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2017年8月20日 (日)

みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬(とむら)い奉(たてまつ)る

ーー以下「ねずブログ10/24」より抜粋編集qazx

「仁徳天皇陵」は、正式名称を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」といいます。

記紀に以下の記載があります。

『古事記』に、大雀命(おほささぎのみこと)が崩御され、毛受之耳原(もずのみみはら)にその陵墓があると、

(ここで「おおささぎ」とは巨大な陵墓を意味しますが、大雀の当て字は「もず」の事です)

『日本書紀』には、仁徳天皇は仁徳天皇87年(399)正月に崩御され、同年10月、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬(ほうむ)られたと。

ーー

「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」という言葉は、平安時代の法令集である『延喜式』に登場し、

それが仁徳天皇の御陵(みささぎ)であることと、場所と大きさが記述されています。

ーー

「百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)」という場所を示す名前は、

「ある日、突然鹿が飛び出してきて倒れて死んでしまった。鹿の耳から百舌鳥(もず)が飛び出し、調べると、鹿の頭の中身がなくなっていた」という伝承からきています。

上代において、死者の魂は鳥になって飛び去り、あるいは丹塗りの船に乗って海の彼方へ行き、または坂を越えて黄泉国(よみ)に行く。

日本書紀には、日本武尊(やまとたけのみこと)が亡くなった後、白(大)鳥(しろ・いとり)となって飛び去った。棺(ひつぎ)を開けてみると服だけがあった、とあります。

その伝承が大阪に、「おおとり」「しらとり」という地名を残しています。

「百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)」は、

「神の使いとされた鹿(仁徳天皇)の魂が百舌鳥(もず)となって飛び去った」

「その大君が開拓された百舌鳥(平野)の盛り土(耳原)の中」と言う意味に成ります。

古来からの伝承が、このようにして、地名に込められたのだと思います。

ーー

仁徳天皇といえば、我が国の施政の根本を教えてくださった天皇です。

「民のかまどは賑いにけり」の物語です。

ーー

仁徳天皇の4年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて、

「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と、

向こう三年の租税を免じられた。

三年が経ち、天皇が三国峠の高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、

皇后陛下に、「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」とおっしゃると、

皇后陛下「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」

陛下「よく聞け。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになる」

とおっしゃられたと記録されているのです。

ーー

さらに後日この両陛下のお話を聞いた諸侯が、次のように申し出たというのです。

「宮が破れているのに、民は富み、いまでは、道に物を置き忘れても、拾っていく者すらないくらいです。それでもなお税を納め、宮を修理させていただかないならば、かえって、わたしたちが天罰をうけてしまいます」と。

それでも仁徳天皇は、引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けにならなかった。

そして六年の歳月が過ぎた時、やっと天皇は税を課し、宮の修理をお許しになった。

ーー

その時の民の有様を「日本書紀」は、次のように伝えています。

「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。

いまだ幾ばくを経ずして宮ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る」

つまり民(たみ)が、陛下に深く感謝し、誰に強制されるわけでもなく、自ら進んで、材料を運び、荒れた宮(みや)を修理したというのです。

それも、昼夜をいとわず、力を尽くし、競い合って宮の修理にあたったのです。

ですから、いくばくも経たずに、宮は、きれいに修復された。

いつしか仁徳天皇は「聖(ひじり)の帝(みかど)」と呼ばれるようになった。

ーー

仁徳天皇のなさったこととして、

1 難波の堀江の開削

2 茨田堤(まんだのつつみ:大阪府寝屋川市付近)の築造(日本最初の大規模土木事業)

3 山背の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)に灌漑用水。

4 茨田屯倉(まむたのみやけ)設立。

5 和珥池(わにのいけ、奈良市)、横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)を築造。

6 灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町辺り)を掘削し広大な田地を開拓。

7 紀角宿禰を百済へ遣わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録。

などが記録されています。

ーー

みんなが飢えないように、みんなが腹一杯飯が食えて、元気に生きれるようにするためには、それだけの食べ物を作らなければなりません。

そしてそのためには、土地を開墾し、農地を造らなければならない。

農地の中心は、いうまでもなく「田んぼ」です。

「田んぼ」というのは水田ですから水をひきます。つまり、田んぼは水平でなければなりません。

平野部であっても、デコボコしているものです。木も生えていれば雑草もある。岩や石もある。

その平野部に田んぼをつくるためには、地面を均(なら)し、木を伐り根こそぎにし、岩や石を取り除き、水路を引く必要があるのです。

しかも水を引くだけだと、洪水の危険があるので、堤防を築く工事も必要になります。

ーー

開墾工事というのは、ひらたくいえば、土木工事です。これを大規模に行えば、かならず大量の土砂(どしゃ)が出ます。

出てきた大量の土砂は、計画的にどこかに盛り土することになります。

こうしてできたのが現在古墳と呼ばれているものなのです。

ーー

だからこそ古墳は平野部にしかありません。土木工事の結果できる盛り土だからです。

昔の人にとっては、そんなことは常識でした。

特に仁徳天皇陵がある堺市を、上空から写した写真をみたらわかります。

堺のあたりは、広大な平地です。

いまでは、家だらけになっていますが、ほんの数十年前までは、そこは一面の田んぼだった。

そしてその真ん中に、仁徳天皇の御陵(みささぎ)があるのです。

ーー

以前、大林組が仁徳天皇陵を造るのに、どれだけの労力がかかったかを計算しています。

それによると、完成までに要した年月15年8か月、延べ人員796万人でした。

当時の日本列島の全人口は500万人程です。

延べ796万人の人たちが、15年8か月もの間、土盛り作業だけに狩り出されていたとでもいうのでしょうか。

そんなことをしたら、民だけでなく、為政者まで飢え死にです。

ーー

仁徳天皇は、人々とともに広大な水田を新たに拓かれたのです。

民衆のためにです。

規模が大きかった結果、平野の中央に巨大な盛り土が生まれた。

そして、人々の英知を結集して水田を開かれた仁徳天皇に、人々は大いなる感謝をした。

ーー

「みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬(とむら)い奉(たてまつ)る」

お亡くなりになると、人々は、和泉国の百舌鳥野の陵(盛り土)に、仁徳天皇の御陵(みささぎ)を作ったと日本書紀に書かれています。

人々は、天皇がお亡くなりになると、その身(むくろ)を「和泉国の百舌鳥野の」盛り土(ささぎ)に「葬(とむら)い奉(たてまつ)」ったのです。

ーー

ちなみに、「みささぎ」の、「み」は敬称です。「ささぎ」というのは、大豆の実を入れている袋・莢(さや)のことを言います。

盛り土は横から見たら、大豆の莢(さや)そっくりです。亡くなられた貴人を、その莢のような場所に埋葬した。

と言うことに成ります。

ーー

みんなが力を合わせて、新しい広い農地を開墾し、みんなが腹一杯飯を食えるようになった。

その象徴のような盛り土(莢)に、その指導者の身(実とも書ける)を埋葬することは、ごく自然な行為だと思います。

ーー

最初は土木工事の単なる盛り土であったものが、御陵(みささぎ)となることで仁徳天皇の聖地となった。

そして、「立ち入るな」の意味で、鹿と百舌鳥(もず)の挿話が生まれた。

この事実は、当時の人たちにとって、常識なのであったでしょう。

ーー

地方に行きますと「◯◯広域農道」と名前のついた道路がよくあります。

それらは、昔、農作業と農産物の運搬のためにと、農家のみなさんが、協力して築いた道路です。

ひとむかし前までは、日本中にあるすべての道路も、その道路脇にある側溝も、全部、

村人たちが総出で、鍬(くわ)や鋤(すき)や”たこ”(盛り土を固める道具)を使って作っていたのです。

ーー

そして道路にせよ、田んぼにせよ、土地を整地すれば必ず行われるのが、切土と盛土です。

デコボコした土地を削ったり盛ったりするから、田んぼや道路ができる。

ーー

同時に、開墾した水田地帯に、必ず必要なのが「水屋」です。

水田地帯は、水を張りますけれど、水を張るということは、大水や鉄砲水による被害も発生するということなのです。

大水が出れば、人々は小高い丘に避難しなければなりません。

そのために、あらかじめ避難場所として、小高い丘を作り、その上に丈夫な仮小屋(水屋)を作っておく。

普段は見晴らしの良い場所ですが、それが万一の場合の避難所になるのです。

ーー

これが仁徳天皇陵のような大型の盛り土になると、大雨の時には、盛った土砂が流れ出してしまう危険があります。

ですから、そうした事態を防ぐために、大型の盛り土では、周囲にお堀を巡らせたのです。

これは土砂が、周囲の田んぼに流れ出さない工夫でした。

ーー

仁徳天皇陵の周囲には、小型の盛り土がたくさんあります。

天皇陵とされているものもあれば、いまだに墳墓であることが証明されていない盛り土もあります。

そこは、大雨の際の避難所だったと考えれば、納得がいきます。

昔の人にとっては、これは常識でした。

ーー

だから、仁徳天皇陵のあたり一帯は、高低差のほとんどない平野になっているのです。

そしてそのあたりでは、排水のこともよく考えられているので、洪水があまり起こらないのです。

ーー

平成20年、文化庁が仁徳天皇陵を世界遺産に推薦する構想を発表しました。

これは、仁徳天皇陵だけではなくて、履中天皇陵・反正天皇陵・仲哀天皇陵・応神天皇陵・允恭天皇陵など「百舌鳥古墳群」も含まれます。

文化庁のこの発表は、もともとはその前年に大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市が、世界遺産の国内暫定リストへの追加を求める提案書を提出したことを受けたものです。

しかし「我が国の誇る御陵が世界遺産になるというのなら、結構な話じゃないか」と思うのは、浅はかというものです。

ーー

実は、この提案の背景には、次のような「ウラ」事情があるのです。

ーー

世界文化遺産登録には、審査が必要なのです。

その審査とは、「墓であるかどうかを調査させろ」というものなのです。

私に言わせていただければ「頭のおかしな自称学者」たちが、「墓あばきをさせろ」というのが、その背景にあるのです。

そして「墓あばき」が、天皇の権威とその存在を否定したい人たちの目標になっているのです。

ーー

これに対し宮内庁は、断固反対の立場を表明しています。

「陵墓は単なる文化財ではなく皇室の祖先祭祀の場である。よって静安と尊厳を維持すべきものである」と。

当然のことです。

ーー

そもそも日本は、天皇を頂点とする君主国なのです。

日本は、どんなに少なく見積もっても1300年以上の「神聖にして犯すべからざる」天皇のシラス国としての歴史があるのです。

すべての国民とすべての日本国領土が天皇の「おおみたから」なのです。

この原則があるからこそ、日本国民は、国民や国土を私的に支配し収奪する権力者からの自由を得ているのです。

ーー

現在の日本には、この古来からの日本の仕組みを否定する人たちが現れています。

なぜでしょうか。

ーー

天皇は政治権力を持ちません。単に権威として存在されており、領土領民を「たから」とされているのです。

政治権力者にとって、民衆も領土も天皇の「たから」だからこそ、私的に支配できない。

民衆のための政治をせざるをえない。民衆のために働かざるを得ない。

ーー

つまり、天皇の存在を否定している人は、独裁権力を握り、多くの民衆を自由におもいのままに支配したいだけなのです。

ーー

天皇陵は、天皇が「大御宝(おおみたから)」をシラしてきた、日本の君民一体の政治体制を示す証拠となる場所なのです。

証拠の場所だからこそ、聖地なのです。

ーー

陵墓公開要求をはじめ、仁徳天皇陵を「大仙古墳」などと呼ぶ運動は、天皇の権威をなくしたい、

煎じ詰めれば、日本文明を解体し、日本人を自由に支配したいという人達の邪悪な欲望に他なりません。

ーー

御陵(みささぎ)を護ることで、私たちは、君民一体という、これまで我々の祖先が守り通してきた日本の国のカタチを護ることができる。

我々の祖先は、「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」と称し、ここが、天皇の御陵であるとして、「聖地」として守り通してきたのです。

天皇陵は、単なる古墳ではないし、文化財や観光資源ではないのです。

私たち日本人の精神・思考・人生の源泉なのです。

「世界遺産」よりも何よりも、私たち日本人の「聖地」なのです。

仁徳天皇陵をはじめとする陵墓を世界遺産にし観光地にすることなど、私たちは断固反対しなければなりません。

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