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2017年7月18日 (火)

一群の学者とメディアが、これらの事実を今も報道しないで隠しているのである

宮崎正弘氏が、ブログで、ある書物の刊行を「大事件」と書いておられる。

ーー以下「宮崎正弘ブログ」より抜粋編集

フーバー大統領回想録『裏切られた自由』(草思社)

フーバー大統領回想録の邦訳がついに刊行された。

この書の詳細な解説本渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』(同)の最後には次のように記されている。

戦後、ルーズベルトやチャーチルの政治を批判すると、歴史修正主義者のレッテルを張られ歴史学会から追放された。

それは、「ルーズベルトとチャーチルが引き起こした戦後世界の混乱の真因から目を逸らさせたい歴史家や政治家がいるからである」。

ーーそして(p220)

南京事件についても、いわゆる慰安婦問題についても、アメリカはプロパガンダであることを知っている。それにもかかわらず、アメリカが日本を擁護しようとしないのはなぜなのか。

それは、ルーズベルトとチャーチルの戦争指導があまりに愚かであったからであり、その愚かさは、日本が(そしてナチス・ドイツが)問答無用に『悪の国』であったことにしないかぎり隠しようがないからである。

ーーと。

日本の真珠湾攻撃攻撃で一気にアメリカの厭戦ムードは吹き飛んだ。
 
アメリカは孤立主義から大きく逸脱し、まずはヨーロッパ戦線に大軍をさしむけ、ナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリアと戦闘。

西側を勝利に導いた。いや、勝った筈だった。

ところが、戦後秩序はソ連のスターリンが最大の受益者となった。

死力を尽くしたポーランドが共産化され、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアばかりか、バルカン半島に到るまでソ連が手に入れた。

極東ではソ連は、南樺太、全千島を手に入れ、アジアは支那共産党の手に落ち、朝鮮半島は南北に分断されたのだった。

つまりルーズベルトはソ連の領土拡大に協力したことになる。

ーー

フーバー大統領(任期1929−1933)はルーズベルトが「何かを仕掛けた」ことを本能的に直感した。

が、当時、すべての密約は封印されていた。

フーバーは、20年の歳月をかけて議会議事録、外交文書そのほかを緻密に検証した。

そして、フーバーは、ルーズベルトが日本にハルノートという最後通牒を突き付けていたことや、真珠湾攻撃前に米軍が日本軍の暗号を解読していたことを知る。

つまりルーズベルトとチャーチルは、世界戦争を「仕掛けた」のだった。

ーー

ルーズベルトは、大統領就任直後にソ連を国家承認した(1933年11月)。

ルーズベルト政権には、ソ連工作員(スパイ)や共産主義者が蝟集していたからだった。

そしてかれは、国策を次々とあやまった。

平等を訴えた共産主義者が結果的に世界に混乱と一層の不平等をもたらしたのだ。

こうして共産主義は思想としても敗北してしまった。

ーー

そんな共産主義者が日本では今も、メディアを支配し、誤報を流し続けている。

ーー

さて、1938年3月8日に、フーバーはヒトラーと会見している。

「ヒトラーは自身の言葉で国家社会主義思想に基づく経済再建を語った。情報の豊かさは彼の優れた記憶力を感じさせるものだった」(渡邊解説本、p64)

その前年、1937年にルーズベルト政権はシカゴで演説した。有名な『隔離演説』である。

この演説で、ルーズベルトは「日独伊三国によって世界の平和が乱されている、これを是正するためにはアメリカは積極的に国際政治に関与しなけれはならないと訴えた」(同p72)。

ーー

1939年3月15日、ナチスのチェコ進出は、「少なくとも軍事侵攻ではない。ハーハ(チェコ)大統領との合意によるものだった」。

「フーバーが考える独ソ戦では、ドイツはソビエト侵攻の通路(ハイウエイ)となるチェコスロバキアを通らざるを得ないことは自明である」(同p88)。

ーー

英米は、ナチスはスターリンとの対決に向かうと考えていた。

ここで英国のチャンバレンはポーランドの独立を保障する宣言を行った。

ナチスが、ポーランド回廊を通過するのは自然であり、このポーランド独立を英国が保障するということは、フーバーからみれば愚かな政策であった。

ーー

「犬猿の仲であった独ソ両国の唯一の共通点。それが第一次大戦期に失った領土回復を希求する強い思いであった」(同p99)

ヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、しかもソ連もポーランド侵攻に踏み切る。

舞台裏では何回も複雑に執拗に交渉が続いたが、ポーランドの誤断も手伝って、ついにナチスはポーランドへ侵攻する。

「この戦いがなければ日米戦争がおこるはずもなかった」が、ポーランドの稚拙な対独外交が原因で、戦線が広がり、日米開戦への道が準備される。

ーー

その後の戦争の展開は周知の事実である。

問題は「カイロ宣言」、「テヘラン会談」から「ヤルタ」会談、そしてポツダムへと米英ソの『密約』が次々と進んだことだ。

ルーズベルトとスターリンの謀議は進展し、途中からチャーチルはのけ者にされ、やがて病魔に冒されたルーズベルトは正常な判断も出来なくなった。

トルーマンはルーズベルトから殆ど何も聞かされていなかった。

原爆を保有したことさえ、トルーマンは知らなかったのだ。

ーー

一群の学者とメディアが、これらの事実を今も報道しないで隠しているのである。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

ーー以下妄想です

フーバー大統領(任期1929−1933)はルーズベルトが「何かを仕掛けた」ことを本能的に直感した。

が、当時、すべての密約は封印されていた。

フーバーは、20年の歳月をかけて議会議事録、外交文書そのほかを緻密に検証した。

そして、フーバーは、ルーズベルトが日本にハルノートという最後通牒を突き付けていたことや、真珠湾攻撃前に米軍が日本軍の暗号を解読していたことを知る。

つまりルーズベルトとチャーチルは、世界戦争を「仕掛けた」のだった。

ーー

どうしてルーズベルトとチャーチルは、世界戦争を「仕掛け」なければならなかったのか。

ルーズベルトは共産主義を信じていたものと思われる。

それは、大統領就任直後にソ連を国家承認した(1933年11月)ことから分かる。

それが彼の周りに、ソ連工作員(スパイ)や共産主義者を蝟集させた。

ーー

その後の戦争の展開は周知の事実である。

問題は「カイロ宣言」、「テヘラン会談」から「ヤルタ会談」、そしてポツダムへと米英ソの『密約』が次々と進んだことだ。

ルーズベルトとスターリンの謀議は進展し、途中からチャーチルはのけ者にされ、やがて病魔に冒されたルーズベルトは正常な判断も出来なくなった。

トルーマンはルーズベルトから殆ど何も聞かされていなかった。

原爆を保有したことさえ、トルーマンは知らなかったのだ。

ーー

ルーズベルトは、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアばかりか、バルカン半島に到るまで共産化されることを許した。

極東では、南樺太、全千島、北朝鮮をスターリンにゆだね、支那を共産党に手渡した。

ルーズベルトはそれを良いことだと信じていたのだろう。

ーー

しかし、共産主義者が実際に行った行為は、住民から自由を奪い、住民を奴隷化することだった。

そのことが判明した時には、ルーズベルトはもう死んでいた。

西側諸国は、共産主義の真実を知ると、共産主義者を排斥し、冷戦構造を作りスターリンと対峙する。

ーー

西側諸国の隠れ共産主義者らは、主導権を維持しようとして、男女平等、地球温暖化、再生エネルギー、反原発、多文化共生、グローバリズム、と次々と新趣向をうちだした。

しかし、思想としては、そのことごとくが破綻している。

ーー

米国においても、2011年になるまで、フーバー大統領回想録『裏切られた自由』は出版されなかった。

出版に際して共産主義者との戦いがあったものと想像される。

自由を奪う共産主義が日本では今も、メディアを支配し、共産主義者は自分たちに都合の良い誤報を流し続けている。

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