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2017年7月31日 (月)

戦後、彼等はメディアを支配し、自分たちの悪行を報道しないようにしてきたのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

「行者と鬼」

この峰つたいの道はもう何回歩いたことだろうか。

しかし積雪のある山中は危険極まりない。

雪中の荒行で、たった3日の行であると言うのに、多くの行者が帰ってこない。

錫杖だけ残しているのは、恐らく腹を減らしたイノシシにでも食われてしまったのだろう。

ーー

行者は、腰の大きな3つの握り飯を確かめると、雪をかき分けるようにして荒行に挑んだ。

修験小屋で2晩を過ごし、今日はひとつ残った握り飯を食べ元の堂に帰るだけだ。

ーー

空は曇り、時間はわからないが、もうずいぶんと歩いた。

すると、行者の耳に、確かに聞こえた。

色はにほへど散りぬるを
わがよたれぞ常ならむ

山に伏し自然の力を自在に操り民を救いたい。
そのための修行が実を結んだ。

心に、歓喜がわきあがってくる。

「自然の力と言うのはこのようなものなのか」

しかし、「この世に変わらぬ物はない」、それがどうだと言うのか。

ーー

行者は、師から注意されていた。

修行中には鬼を見ることがある、その時は、鬼に耳を傾けてはならない、と。

目を凝らすと、確かに鬼が見える。

「この鬼が発した声であったのだろうか」

修行に疲れたのだろう、そう思いながら行者は、雪を掘って祠(ほこら)を作り、その場に座し目を閉じ「鬼退散」の呪文を唱えた。

「まさか、この鬼の言葉ではあるまい」

師は鬼の言葉を聞けば命を失うと言われた。

「いよいよ俺も死ぬのか」

それなら、死ぬ前に、この続きを聞きたい。

ーー

すると鬼は、行者の心に応えた。

「これを聞くと死ぬが、よいのか」

行者は、死ぬ覚悟をした。

有爲(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて
浅き夢見し酔ひもせず

「執着を捨て生きることだ」

なるほど、行者は、歓喜で満たされた。

それから数年して、奥山でこの行者の錫杖が見つかったという。

ーー(ここまで抜粋)

いま、多くの保守系の方が、「日本を取り戻したい」と言っています。

けれどそのためには、この行者が持っていたような、「自在の力を得たい」という「志」がなければなりません。

行者は、「自在の力を得て多くの民を救う」為に命を懸けた。

その意思と覚悟つまり「志(こころざし)」がなければなりません。

「子や孫のために」という方もおいでかと思います。
「日本の平和と安定のために」という方もおいでになることでしょう。
「多くの人々の幸せのために」もあろうかと思います。

そしてもうひとつ、この行者が、修行を通じて「自在力」を得ようとしたように、行動が含まれます。

そして何よりも大切なことは、この行者が修行を続けたように「続ける」ことであろうと思います。

ーー

一方に「日本を取り戻す」ことを、それは困ると反対する人達もいます。

いわゆる敗戦利得者たちです。

戦後、彼等はメディアを支配し、自分たちの悪行を報道しないようにしてきたのです。

「日本を取り戻される」と、自分たちの悪行が露見する。

だから必死になって、「日本を取り戻そう」とする人たちを攻撃しているのです。

ーー

彼等は、「日本を取り戻そうとする」人たちを、そんなことができるはずはないと、馬鹿にし、中傷し、離間工作をしています。

「日本を取り戻す」ことが、「志」でないのなら、彼等の工作によって、あきらめてしまうでしょう。

しかし、「志」を持つ人にとっては、どのような工作も無意味です。

中傷されようと馬鹿にされようと、損をしようと、たとえ死ぬようなことになっても、あきらめはしないのです。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

田原が政治以外の問題追求のマスゴミは問題にしないで、自民党は政治をしろと、しかしマスゴミは報道支配してるのを良いことに、殺りたい放題ですね

縦椅子さま

「鬼の言葉を聞けば命を失うと言われた。

それなら、死ぬ前に、この続きを聞きたい。

ーー

すると鬼は、行者の心に応えた。

「これを聞くと死ぬが、よいのか」

行者は、死ぬ覚悟をした

有爲(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて
浅き夢見し酔ひもせず

「執着を捨て生きることだ」

なるほど、行者は、歓喜で満たされた。」

人の世には鬼はついてまわる。死ぬ覚悟をして臨むこと、即ち
「執着を捨てて生きること」で得られるものは「歓喜」と思はれるが、その最中で人はすでに、死んでいるのだろうと思われる。
ーーー
今日も奥深い、素晴らしいブログをありがとうございます。

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