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2017年9月12日 (火)

支那・朝鮮・ロシアとの戦いの場合は、躊躇せずに殺しまくる以外、絶対に勝ち目はない

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集

1930年代、スターリンは、トハチェフスキー元帥以下高級将校の三分の二が犠牲者になった赤軍大粛清を行います。

結果、赤軍はガタガタになり、1939年~40年のフィンランドとの戦争で、赤軍は40万以上の大損害を出しました。

ソ連は勝ったもののフィンランド軍の損害は6万でした。

ーー

翌年、ドイツは、バルバロッサ作戦で赤軍に緒戦で大打撃を与えています。

モスクワもレニングラードも陥落一歩手となった。

これを押し返したのが、ジューコフでした。

ーー

ジューコフは、敵の数倍の犠牲は最初から折込みずみでした。

冬将軍の助けもあってモスクワとレニングラードを守り抜き、1943年にはスターリングラード決戦で独第6軍を包囲して降伏に追い込みました。

あとはクルスク大戦車戦からベルリン攻略戦まで一直線でした。

(この膨大な犠牲を担保したのが大量の米国製武器弾薬である)

ーー

朝鮮戦争では彭徳懐率いる支那(共産党)義勇軍は、圧倒的な火力を有する米軍に対して人海戦術で臨んでいます。

(ソ連が共産支那に支援した大量の武器弾薬は米国製)

米軍の弾丸が尽きるまでの飽和攻撃を繰り返すことによって何とか引き分けに持ち込みました。

(支那義勇軍の大部分は元の満洲国軍や国民党軍からの寝返り組だったといわれます)

後方に前線から退却する部隊を撃ちまくる督戦隊を配置し、犠牲をいとわず人海戦術で攻撃を続行したのです。

この戦法は、ロシア革命期にクロンシュタット要塞攻防戦でトロツキーとトハチェフスキーが確立し、ジューコフが継承し、後にはベトナム戦争でも用いられた共産党軍伝統の戦闘法です。

ーー

(支那・朝鮮・ロシアとの戦いの場合は、躊躇せずに殺しまくる以外、絶対に勝ち目はないということに成る)

ーー

だから共産党軍は張子の虎だ、鎧袖一触だと馬鹿にするのは禁物だと思います。

わが陸自は、名目上は9個師団に6個旅団を有するものの、実数わずか15万に過ぎません。

そのかなりの部分が管理部門要員で実際の正面兵力は少ない。

来年には陸上総隊司令部が設けられるとやたらと陸将や将補、幕僚だらけの頭でっかちの軍隊となってしまいます。

(これで世界戦1後のドイツのように短期間での大軍の編成が可能となる)

徴兵制もない自衛隊に対して支那が伝統の人海戦術で尖閣に飽和攻撃をしかけてきたら果たして守りきれるのでしょうか。

今こそ国防のあり方を考えなおすべきときです。
(武蔵国杉並住人)

ーー(宮崎正弘のコメント)

ジューコフ、日本人にとっては忌まわしき名前ではありますが、ロシア人にとって英雄です。

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集

ソ連がモンゴル人民共和国を創るとき、全人口の3割を殺害しました。

今モンゴルを構成しているモンゴル人は、この大虐殺を生き延びた人々、いわば故国を裏切った人の子孫なのです。

それゆえジューコフを英雄扱いする。

つまり、自己の存在を肯定するために、ソ連を解放者として描かざるをえないのです。

モンゴルが今後まともな国として存在するには、この虚妄を破却し、事実に基づく歴史観を確立することが必須です。

かえすがえすも残念なのは、ノモンハン戦争に於いて参謀本部が対ソ宥和方針に執着し、圧倒的に勇勢であった空軍力の使用を制限したことです。

日本軍が全力で応戦していたら、モンゴルは解放されソ連の傀儡国家から自立的な国家に変革したはずです。(ST生、千葉)

ーー(宮崎正弘のコメント)

日本の支援は(ソ連の工作もあって)皆、中途半端でしたね。

現在の内蒙古にしてもカラチン王ら、モンゴル王家への支援は中途半端そのもの。

だから悲劇は倍加した。

ーー以下「宮崎正弘ブログ、読者の声」より抜粋編集

貴誌前号、前々号で話題となったジューコフ将軍の事績ですが、彼が1939年のノモンハン事件が一番恐ろしかったと述べたことはよく知られています。

これを日本軍の勇猛さを認めたものと理解する人が多いのですが、この時代赤軍内でスターリンの大粛清が進行していたことは重要です。

赤軍の星と云われたトハチェフスキー元帥が処刑され、1938年の張鼓峰事件では極東軍区のブリュッヘル将軍が粛清されました。

ーー

1939年のノモンハン事件では、ジューコフは最後の8月攻勢で十倍の大兵力を投入して日本軍を叩きハルハ河東岸まで占領しましたが、5月からの戦闘全体では大損害を受けていました。

そこで最高司令官ジューコフはシュテルン大将の報告書を握りつぶし、自分の責任を大将に転嫁した。

このためシュテルン大将は処刑されました。

こうしてジューコフは、スターリンの粛清を逃れたのですが、実に危なかったのです。

ーー

戦後、ジューコフはモスクワ赤の広場の対独戦勝利祝賀式で白馬にまたがって登場し、自分の存在を誇示しました。

それで、スターリンに嫉まれ失脚したと云われています。

独ソ戦争の大勝利で油断したのでしょう。

ーー

なおジューコフは、日本軍人に対して下士官以下は優秀だが、将校以上は無能だと評したとされています。

しかしこれはロシア定番の宣伝で、分裂工作なので騙されてはなりません。

日本軍が強かったのは、将校以上が優秀であり、かつ下士官以下が優秀であったからです。

ーー

ソ連崩壊後、ソ連の元将軍は、支那事変の収拾に苦しむ日本がソ連を攻撃するなど、よほどの馬鹿か間抜けしか思いつかない愚論であると片付けています。

つまり、「ソ連が日本に攻撃を仕掛けた」ということに成ります。

しかし戦後の日本では日本が仕掛けたという愚論が長らくまかり通ってきました。

「日本が攻撃を仕掛けた」という「愚論」はもう終わりにしましょう。

ノモンハン事件はスターリンの意図的な、つまり「対日工作」が機能しているかどうかを確認するための挑発だったのです。

そこには、さらに支那事変における援蒋や独ソポーランド分割を控えた対日牽制などスターリンの複数の狙いがあった。(東海子)

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コメント

過激なタイトルだと思います。
ただし、戦争の場合には合法です。

果てしなく沸いて出る敵は、処分するしかないのです。

ーー

国が侵略により降伏に追い込まれた場合、幸せな降伏などないからです。

ーー

無防備都市宣言での占領でも同じです。

支那・朝鮮の兵は戦争に弱いだけで、相手が弱いとみなした場合は、極めて残虐です。

日本が負けた時、朝鮮人らが一夜にして「戦勝国民」を僭称し、日本人に悪逆非道を行ったことを忘れてはならないのです。

本物の占領軍がそれをある程度阻止したからよかったものの、朝鮮占領軍であったらもっと悲惨な状況になっていたはずです。

ーー

それから、支那に占領された南モンゴル、チベット、東ウイグルでは、民族浄化と言う名の大虐殺が行われています。

支那共産党は、満州を奪っただけでなく、土地の名前さえ抹消しました。

ーー

ロシアは降伏後の日本に日ソ中立条約を廃棄して侵略しています。

しかも、満州国に攻め入り日本人を虫けらのように殺した。

同じことを樺太でもしているのです。

ーー

それだけでありません。

終戦後も、66万人もの捕虜をシベリアに抑留し、引き上げるまでに6万人もの日本人が亡くなっている。

ーー

アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。

ーー

ソ連は在ソ連日本大使館に宣戦布告をしました。

が、この時大使館の電話線等は切断されていて、大使館は日本本国に連絡できなかった。

ーー

ノモンハン事件について、

>「日本が攻撃を仕掛けた」

これは、ソ連の政治宣伝であり、絶対にあり得ません。

日本は、ソ連に終戦の仲介役を依頼していたので、そんな国を攻撃することはあり得ないのです。

ーー

つまり非道を行うであろうロシア、支那・朝鮮による侵略は、全力で阻止しなければならないのです。

そのためには、彼等に侵略された場合には、日本人全員で戦い絶対に勝たなければならないと思います。

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