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2017年8月27日 (日)

唄を忘れたカナリヤ

作詞家・西条八十(1892年-1970年)の名前をご存知だろうか。

八十(やそ)というのは苦(九)が無いようにと付けられた本名である。

以下の童謡はご存知の方が多いと思う。

この唄の作詞家が西条八十なのである。

ーー

唄を忘れた金糸雀(かなりや)は
後の山に棄てましよか
いえいえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
背戸の小藪に埋(い)けましょか
いえいえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましよか
いえいえ それはかわいそう

唄を忘れた金糸雀は
象牙(ぞうげ)の船に銀の櫂(かい)
月夜の海に浮べれば
忘れた唄をおもいだす

(「唄を忘れたカナリヤ」西條八十「砂金」より)

ーー以下wikipediaより抜粋編集

『かなりあ』は1918年(大正7年)の『赤い鳥』11月号に掲載された。

ーー

当時の子供たちは小学唱歌を歌っていた。

しかし唱歌の歌詞は教訓的で、子供の情感を表現するものではなかった。

そこで鈴木三重吉は、子供たちのための読物と詩(童謡)を発表する場として『赤い鳥』を主催した。

鈴木三重吉が『赤い鳥』に掲載する作品を探していた時、詩人の灰野庄平から八十の存在を教えられた。

ーー

かつて八十が同人誌『仮面』に発表した詩『鈴の音』は、八十が関与しないところで第三者によって曲があてられ、学生たちの間で頻繁に歌われていた。

鈴木はその歌を知っており、神田の出版社の2階にある八十の自宅を直接訪れ、「新しい童謡をあなたに書いていただきたい」と依頼した。

その依頼を受けた八十は『赤い鳥』に『かなりあ』を寄稿したのだった。

ーー

当時一家は、父の急死と兄の放蕩で破産し、結婚して間もない八十は母と妻のいる家族を天麩羅屋を開いて支えていた。

そんな八十にとって、三重吉からの依頼は詩の創作へと再び戻る契機となった。

1921年(大正10年)に発表した童話集『鸚鵡と時計』の序で、八十は、三重吉を「象牙の船と銀の櫂を添え、月夜の海に浮かべてくれた忘じ難き恩人である」と書いている。

ーー

後に八十は早稲田大学仏文科教授となるのだが、この天麩羅屋を開業して庶民に接したことが、庶民に受け入れられた多くの作詞の原動力となった。

ーー

この歌詞について、八十は、子供の頃クリスマスに連れて行かれた麹町の教会の中で、自分の真上にある電灯が1つだけ消えていたのを覚えていたのだと回想している。

それから、八十は、「ただ一羽だけ囀(さえず)ることを忘れた小鳥」「唄を忘れたカナリヤ」の発想を得たと言う。

後に八十は、この詩を執筆するうちに「唄を忘れたカナリヤ」の姿は自分であるように思えたと述べている。

ーーここまで抜粋

「かなりあ」は優しい情感が溢れている。

ーー

唄を忘れたカナリヤは価値がないのでしょうか
そんなことはありますまい

後の山に棄てることなどなりませぬ

背戸の小藪に埋(い)けることもなりませぬ

柳の鞭でぶつなどかわいそうです

象牙(ぞうげ)の船に銀の櫂(かい)を添え
波の穏やかな月夜の海に浮べてやれば
忘れた唄を思い出すからです

ーー

そして村田英雄が歌い爆発的にヒットした流行歌「王将」の歌詞も八十が書いたのである。

その二番には「天麩羅屋を開いた八十を手伝い、破産の心労で盲目となった母の世話をしてくれた」八十の妻へのオマージュ(尊敬)がこっそりと書かれている。

あの手この手の 思案を胸に
やぶれ長屋で   今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春
つくる笑顔が     いじらしい

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コメント

縦椅子さま

 象牙(ぞうげ)の船・銀の櫂(かい)・月夜の海・
そこに一羽の歌を忘れた「かなりあ」・・・何というイメージなんでしょう!ーーーまるで一枚の絵です!
「後の山に棄てましよか」・「 背戸の小藪に埋(い)けましょか」
・「 柳の鞭でぶちましよか」に現代の使い捨て社員のような
苛酷な現状が読み取れます。
「 いえいえ それはかわいそう」そこにあふれんばかりのやさしさが感じられ、涙が出てきます。
このところ・・・私もーー唄を忘れた金糸雀(かなりや)--のようでしたが、このブログで、心の中で、大きな声で…「カナリア」を歌い癒されています。
ーーー言葉にならないくらいの素晴らしいブログ有難うございます。ーーー感謝!

縦椅子さま

 「唄を忘れたカナリア」や"Blue Canarry"のイメージからカナリアは神秘的で幽玄の世界を連想させますが、本当のカナリアって愛らしく、「こんなにもよくさえずってくれるものか」とおどろきました。そのさえずり方は、透明で、無心で、心をきれいにしてくれるような、囀り方です。
 「かなりあ」・・・?ってどんな鳥?と、本屋を何軒かまわったのですが、野鳥の類の本しかありません。がっかりして、一晩寝て、早朝に可愛らしいレモン色の姿と、際限なくさえずってくれている小鳥に出会ったのです!
 「かなりあ」・・・は「忘れられたカナリア」ではなかったのです。
江戸時代から、愛好家によって愛され、家で飼われ、守られてきたのです。「カナリア」は健在です!---アリガトウカナリアヨ!!!---

縦椅子さま

 「太陽のような明るい笑い声」、「月のように静かに見守ってくださる存在」・・・お互いの存在を{月と太陽に」になぞらえ、
 「夜空にきれいな月を見つけるたびに、電話をかけてきたという」・・・小室さん、 お二人の爽やかな会見に、まるで万葉の相聞歌の世界が目の前で繰り広げられているように感じました。
これで、すべて、「めでたし・めでたし」でございますね、よかったことでした!!

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