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2017年7月 3日 (月)

変わるためには、理由が必要なのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本共産党は、党の綱領に暴力(テロ)によって政権を奪う(革命をする)と書いています。

テロ等準備罪が成立すると、党の存立・存続が危うい。

それで彼らは、テロ等準備罪に共謀罪というレッテルを貼り、その法の成立に反対していたのです。

ーー

しかし、2001年の9・11以来世界各国はテロとの戦いに取り組んでいます。

日本も、組織犯罪を防止するためのパレルモ条約を国会で批准しているのです。

すでに187か国がパレルモ条約を締結しています。

ーー

ところが、日本にはテロ等準備罪がなかった。
つまり組織犯罪を犯罪として処罰できなかった。
そのためパレルモ条約を締結できなかった。

それで2008年、世界経済開発機構の金融活動作業部会FATFが日本に、パレルモ条約を締結しないと、国際金融から排除するという勧告を出した。

つまり、テロ等準備罪の制定は、パレルモ条約を締結するために必要だったということに成ります。

ーー

しかし、日本のメディアはこの大切な情報を報道しようとしない。

これは日本メディアが、戦後体制の既得権益者であることに起因しています。

ーー

敗戦後、占領軍は、占領政策として旧体制破壊政策を実行します。

それは戦争責任を一方的に日本側に押し付けるものでありました。

(敗戦とはそういうものです)

旧体制を支えていた人々の名簿が作られ、20万人以上の人々が公職から追報されたのです。

この名簿を作り、言論を弾圧し、戦争責任を日本人に押し付けた人々こそが、現在の在日・反日勢力と呼ばれている人たちなのです。

戦後彼らは、政財界、教育界、言論メディア界、法曹界を支配し敗戦利得者となります。

ーー

このようにして戦後体制が作られ、これら敗戦利得者らは、日本人に、東京裁判史観という自虐史観を押し付け、占領憲法を強制したのです。

日本共産党も、敗戦利得者の一員でした。
東京大学は共産党員によって支配された。

それゆえ国内に暴力革命を実行すると主張する勢力であるにもかかわらず、処罰できなかった。

ーー

それでは、彼らが主張する革命とはどういう意味なのでしょう。

ーー

在日・反日勢力は、占領軍の旧体制破壊政策に協力したような人達なので、恐らく日本の伝統の外に居る人たちなのだと想像されます。

それゆえ彼らが思い描いている革命というのは、支那の易姓革命の事でありましょう。

支那の革命は、天命(てんめい)が革(あらた)まる、つまり支配者が代わるという意味です。

彼らは日本で易姓革命が起せると思っているということに成ります。

ーー

けれど、どんな国でもどんな民族でもそうですが、その国や民族の歴史伝統文化に則った延長線上でしか、政治は変えられない。

日本は、太古の昔から、支那や朝鮮のような易姓革命が全く無かった国です。

日本における政変は、原点回帰「レボリューション(Revolution)」になっているのです。

明治維新も、7世紀の大化の改新の再現(Revolve)です。
その大化の改新も、神武創業の再現(Revolve)です。

鎌倉将軍、室町将軍、徳川将軍と支配は移りましたが、これはいまでいう政権交代であって、国のカタチがかわったわけではありません。

ーー

日本で易姓革命が起こるとすれば、それは日本が外国人によって支配されるときです。

要するに、台湾のように、いきなり国民党の軍隊がはいってきて、支配者になるみたいなものです。

ーー

日本には1億2600万人の人々がいて、およそ1億人の有権者がいます。

が、そのほぼ全員が、支那人や朝鮮人に支配してもらいたいなどとは思っていない。

そう思っているのは、在日・反日勢力くらいなものです。

ーー

支那も朝鮮も、ずっと異民族によって支配されてきた国です。

いってみれば支那・朝鮮人は、一度も国民国家を形成したことが無い。

それゆえ支那・朝鮮人には、国民という概念は理解出来ない。

ーー

清朝は、満州人(マンダリン)による支配でした。

それが中華民国になり、中華人民共和国になったのですが、現在の支配者は共産党員なのです。

支配者が代わっただけなのです。

被支配側にしてみれば、中華人民共和国の政権などどうでもよいのです。

ーー

在日・反日勢力はきっとこのような状態を思い描いているのでありましょう。

ーー

しかし日本では、大日本帝国が日本国に代わり、憲法が変っても国のカタチは変ってはいない。

それは、民衆が天皇の「おほみたから」とされ、政治権力者は責任を持って、その天皇の「おほみたから」のために政治を行うという、国のカタチです。

残念ながら、戦後の教育から、そのことがごっそりと抜け落ちているために、現代人の私たちは、その日本本来の姿を見失っています。

そして在日・反日勢力は、メディアを支配することで、日本の国体を破壊することが良いことであるかのように宣伝している。

しかも、まともな知識人や言論人の言論が、在日・反日勢力によって弾圧されてきたのです。

ーー

ようやくネット環境が整い、いろんな言論が表に出だしたものの、玉石混交、在日・反日勢力もネット上で言論工作をしている。

確かに政治は、人それぞれの立場によって、問題となるものが違っている。

現状に問題を感じて、それを変えようとしても、立場によってめざすものが違ってくる。

何を目指しているのかはそれぞれバラバラです。

このため、保守と呼ばれる人たちも、私を含めてですが、単に在日・反日勢力に対する対抗勢力と思われている。

しかし、対立だけでは、残念ながら世間の支持は得られません。

そして世間の支持がなければ、政治は変わりません。

ーー

ではどうしたら良いのか。

私(ねず)は、本来の日本の形(国体)を明確にすることではないかと思っています。

17条憲法は教え(憲)の中の教え(法)でしたが、今の憲法はConstitutionの訳、つまり国体のことです。

私は、古事記や百人一首を通じて、本来の日本の形(国体)を明確にしようと思っているのです。

ネット環境を手にした日本人で、支那の易姓革命のようなものを求める人は、皆無ではないかと思っています。

ーー

日本のあるべき姿は、いったいつ出来上がったのか。

推古天皇、聖徳太子の時代から、持統天皇、元正天皇、元明天皇に至る時代。

つまり、日本が国家としてまとまろうとした、飛鳥から奈良時代にできあがったのではないかと思っています。

ーー

あるいは「日本のあるべき姿」は、江戸時代の日本にあるのかもしれません。

江戸時代の諸国諸大名は、すべての領土領民を、天皇のおほみたからとした。

大名や武士たちは、その「おほみたから」を預かる立場として、民のためにあろうとした。

つまり江戸時代の平安は、それ以前に築かれた日本を、あらためて守り通そうとしたことによってもたらされたものでもあろうかと思います。

ーー

変わるためには、理由が必要なのです。

そしてその理由は、日本社会の歴史伝統文化に根ざしたものでなければ、世間の理解は得られないと私(ねず)は考えているのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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