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2017年8月 8日 (火)

我が国の歴史は、いわゆる対立と闘争といったマルクス史観では説明できないのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

縄文時代は、いまから約1万7千年前から3千年前まで、1万4千年間を指します。

全国に「貝塚」と呼ばれる遺跡がたくさんあります。

それらは皆、その縄文時代の遺跡なのです。

ーー

「貝塚」の場所は、内陸部から、いまの海岸沿いまで、様々な場所があります。

なぜかと申しますと、縄文時代の1万4千年間に地球環境が変化したためです。

地球温暖化の時代は、極地の氷が解け海面が上昇し「縄文海進」と呼ばれ、海辺はいまよりも内陸部にあった。

また地球が寒冷化した時期には、極地の氷は厚くなり、海面は低くなり、今は海底となっている大陸棚が陸地だったのです。

ーー

神武天皇が大阪にやってこられた頃には、今の大阪平野は河内湖という巨大な塩水湖でした。

古事記は、帝(みかど)の船団が満ち潮に乗って、またたくまに上流にまで進んだと記(しる)しているのです。

ーー

また古事記の大国主神神話には、稲葉の白菟(うさぎ)が、ワニを騙す場面があります。

というのも、6千年前の西日本一帯は、熱帯であり、ワニが生息していたからです。

現に、大阪の待兼山で、ワニの化石(マチカネワニ)が出土しています。

縄文時代を現代の地形や気象環境で考えることは出来ないということです。

ーー

縄文時代の日本列島の人口は、2万人~30万人とされています。

これが当時日本列島で自給自足できた人口だった。

日本列島全体で、30万人未満しか生きることができなかったのです。

ーー

気象環境が変わって、今住んでいる土地が住みにくくなったのなら、住みやすい土地へ移住する、何の問題もないことです。

今だって、老後は東京ではなく、温暖な沖縄や宮崎でと考える人がいるくらいです。

それが無料で、いつでもできるのです。

環境変化への対応が遅れると、一族が全滅してしまう危険もあるわけです。

ーー

高天原が天上界だと説いたのは、実は比較的新しくて、江戸中期の本居宣長からだといわれています。

それ以前は、高天原は地上にあるとされていて、九州説(宮崎、熊本、長崎など)、畿内説、飛騨高山説、茨城説(水戸から日立市のあたり)などがあります。

気象変動があったことを考えれば、高天原地上説は、その全てが正しいと言えるでしょう。

その時々の気象条件によって海面が上下し、私達の祖先はその変化に応じて移動したと考えられるからです。

ーー

例えば西日本一帯が熱帯雨林に包まれていた時代、縄文海進によって、海辺は現在よりもずっと内陸部にあった。

この場合、飛騨の高山は、住みやすい場所(都)であったことでしょう。

そして人口が増えれば、他の土地に子孫たちが入植していきます。

古事記には、出雲の大国主神が「倭国に上った」という記述があります。

「上った」ということは、出雲が倭国の一部、つまり高天原の一部であった、あるいはその子孫の国であったということを意味すると考えられます。

ーー

古事記には、「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」の父の火遠理命(ほおりのみこと)が、高千穂宮に580歳住まわれたと記(しる)されています。

「鵜草葺不合命」の御在位に関する記述はありません。

日本書紀には、どちらも年数に関する記述はありません。

いまの私たちは、年も歳も、どちらも「一年」と考えて、そこから、
1、古事記はいい加減なことを書いている
2、これは江戸幕府が260年続いたという記述と同じだ

1は、現代の学会の立場。
2は、ウエツフミや竹内文書の立場です。

ーー

ウエツフミや竹内文書は、神武以前に「ウガヤフキアエズ朝」が72代(74代)あったと記しているのです。

ーー

古事記は「年」と「歳」を使い分けています。

「年」は、稲穂の稔りから次の稔りまでです。

西日本一帯は、二期作で、年2回、稲の収穫をします。

つまり古事記でいう「年」というのは、いまでいう半年のこととわかります。

ーー

古事記原文は「火遠理命(ほおりのみこと)が高千穂宮に580歳住まわれた」と記している。

では「歳」とは何かというと、この字の字源は、神事から神事までの期間のことで、我が国では、神事は毎月行われます。

同じ「歳」という文字を使った言葉に「歳時記」という言葉がありますが、これは毎月の季語を記したものです。

つまり、「歳」は、いまでいう「月」を意味していたことが分ります。

ーー

新月から新月までの「ひと月」は、およそ29.5日です。

即ち、580歳を現在の年で表すと一年は365.25日なので、

580×29.5日÷365.25日=46年10ヶ月

つまり古事記には、火遠理命が天皇として、およそ47年御在位され、崩御されたと書かれていることがわかります。

ーー

正式なお名前、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこ なぎさたけう かやふきあへずのみこと)の意味は、

天津日高日子 天照神直系の子孫の御子
波限(なぎさ) 「那藝佐(なぎさ)」と読めと注釈
建鵜(たけう) 元気の良い鵜
葺草(かや)  丈の高い草(屋根を葺くカヤ)
葺不合(ふきあへず)まだふき終えられていない

母の豊玉毘売(とよたまひめ)が「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」をお生みになられたとき、鵜のいる渚に産屋(うぶや)が建設された。

ところが産屋の屋根がまだ葺き終わらないうちに、姫は産気付き、御子をお生みに成った。

「渚の脇に建てた産屋の屋根がまだ葺(ふ)き終わらないうちにお生まれになった御子」

これが、「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」のお名前の意味です。

ーー

このとき父の火遠理命は、豊玉毘売が見ないでくださいと頼んでいたのに、出産の様子を見てしまい、両親は別れて住むことになった。

自分の出生が両親を不仲にしたことを忘れないように、息子は「鵜草葺不合命」を生涯の名としたのです。

まさか、72(74)代も、「葺不合(ふきあへず)」(早産)だったとは考えられますまい。

ーー

そもそも古事記は、「古(いにしえ)の風習や道徳を正しく伝える」ことを目的に書かれたものです。

ですからその目的に沿って、必要なことは書いているし、そうでないものは排除しています。

ですからもしかすると、本当に「鵜草葺不合(うがやふきあえず)朝」なるものが、古代にあったのかもしれません。

しかし、古事記の作者は、日本は、アマテル神の直系「天津日子(あまつひこ)」のシラス国であるとしているのです。

つまり、我々が知る奈良時代以来の日本の歴史に見られるように王朝交代はありえないのです。

ーー

我が国の歴史は、いわゆる対立と闘争といったマルクス史観では説明できない。

この対立と闘争によって世界が変化するという考えは、実は西洋史の祖、ヘロドトス以来の史観なのです。

日本の歴史は西洋史観では説明できず、また支那の「易姓革命の歴史」とも違っている。

日本人はこの事実を知っておく必要があると思います。

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