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2017年9月 2日 (土)

平和は、「思考停止の呪文」になりさがり、日本つぶしに狂奔する在日・反日勢力の便利な道具へと化けてしまった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

小川榮太郎『天皇の平和 九条の平和(安倍時代の論点)』(産経新聞出版)

小川榮太郎氏は、「天皇の平和」を「日本固有の平和であり、歴史によって鍛えられた思想であり、日本精神の中核にあるもの」であると定義している。

そしてその対局にあるものとして、「九条の平和」を「精神ではなく法律の条文でしかない」平和であると定義している。

とどのつまり「日本固有の平和精神と憲法九条の平和主義とは何の関係もない」のである。

ーー

現代日本では、平和という言葉が、日本人の美しい「歴史的在り方への回路」ではなくなっている。

平和は、「思考停止の呪文」になりさがり、日本つぶしに狂奔する在日・反日勢力の便利な道具へと化けてしまった。

ーー

日本人は、平和の精神を第九条から救出し、国柄のなかに正しく位置づけしなおし、一方で正当な安全保障を九条から救い出す必要がある。

すなわち「日本は七十年にわたり、『平和』を好むことを、『憲法九条』による国防の制約に置き換えるという根本的な欺瞞を犯してきた」。

それは「自らが自らを騙(だま)してきた」だけではない。

在日・反日勢力によって、『憲法第九条』は、日本弱体化の道具として使われることになった。

ーー

安全保障論議が、「国軍不保持、交戦権放棄」の平和憲法に反するなどという議論は、平和という概念の認識の誤謬であろう。

そして「国軍不保持、交戦権放棄」の日本を、日米安保条約が守護しているかように誤解されている。

しかし、日本の平和は、日本人が作り出すものであり、軍事同盟は一時的打算でしかないのである。

ーー

「もちろん、アメリカ政府は、当面日米同盟堅持を謳い、日米安保の適用を確約するでしょう」

「が、アメリカが日本死守を国是としていた状況から、日米支関係を天秤に載せた段階で、日本の安全保障環境は、冷戦時代から百八十度転換している」

したがって、「こうした世界史的な文脈も読めずに、目先のアメリカの対応に一喜一憂して、(日本の安全保障)対策が後手後手になる事がいちばん恐ろしい」のである。

ーー

「主権の消滅に向かって(日本が)漂流するに身を任せるのでなければ、日本人自らが主体的に国を護る「能動的」な国家に、劇的=非連続的に変貌するしかなくなっている」

ーーと。

まさに正論、襟を正して読むべきだろう。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

リベラル左翼の平和は、美しくない。
何か猥雑な卑猥さを感じる。
赤軍もそうだったし、何か薄汚さが付いて回る。
平和と称しながら平気で仲間を殺せる心理が異常である。
多摩川コンクリ―ト事件もそうで裏返して見れば親は共産党だ。
リベラル左翼は、信用の外である。
リベラル自民にも変なのが居るから安心は、禁物。
先々創価の公明は、消滅するだろうし、自民の右に新たな保守が出てくる事を願う。

>とどのつまり「日本固有の平和精神と憲法九条の平和主義とは何の関係もない」のである。

日本人の平和精神は、憲法第9条よりも前に17条憲法で謳われていると思います。
17条憲法の「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。」(一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。)は、現代語訳では「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。」になります。

今更ですが、日本では西暦604年に聖徳太子が「和を何よりも大切なものとし、諍いを起こさぬことを根本としなさい」とされています。

このような国が、他国を侵略することは、民族としてできないことだと思います。
言い換えれば、日本に9条なんて必要なかったのです。
でも、だからといって聖徳太子が武力に、無関係であったとは言えず戦にも出ておられます。

ところで、現在の日本においては、国防を放棄した欠陥憲法を守れと言われますが、周囲の近隣国家が日本を侵略し、脅す時代が続いています。
憲法に書かれていない自衛隊は、国防は憲法以前に国を守ることは自然なこととの、不思議な論理で設置されたものです。
しかし、本来自衛隊は、日本を完全に守るはずだった米国がこれを遂行できないとして、日本に作らせたものと思っています。

これでは、日本の国が、国家として国民と領土を十分に守るには、不十分です。少なくとも、国防にあたる自衛隊員は、国民から尊敬される立場であり、国の法律は自衛隊員がその責務を果たす上で、安心できるものである必要がありますけれど、これが、十分に整備されているか否かには、不安があります。

また、米国との安全保障条約によって、自衛隊が法律上で実施することのできない他国への攻撃についてですが、これが正常な国防と言えるのかと考えられます。
日本の攻撃力が不足するのを米国が補完するのは、現状やむを得ないのですが、国防の基本を考えるのならば、日本を攻撃する国に攻撃を加える能力を持つのが基本です。

そして、その攻撃力は、相手の攻撃力に等しいか、それ以上であることが、日本を守るものであると思います。

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