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2017年8月23日 (水)

事に向かって正直で人に対して誠実であること

その人は、誠実という言葉を体現されているような方なのだが、来られるなり、ひとしきり、鈴木大拙の空の解説が素晴らしいと、説明してから帰られた。

空については、宗教学者の中村元が、空についての大部の書を書いている。しかし、その書物を読み終えて、中身は全く何もないと小生はそんな感想を持った。

そしてネット環境ができてから、無名の人たちの意見が其れこそいくらでも読めるようになった。

そうなってみて、空などというのは、禅の行者や、宗教学者が、威張り散らして中身のない感想を書き散らすようなものではないと言うことが分かった。

それはネットで、司馬遼太郎が大嘘を吐いていたことが明らかにされたような衝撃だった。

ーー

それで小生がネットから得て書いた内容を再掲するような形で、少々抜粋して、お目に掛ける。

ーー

ブッダは漢字音表示は仏陀、サンスクリット語の意味は、覚者である。つまり悟りの核心部分は何かと言うことになる。

それが覚者の三法、つまり三つの教えである。

1、人生は、苦しみである。永遠に満たされないものだ。
これについては、以下の教えがある。
・苦しみには理由があり、人はその理由を知ることが出来る。
・苦しみには終わりがある。
・苦しみは、8種類の行為をすることで、それを終わらせることが出来る。(8正道)
2、全てのものは変化する。変わらないものは無い。
3、意識している自分と言う存在は、幻覚である。したがってその自分という存在が知覚する世界も幻覚である。

ーー

ーー

以前に「覚者の三法」を書いたが、その中で、一切が存在しないと考え行動することが覚者の生き方なのだと書いた。

しかしそれはなかなか凡人にはできないことなので、通常はその生きかたがどのようなものなのかは、わからない。

ところが、そのような世界に居住している人もまた、現実にいるのである。その人が、その驚くべき自分の世界を書いているのでお目に掛ける。

ーーー以下抜粋編集qazx

【徹底的改造計画1/27】夢の無限回廊http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/97fc33a1feec84ef85b388eb976f89dd#comment-list

幼い頃、僕は、割と鮮明な夢をよく見るので、眠りから覚めても現実というものが本当に現実なのかどうかということをしばしば疑っていた。

そして今も、もしかしたらこの人生は、夢なのかもしれないと考える時がある。今のこの僕は、誰かが見ている夢の中の登場人物の一人なのかもしれない。

だとすれば、僕の顔も性格も知能も身体能力も、それらは実際には、ただ何者かによって思い描かれた設定にすぎない。僕の存在そのものもそうなってしまう。

ーーー

愛している家族、恋人、憎むべき敵、この人達に対する感情も設定であり、実はそんな人間は僕の周囲にはかつて一度も実在しなかった。

愛し憎んでいる対象がことごとく架空の存在で、その彼らに自分が抱いている強い感情も夢の中の設定に過ぎない。

あるいは自分がこの人生で成し遂げ、あるいは失った、様々な業績や希望。それらに喜び誇り、あるいは悲しみ落胆してきたことも、実は全て夢の中の設定に過ぎず、

実際には何も起きておらず、何も得ておらず、何も失っていない。

自分とは、設定であるにすぎず、まさしく何者でもないし、何者にもなり得ないし、おそらくかつて一度も何者かであったことはない、そういう名づけようもない何かであるにすぎない。

ーーー

自分とは、今の自分という仮面を付け、それが仮面であることすら忘れ、しかも仮面の下にも顔を持たない道化役者なのである。

夢幻(ゆめまぼろし)の舞台の上で、その時々の縁に応じて割り振られた役を演じているだけの道化役者にすぎないのだ。

むろん今住んでいるどこそこの国の悠久の歴史、それらの国々とかかわる世界情勢や文明の有様も、自身を取り巻く世界の一切合財全てが設定にすぎない。

そのような可能性の存在についての疑念を僕はいつも考えている。

ーーー

夢から覚めれば、また別の夢が始まる。その時、さっき見ていたのが夢だったと気づくだけのことにすぎない。自分とは、このような無限回廊のなかの存在だということになる。

天国も地獄も、神も悪魔も霊魂も、因果律の外にあるものだから実在するはずもないが、何も存在しないのに存在し続けるこの無限回廊の中では、この俗世と並んで、多分存在してもよいことになる。

それらは、夢のなかだから、過去そのものもいまさっき現在と共に立ち上がり同時に生じたものであり、だからそこでは当然なんでもありなのである。

ーーー

とはいえ、自分の家族、愛した人々が、ことごとくどこにも存在していないという想定はなかなかにしんどい。

もしこの人生が夢で、この夢から僕が目覚めれば、直ちに彼らの存在、彼らと共に紡いだ思いや願い、それらが全て雲散霧消してしまう。

こつこつ積み重ねた業績、必死になって得た地位や財産、それらもしょせんはどこまでも夢の中でのことであった。

一方、苦悩し続けた境遇や辛かった敵との戦いもまた、実際には何も起きてはいなかった。

ーーー

夢から目覚めて、夢の中での出来事を反芻すると、どうしようもない切なさと、この上ない安堵と、矛盾する感情の両方が切り離し難く沸き上がってくる。

これが心の置き場もない混沌というものかと想うが、であるなら混沌はそもそも取り合うべきものではなく、ただひたすら忘れ捨て去っておくべき、無視されるべきものなのだろう。

さらば愛した人々、憎んで余りある敵ども。

お前たちかつて一度たりともどこにも存在したことのない人格を思い出すたびに、しかしこの心の奥底にこみ上げるものを感じる。

ーーー

それにしても、虚構の登場人物がこれほど強く自分の心に影響するというのはどうしたことであろう?何か、自覚し得ない心の深い部分が彼らの在り方によって揺さぶられているのだろうか。

恐らく彼らの存在そのものは、自分がいまだに自覚し得ない、形を与えられることがなくだから潜在したままの心のあり方のひとつなのだろう。

世界の中で関わりあう存在や人々、それらが、どれも形を与えられ表現された自分の心の有様そのものなのだとすれば、彼らは他者ではなく、どこまでも自分自身だ。

神も悪魔も、愛する人も敵も、どうでも良い人々も、すべて心が願い思い描いた自画像に過ぎず、そして自分自身もまたそうなのであろう。

というように、自分と世界の関係を理解することはできる。少なくともそうである可能性は否定できない。

ーーー

この俗世間が虚妄であれば、神や霊魂もまた虚妄であるに決まっている。あくまで神や霊魂を想起するのは、この俗世間でこそより良く生きるがための方便としてするだけのことに過ぎない。

突き詰めればそれは嘘設定であり、そんなものはどこにも実在はしていない。

だから俗世間を一切否定する超俗の立場においては、自分という名札同様に外在者たる神仏もまた心が想い描く分別ゆえに生じている虚妄として切り捨てられるしかない。

言い換えるなら、存在としては自分も神仏も斉しくどこにも実在していない。

しかし各々が持つ性情、存在の性格としては、この自分も神仏も悪魔も、そのように名付けられ呼ばれているもの全てが、心のなかにおいて斉しく存在として認められる。

ーーー

ただそこまで割り切ると、唯一無二の自分たる自我という基本設定を維持し続けるのは難しいであろう。

だから、あくまでこの世俗における自分という役柄を演じている分には、何事も曖昧模糊として、割り切れないものはすべていわく不可知奇妙不可思議として不問にしておくのが良いように想う。

ーーー

俗世で人間として生きる分には、あまりに御大層な宗教やら神様の託宣やらには、一切見ない聞かない触れないというのが、たぶん一番無難な生き方だろうと想う。

立派な教えなどなくても、ただ人間は正直誠実であることをもってすでに天然天与無二の教えの中に生きている。

事に向かって正直で人に対して誠実であることは、人の世間にあれば自然に学んでいくものであり、これこそが言葉ではなく沈黙のうちにある真の神仏の教えであり諭しなのである。

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コメント

>幼い頃、僕は、割と鮮明な夢をよく見るので、眠りから覚めても現実というものが本当に現実なのかどうかということをしばしば疑っていた。

誰にでも、「胡蝶の夢」と言うようなことがあるのかと思い、嬉しくなりました。
ときどき、夢の途中で目が覚めてしまいます。もう一度その夢の続きを見ようとするのですが、残念ながら、続きを見ることが出来ません。

縦椅子さま

 夢の無限回廊を徹底的に探索された徹底さんが、血のにじむような思いをされ、最終的得られた結論は「事に向かって正直で人に対して誠実であること」であることを知りました。人間である以上、正直誠実であることをもってことにあたらなければ、すぐに夢の無限回廊でさまよってしまいます。これだけは人間に与えられた「天然天与無二の教え」なのである。---と理解いたしました。---今日も素晴らしいブログに感謝しております。。

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