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2017年9月 9日 (土)

日本の探査衛星「はやぶさ」が、地球に帰還した

日本の探査衛星「はやぶさ」が、地球に帰還した。その際、宇宙航空研究開発機構JAXAの職員、恐らく完璧な科学者なのだと考えられるのだが、思わず、ネット上のサイトに、「おかえりなさい「はやぶさ」!幾多の困難を乗り越え、地球に帰還」と、まるで意思を持つ生き物に対するような扱いをしている。

2chでは、「はやぶさ」の思いを書いている人まで出現した。
583 :日出づる処の名無し:2010/06/14(月) 00:29:13 ID:dZU9lEmy
>>571
はやぶさ「地球か……何もかも皆懐かしい……」

これら一連の人々の「はやぶさ」に対する反応を、読み解いている人がいる。その解説が、尋常では無いのである。その小難しいお話を、少々分かりやすく編集してお目に掛ける。

ーーーーー

はやぶさに観る幼き神の姿
2010-06-15 08:42:45 http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/bb80b45e189a5a5c50b6a41d8a020172

ーーーーー編集qazx

私たちは、単なる機械「はやぶさ」を、宇宙の長い一人旅を完遂した、などと無意識に人格ある存在として見立てている。これは、「形あるところに心を注ぐ」という、我々の習性なのである。と言うのも我々が、自分というものつまり自我を認識するためには、他者・彼我が必要で、そのために彼我を作り出す方法として、「形あるところに心を注ぐ」のである。

仏教での覚者は、この人間の習性について、こうして心は、心のない場所に無数の心を注ぎ込み、連なり、やがて心で宇宙を構築していく。つまり人間界を構成している三つの世界、欲界・色界・無色界の三界(さんがい、tridhātu)は、唯一心(心が作り出したものだ)だと説く。

逆に彼たるべき形、つまり対象として観られるべき形がないなら、当然のごとく我もまたどこにもないのである。これを仏教徒は、「我に象がなく、彼に形がある」と説明する。しかし形を認識するという行為は、見方の問題であり、一種の錯覚に過ぎない。

我が何かのきっかけで錯覚を起こし、形を、我とは独立した存在であると認識する。彼があると認識している主体、これは何?ということで、反射的に自我が錯覚される。自我がここにあるなら、あの何かの中にも我=彼我があるに違いない、と言うことで世界が作り上げられている。

この錯覚の状態を仏教では無明(まだ本当のところが分かっていない状態)と呼んでいる。だから仏教徒は、「形は無い」つまり空観を道具につかって、無明を正そうとする。空観を使うと、心が想い描くすべての世界が、沈黙の中に沈む。つまり解脱を遂げる。

ウパニシャッド哲学者たちは、自我アートマンの実在を主張し、言わば世界を誤認していたのだが、釈迦が生まれ、その誤認を修正したことになる。

今回の「はやぶさ」で確認されたのは、それまでその存在さえ知りもしなかった一個の機械「はやぶさ」の、切なる望郷の念を慮って涙を禁じえない人々の存在である。これが、つまり「形に心を注ぐ」我々の習性が、宇宙を作り、ついには、大いなる存在、神をも作り出したのである。

そして恐らく、大いなる存在が、空の彼方に居て、孤独な自分を見守ってくれていて、全てわかってくれていると想うことで、癒やされ、生きる勇気を取り戻すことの出来た人もたくさんいることだろう。同様に、はるか昔に、人々の罪を身代わりに受け、磔刑(はりつけ)にされた人の、その心のうちを自分に引き寄せて解釈し泣く人たちがいる。

ーーーーー

つまりわたしたちは、はやぶさに自我を投影する、同じやり方で、「大いなる存在」神を想っているのである。私たち自身に心があるという信念は、他の存在にも私たちと同じ心があるという信念になる。実は、私たち自身に心があるという信念は、錯覚に過ぎず、従って神も存在しない。つまり錯覚が、神を創り、幾多の宗教物語を作り出しているということになる。

だからこの世界は錯覚であって、何もないのだが、しかし相手の存在に自身にあると信じるのと同じ心の存在を認め相手を尊重する、すなわち愛こそがこの世界を存在させているという表現は嘘ではない。この世界が確かにあると見なすのと同程度に愛は尊い。けれど錯覚を足場にする考えは誤った結論に至るのである。

それゆえ愛が尊いと認める事は否定しがたいにせよ、愛があれば全てが許され上手く行くというような思想は盲目そのものとしか言いようがない。それは二千年前の未開のユダヤ人預言者よりまだ愚かな考えである。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

縦椅子さま

 塩辛トンボが庭をのぞいてくれた。しかもそのトンボの羽は半分にちぎれて、痛々しい。庭の住民はたまたま訪れてくれたとんぼにこころをかよわせる・・・なにかそのトンボと自分に関係があるに違いないと・・・錯覚である。世の中は錯覚で出来上がっている。それをあいいと勘違いしてしまう。
 「はやぶさ」の存在はいとおしい。それはみんなが叡智をだしあってその存在を創りだしたから・・・それは錯覚ではない。心がそこに集まってそれをうごかし、帰還させた。だからすごいのだ!世の中は不思議でいっパイ!不思議だらけ!---アリガトウ---スバラシイブログヲーーーありがとうーーー

探査衛星「はやぶさ」が地球に帰還したときは、宇宙航空研究開発機構の職員だけでなく、日本中の人が歓声を上げました。

>私たちは、単なる機械「はやぶさ」を、宇宙の長い一人旅を完遂した、などと無意識に人格ある存在として見立てている。

日本はロボット導入数が世界最多です。

工場では、工員たちが、ロボットに愛称を付けて可愛がるそうです。

これが可能なのは、日本が多神教の国であるからだと思います。

私の場合には宗教を分かっていませんから、何でも祈ってしまいます。

苦しいときの神頼みもします。

それでも、許容してくれるのが、日本の神様だと思っています。

日本の歴史から考えますと、日本の神と西洋の神は、本質的に違います。

西洋は、背景になる社会が日本とは違い、あまりに過酷であった。

それで西洋宗教は、人を救う存在が必要だったので、その神は人を救う存在として作られた。

「神は我々の脳が作り上げたものだ」という仰有っておられる意味は解ります。

しかし生きとし生けるものは、土から生まれて土に還るだけなのでしょうか。

それ故、存在しないと言えるのでしょうか。

ーー

人類は世界中で、神に祈っています。

何故皆、神に祈るのか。

私は、祈りが一点に集まると、何かが起こる様な気がしています。

実際に何かが起こって来た実績があるのでしょう。

見えない力は存在します。

そして、見えない力は、常に存在している。

そう信ずる行為を信仰と言うのでしょう。

生きて居るのは単なる偶然でしかありません。

これからも世の為に何か出来ればと思いながら死ぬまで生きたいものです。

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