究から、ヒトはおよそ7万年前から衣類を用いるようになったことが分る。

ということは、人が内陸部に生活拠点を求めるようになったのは、早くても7万年以降のことになる。

農耕の始まりが1万年前だということは、それ以前の人々は主として海洋や大型河川から食を得ていたということができます。

そしてそのことは各地の旧石器、新石器の遺跡の所在地がこれを証明しています。

ーー

さらに最終氷河期のピークにあたる1万8千年前といえば、海面がいまよりも140mも低かった。

これは、いま大陸棚となっているところが、ほとんど海上に顔を出した陸地であったことを意味します。

黄海から東シナ海、南シナ海、タイランド湾からジャワ海に至る一帯は、実は陸であったわけです。

そして日本列島は、それら張り出した大陸棚の最東端の海に面した地域でした。

ーー

要するにこの時代の人々は、海に面した(つまりいまでいう大陸棚の縁)あたりに住んでいたことに成ります。

その後、温暖化による海面上昇によって、住んでいた地域が水没し、分断されて行った。

その時代から海に面していて、水没をまぬがれた日本列島(沖縄を含む)から、旧石器が出土するのはこのためです。

ーー

つまり温暖化で海面が上昇しても、日本列島に住む人々はそのまま住み続けることができた。

海面の上昇に従って住む土地を奪われた人々が、およそ1万年の歳月をかけて次第に支那大陸や朝鮮半島などに「追われていって住み着いた」のです。

こうした人類史というのは、まだまだわからないことだらけの世界です。

ーー

ただ一つ言えることは、日本列島に住み着いていた人々は、石器や船つくりや、金属加工まで行う一定の文化水準を持った、人達であったということです。

そしてトパの大噴火後、現生人類が誕生し、ネアンデルタール系はその環境に適応できずに、およそ2万年前には滅んだとされています。

が、どっこい、トパの噴火後もユーラシア大陸の東のはずれに、大噴火を生き残ったネアンデルタール系の人々がいた。

そして彼等は船を操り漁をして人口を増やしていくのです。

が、地球の温暖化による海面の上昇で、大陸側に追いやられたネアンデルタール系の人々は、ほとんどが殺された。

ネアンデルタール系は、強姦され生んだ児の遺伝子の中に、生き残った。

一方、海に隔てられた日本列島あるいは南太平洋の島々の人々は、その後7万年の歳月をかけて、現生人類とゆるやかに交配を重ねていって、現在に至っているのではないか。

ーー

古事記を読むと、どうやらそれらしいことが書かれているのです。

たとえば伊耶那岐(いざなき)、伊耶那美(いざなみ)の生んだ最初の子である水蛭子(ひるこ)は、海に流したと書かれています。

が、これはもしかしたら何万年もの昔に水没して失われた、かつて住んでいた陸地のことであるようにも読めるのです。

火之迦具土(ひのかぐつち)神の神語(かんがたり)は、その後にあった大きな火山の噴火を意味しているようにも読めてしまいます。

最近の様々な地球史、人類史は、次第に古事記に書かれた神語の真の意味を解き明かしつつあるような気がしてならないのです。

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コメント

猿人が出現した600万年前から、25万年前に出現のネアンデルタール人のこととは、誠に壮大な話です。

その間には、地球の火山の大噴火による寒冷期や氷河期がありますから、海岸線も大陸棚まで移動して、今より陸地が広かったり、その逆もあります。

人類だって、地球の寒冷化と温暖化の狭間で、農耕が始まっていなかったら、植物の実が増えたり減ったりで食べることもママ成りません。

文明だって、火が使えてもその先の磨製石器は、どの程度の質まで進化したのかと思いますし、土器や衣類の発明にも苦労したのだと思います。今もニューギニアには裸族がいますけれど、寒冷地の人々は、寒さに耐える方法を見つけるのは大変だったと思います。


>いわゆる文明というものは、河川と海の交わる平野部で興っています。
>人類が内陸部でも生活するようになるのは、農耕が営まれるようになったおよそ1万年前からのことです。

世界の4大文明は、河川に沿ってはいますけれど、必ずしも海と交わってはいないと思いますから、この場合の文明は、4大文明よりも前の話だと思いました。
また、文明とは農耕が始まった頃は、その土地が乾いていたら耕すのが大変ですから、暴れ川の隅っこか、森林の隅っこで水分の多い土地がやりやすかったでしょう。今でも灌漑は大仕事ですから、その頃なら乾燥地にはできなかったでしょう。
この農耕が可能となって、定住可能することもできたと思いますし、そうなれば、土器も作られ、衣服に糸やヒモが使われることも始まると思います。
そして、動物を狩るための道具から武器も作られたと思います。

定住できる程度に文化が進歩して、食料の備蓄ができて初めて人間は集団での居住が可能になりますし、他人の食料の強奪も可能になります。食べることが確実にできてこそ、装飾の余裕ができるでしょう。

世界で一番古い磨製石器が、日本から出土したと聞いています。
日本人は、昔も今も、工夫してより良いものを作ることが好きという本能を、持っているのかと思います。

何でもない物を作っていたとき、そこそこの物ができたからそれで済ませば良いのに、調子に乗ってギリギリまで狙って作ろうとしたら失敗しました。
これは、物作りの民族のDNAが自分にも少しはあったのかと思ったことがありましたが、単純に不器用なだけでした。

>ポッポさん ソロです。
>>世界の4大文明は、河川に沿ってはいますけれど、必ずしも海と交わってはいないと思いますから、この場合の文明は、4大文明よりも前の話
 現在に説では、ドナウ川やドン川の欧州の河や南米のラプラタ河、スンダ文明を誕生させたチャオプラヤ川、インド平原を造ったガンジス川等、そしてシナ大陸最大最長の川長江と、凡そ11河川で、文明跡が見つかって、私達が習った時代の4大河文明「=チグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河」の頃の常識は大きく変わって居ます。

 唯、長江とチャオプラヤ―河を除く何れの文明も、1万年~4000年前のモノですから、ねずさんが紹介している、12万年とか、7万年と言う途方もない古さには、脱帽するしかない。 

 ねずさんも触れて居ますが、チャオプラヤー川「=タイランド湾にそそぐ注ぐ、東南アジア最大の川で、1万2千年前に終わったピュルム氷期の時、陸地だったタイランド湾は勿論、今は、浅海地域となって居る南シナ海の南の出口辺りを潤して、内海の南シナ海に注いでいた」は、世界が未承認のスンダ文明が発達した処で、タイランド湾の海底には、川の痕跡があるそうですし、彼らのエネルギー補填の炭水化物を摂る為の穀物、浮稲の収穫量は、今でも米の収穫量の半分近くを占めて居ます、

 15万年前のアフリカの大地溝帯を発した現生人類の先祖は、約5万年前にこのスンダ地域に辿り着き、文明を発展させた。 然し、3万年後、人口爆発が起こって、亦、ねずさんのご紹介に有った姶良火山の終局的噴火に拠って巻き上げられた粉じんに拠る長期の天候不順「=寒冷化による食物の減少」もあってスンダ地域から、主たるは、昔アフリカから辿って来た道を遡り、或いは、海流に乗って、ユーラシア大陸沿岸伝いに北上、既に先住民がいた日本列島にも辿り着いて居るのだと思います。 
 私は是を、人類の2度目の出発と位置付けて居ます。

 唯、この説なら、日本の湖北人(浜名湖の北の洞窟で発見された14歳くらいの女の子の骨は、凡そ9万年前のものである、と言う説がある)は、説明できないのです。

 なので、私は実は、新しい説が出るのを待って居ました。

 その中で。最も驚いたのは、日本人が、ユーラシア大陸の南アジアで、2~3万年前に絶滅したと言われるネアンデルタール人のDNAを最も多く受け継いでいるとの成果を、ドイツの研究チームが発表した事です。

 昔現生人類の骨を偽造して、ドイツから発掘したと、嘘の発表をしたドイツ人が、何故、日本人のルーツに関わって来るのでしょう。 ドゥも怪しい気がします。 心当たりを勘ぐりながら探すと、ドイツは、ディーゼルエンジンの先駆者なのに、近年、マツダのスカイアクティブ方式のフィルタリングで、技術的に後塵を拝し、焦るあまり、やってはならない検査でインチキをやって、世界からの栄光のドイツブランドの技術に対する信仰を、地に堕したばかりですからね。

 ドイツ人の性格の悪さは欧州では札付きで、「江戸の仇を長崎で」と言う話かもしれず、うっかり話に乗っては、恥をかかされるダケの様な気がします。 大体、ネアンデルタール人の研究など、資料も少ないし、人類の直接の先祖では無い事が分って居るから、予算も限られているので、現生人類よりも脳の容積が大きく、知能も発達して、死者を弔うに花を用いて居たと言う以外、イェテイ伝説を追いかける興味本位のグループダケで、最近まで誰もやって居なかった様に思いますがね。

ソロさんへ  ポッポです。

いつもありがとうございます。

なにぶんにも、万年という想像を超える単位で、雲をつかむような案配になりました(歴史だけでなくSFは好きです。)。
理解しようとする一方で、?マークの自分がいました。

でも、分からないけれども、こんなテーマが好きなのです。

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