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2017年8月25日 (金)

殉教が改宗を促すと信じていた3世紀のキリ スト教神学者テルトリアヌスと同じくらい、フリードマンも間違っていたことになる

ーー以下「宮崎正弘ブログ、樋泉克夫のコラム」より抜粋編集

山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)

山川が成都を離れたのは明治39(1904)年5月とのことだった。

当時の成都には「日、英、獨、佛、米」の外国人が居住しており、日本人を除く「男女合せて百人餘」、職種は領事、教員、商人、宣教師などだ。

彼等は、「殆と永久移住の覺悟らしく、妻子を携へ、廣大なる家屋を有」し、ある種の計画を「着着歩を進め居る」ように見えた。

ーー

当時の成都にみられたドイツ企業の商売の仕方は支那人に儲けさせて信用を得ると言うものだった。

現在のドイツと支那の関係も、関係者を儲けさせて“蜜月関係”にあると考えることは、さほど難しいことではなさそうだ。

そういえば日支戦争時、日本人から考えるなら首を傾げざるを得ないような形でドイツは蔣介石政権支援の態勢を崩そうとはしなかった。

あれはナチスであるからか。
それともドイツであるからか。

山川の指摘からするなら、やはり後者ということになろう。

ならば現在の両国の関係の根底に、20世紀初頭以来のドイツの支那市場に対する“営々たる努力”が隠れていることを知るべきだ

やはり支那におけるドイツは一日にして成らず、といっておきたい。

ーー
 
さらに山川は西洋人宣教師に注目する。

ーー

「成都に住する實に二十年の久しきに亘り、今や巍然たる病院と廣大なる教會とを有する」キルボーンと、「同じく醫師兼宣教師にして、成都に居ること十二年に及べる」カンライト。

前者はカナダ人で、後者はアメリカ人だが、西洋人のなかで最も現地に馴染んでいる。

これに次ぐのがフランス人で、彼らも「城内幾處に教會を有し、且つ其宣教師も概ね辮髪寛服を着け(満州人の服装)、務めて内地人に同化せんと」している。

カンライトはアメリカから送られた大量の建設資材を使って各所に時計台を敷設した病院を新築するなど、成都の近代化に務め、住民の支持を得ている。

じつは現地人は「下流」であるほどに「洋醫を喜ばざれど、其効驗の顯著にして且つ療費の廉なる爲め、不知不識、之に歸依」することとなる。

ーー

こうして彼ら宣教師が本国などの支援で建てた「壮大なる建築物は、やがて布教上の資本となり、宣教師本來の目的は、漸を以て成就するものとす」。

「それにつけても、彼等宣教師等が種種の不便を忍び、不測の危難を負擔し、深く内地に進入し、全然移住的態度を取れるは、嘆稱に値」するのである。

ーーここまで抜粋

それでは西洋人の「ある種の計画を「着着歩を進め居る」ように見えた」というその計画とは何か。

以下のロイター記事はその計画の一部を暴露している。

ーー以下「ロイターBreakingviews、Edward Hadasコラム」より抜粋編集

16世紀の日本の支配者は豊臣秀吉だった。

秀吉は、それまで急速に拡大していた国内のキリシタン社会を暴力的に迫害し、多くの日本人殉教者を生み出したが、キリスト教信仰は復活しなかった。

西洋には、「殉教者の血は教会の種」という言葉がある。

つまり西洋人は、秀吉の行為からキリスト教信仰が復活することを期待した。

ところが日本ではそうはならなかったのだ。

ーー

日本が、西洋世界の通念の反証となったのはこれが最後かというと、決してそうではない。

ーー

19世紀の専門家は、当初、繁栄が可能なのは新教徒(プロテスタント)が多数を占める文化だけであると確信していた。

ところが日本は、1868年の明治維新後、反キリスト教の歴史を持つにもかかわらず繁栄したのだった。

20世紀に入ると、開発経済学者は「何か特別な推進要因がなければ急速な成長は、ほぼ不可能」と主張。

それは貿易慣習や、暴力的混乱を伴う社会革命、豊かな天然資源、国際的に連帯したマイノリティグループによる感化などだ。

だが、日本はこのいずれにも該当しないにもかかわらず、急速な成長を成し遂げたのだった。

ーー

政治経済学者は、別の理論を唱えた。

それは、軍事力強化が常に工業化の主要目標になる、というものだ。

その筆頭が、貧困から抜け出し、1905年にロシア艦隊をほぼ全滅させるに至った日本である。

だが、世界戦2後、日本は平和憲法を掲げたにもかかわらず、再び急速な経済発展を成し遂げたのであった。

世界戦2後の日本においては、「豊かになる」ことが軍事力強化と同じくらい強い工業化の動機になったのだった。

ーー

現代においてさえ、日本はグローバリゼーションなどの世界的原則に対する例外であり続けている。

ーー

専門家は、先進国におけるGDP増が移民の流入によるものだとしている。

日本への移民の流入は先進国最低なのだが、それにもかかわらず日本は成長を維持しているのである。

2013年時点における日本の外国人居住者は、経済協力開発機構(OECD)の試算によれば、全体のわずか1.6%なのだ。

これは、米国の7%、ドイツの9%を大きく下回っている。

ーー

また日本は、現代経済における女性労働を巡る世界的な潮流にも背を向けている。

世界に先行する深刻な少子化問題を抱えているにもかかわらず、日本の女性は依然としてキャリア面で男性に後れをとっている。

国際会計 事務所グラントソントンによれば、企業の上級幹部に占める女性の割合 は、ユーロ圏の26%に対して、日本はわずか7%だ。

ーー

「貨幣の供給を増やせばいついかなる場所においてもインフレを生じる」

これは1963年にノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンが提唱した理論だ。

つまり「貨幣の供給量が機械的に価格水準を決定する」と。

ーー

現在の日本は、このフリードマンの理論に反している国なのである。

安倍晋三政権と日本銀行は、どんな先進国よりも積極的な財政・金融政策を推進した。

日銀は、国債などを買い取ることでGDPのほぼ100%に相当する資金(500兆円)を市場に供給した。

過去5年間の財政赤字は対GDP比で平均5%と、主要7カ国(G7)の中で最悪の水準だ。

つまり日本は貨幣の供給を増やした。

その政策の結果、日本はどうなったのかといえば、インフレにならなかったのである。

ーー

日本のインフレ率の 最新データは0.4%であり、物価の推移はどう見ても横ばいに過ぎない。

政府・日銀の通貨供給を増やす政策では、インフレ(物価上昇)にすることはできなかったのである。

殉教が改宗を促すと信じていた3世紀のキリ スト教神学者テルトリアヌスと同じくらい、フリードマンも間違っていたことになる。

経済学と言うのは、何事においても確固たる結論に到達することがほとんどない、やっかいな学問分野だということだ。

ーー

日本から得られる教訓は、第1に、一見して普遍的だったり、時代を超えた真理のように見えたりするものが、実はそうでないことが多い、ということだ。

例えば、1970年代当時、トップダウンの行政指導や、工場・会社での責任共有に代表される日本独自のビジネス文化が、この国のとどまるところを知らない急速な経済成長の秘訣だ、と多くが考えていた。

実際は、日本の繁栄が世界の先進国にほぼ追いついた頃、成長は減速した。

ーー

第2に、日本が原則に従っているときは注意しろ、ということである。

かつて日本ではすべての資産価値が上昇する時期があった。

その時多くの人が、日本ではどんな資産価格も高すぎるということはない、と主張していた。

だがその資産価値も、1989年末に高値に達して以来、下がり続けたのである。

(大蔵省が銀行の貸し出しに総量規制をしたからである)

以来日経平均株価は、いまだ1989年のピーク時の半値水準にとどまり、東京の 住宅用不動産価格もピーク時から6割下がったままだ。

日本の独特のあり方は経済学者を混乱さすかもしれないが、日本経済とて財務政策の影響を免れることは出来ないということに成る。

ーー抜粋ここまで

ーー以下wikipedia「総量規制」より

1990年(平成2年)3月27日に、当時の日本の大蔵省から金融機関に対して行われた行政指導。

1991年(平成3年)12月に解除されるまで、約1年9ヶ月続いた。

大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」のうちの、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑えることをいう。

行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させることを目的とする政策であった。

が、予想をはるかに超えた急激な景気後退の打撃(いわゆるバブル崩壊)を日本経済にもたらした。

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