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2017年7月14日 (金)

ところが支那・朝鮮人は日本人とは全く違う人たちだった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、宮崎正弘のコメント」より抜粋編集

ドイツ在住の知人によれば、G20を報道したドイツメディアは中国の習ばかりを追いかけ、トランプを敵視し、日本の安部首相は完全に無視していたとか。

BMWは瀋陽に第二工場をつくり、年間10万台。従業員5千名。VWは、上海に四つの工場にくわえてウルムチ、成都、仏山、長春と合計八工場で、生産台数は250万台。

ドイツの中国重視は、異常と言える状態で、さらにドイツの潜水艦を中国海軍に売り込んでいます。

戦前の構図はドイツがスターリンと不可侵条約を結び、チェコとオーストリアを併合、ポーランドへ向かうとソ連と敵対し始め、英米が対独戦争に参加するというプロセスでした。

英米参戦前までのヒトラーはドイツ経済を蘇生させた英雄でした。

いま、メルケルはロシアと敵対しつつ中国に異常接近し米国と敵対しはじめ、日本を無視するという構図。

メルケルは現代のヒトラーですかね。

ーー

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

戦前戦中の日本人が、支那に対して献身的に一生懸命つくしてきた。

これは日本人の立場からの意見であります。

しかし日本人は支那人からの尊敬を得られなかった。

一方支那人は、ドイツが大好きで、そしてドイツ製品が大好きです。

戦前から、ドイツは、支那市場に上手く入り込んでいるのです。

ーー

世界戦2中、独は対日戦の軍事指導をしていた。

ドイツは、国民党に有償で武器を売り、指導教官には高額の給料を払わせていた。

そして今も独・支関係は良好です。

一方米英は、国民党に莫大な無償支援をしながら、影響力を失なった。

日本は、侵略国とされ、忌避されている。

ーー

この違いはいったい何なのでしょう。

ーー

明治33(1900)年山東半島のあたりで大規模な外国人排斥運動が起こりました。

義和団事件(ぎわだんじけん)です。

ドイツはその山東半島を植民地化していたのです。

ドイツ人は、入植して、空き地を開墾し、農地とし、作物を作り都市を作った。

そこに教会を建て、ドイツから派遣された宣教師たちがキリスト教の布教をはじめた。

彼等は支那人たちにパンを無償で恵みました。

これに対し、支那人らは、「ドイツ人たちは、勝手にやってきて、いつの間にか自分たちの土地を奪い取って、勝手に教会を建てた!」と批判したのです。

ドイツ人たちが、ただの荒れ地と思って教会を建てた土地は、支那人にとっては農地であった。

支那農民は、地元の「神拳」や「太刀会」と呼ばれる武術家達にドイツ人の追い出しを依頼します。

彼等は集団で、武装し教会を襲った。

教会の建物は破壊され、備品は掠奪され、宣教師とその家族は皆殺しにされて、食料にされてしまいます。

このドイツ人への襲撃の成功は、全土に、「支那人を襲わない、義と和の集団」と伝えられた。

ーー

そしてさらに、いつの間にか、「義和団」は、ドイツ軍の銃弾をも跳ね返したと噂が広まりました。

こうして義和団のもとに20万人の人たちが集まります。

ちなみに支那では、日本の反日メディア同様、人数というのは、公表値の半値八掛け五割引(2割)が常識です。

義和団は4万人程度の集団であったことが分ります。

ーー

義和団の乱からドイツ人は、「キリスト教の布教で現地の人々を抱え込む」という戦略が、支那では有効でないことを学んだ。

ドイツは、武装し、支那人と交易した。

100円で仕入れた物品を、支那で200円の値を付けて売る。

その際支払いが無ければ殺すと銃を突きつける。

支那人が、200円を支払って得た品が、400円で売れた。

ドイツ製品を仕入れた支那人は大儲けします。

大儲けした支那人は、ドイツ人と友好的な関係を築こうとします。

ーー

支那では「ドイツ人と付き合えば儲かる」という伝説が生まれた。

いつしかそれは、支那人にとって、ドイツ人と付き合うことやドイツ製産品を持つことが成功者の証となった。

蒋介石の国民党も、毛沢東の八路軍も、そして現在の支那共産党政権とも、ドイツとはきわめて良好な関係を保っています。

ーー

ドイツと交易をして大儲けした人たちが、今も、対独関係を良好なまま維持している。

支那では、走っているタクシーは、ことごとくVW、お金持ちが乗る車はベンツかBMW、アウディです。

支那人にとって、ドイツは成功者の証(あかし)になったのです。

ーー

ニューヨーク株式市場は、昭和4(1929)年の9月6日に値上がりに続く値上がりで、381ドルという史上最高値を付けます。

ところが、10月19日(暗黒の月曜日)に、大暴落します。

一ヶ月余で、平均株価が381ドルから200ドルまで下がった。

その後も株価は、値下がりし、昭和7(1932)年7月8日には、41ドルになった。

381ドルが、41ドルと89%下落した。

ーー

この大暴落によって、米国では多くの企業がつぶれ、4人に1人が失業したのです。

この株式市場の大暴落によって、それまでの米国の産業は壊滅します。

しかし、「損する人がいれば、必ず儲ける人がいる」のです。

最高値を付けたということは、株式市場に、「大量の資金」が流れ込んでいたことを意味します。

それが89%安(底値)となった。

つまり「大量の資金」の89%が、株式市場から流出した。

ーー

この「大量の資金」の89%を「儲けた連中がいた」ということに成ります。

ーー

儲けた米国人は、その資金を、新技術であった石油関連の製品開発や基礎研究分野に陸続と投資した。

これによって、米国は、新産業を先導する国家へと成長し、世界経済を牽引する国になっていくわけです。

ーー

日本でも、平成元(1989)年の大納会(12月29日)に、日経平均株価の終値が史上最高値の3万8,915円87銭を付けます。

以後、株価は下落し、平成20(2008)年10月28日には、日経平均株価6994円という最安値になりました。

つまり、日経平均株価は、20年で82%下落したことに成ります。

ーー

最高値の82%の資金は、日本の知恵者によって、世界中に投資されました。

日本は「国軍不保持、交戦権放棄」の国ですので、米国を凌駕するような金持ち国になると侵略される可能性が高くなる。

それで、海外に投資したのでした。

それゆえ経済規模500兆円の日本は、海外に500兆円規模の日本をもう一つ持っていると言われるようになります。

ーー

こうして日本は、1989年以来30年以上もの間、物価が上がらない状況を維持したのです。

ーー

ここでもちろん、重要なことは職があるということですが、日本は、先進国でこの30年間、常に最低の失業率を維持したのでした。

経済の担い手は、個人、企業、政府であります。

物価上昇によって利益を得るのは、企業と政府です。

物価が、上がらないことで利益を得るのは個人です。

これを、反日メディアは不況だと非難しますが、周りを見回してごらんになると分かるように、日本人の生活水準は確実に上がっているのです。

(恐らく世界一)

ーー

ドイツ人は、支那人によって食べられたという経験を持っていますから、武装し、武器を突きつけて彼らと交渉をしました。

すると支那人は、ドイツ人の持つ武器を、欲しがるようになります。

実際、国民党は、ドイツに軍事指導を依頼し、ドイツ式装備を採用しています。

昭和7(1932)年の第二次上海事変当時、国民党軍は、ドイツ式の武装をしていました。

ーー

支那の妲己と紂王(だっきとちゅうおう)の時代の殷王朝が、周によって滅ぼされた。

そのとき、国を失って行商をして歩いた殷の遺臣たちのことを「商」と呼んだのです。

支那では何度も易姓革命が起こり、その都度国を失った人たちが商人となり、いつしか商業中心の民族を形成していった。

農地で作物を育てても、役人が来て、できた作物を全部持っていってしまう。

自分の分を隠しておいても、役人の後には武装盗賊がやってきて、全部持っていってしまう。

支那社会では、誰の土地であるかなど一向にお構いなく、勝手にそこで作物を育てて、収穫期の直前に全部それらを刈り取って、作物を持って逃げるしか生きるすべがなかったわけです。

ですから支那では、税制も年貢ではなく、通行税でした。

ーー

井戸のある城塞都市では、作物を持ち、水を求めてやってきた流民に通行税を課して税金を取り立てるのが、もっとも効率的だったのです。

そのような土地柄、民族性ですから、ドイツが彼らと商業中心のお付き合いという選択をしたことは、たいへんに賢明なことでした。

これは利害がピッタリ一致したのです。

また、日清、日露戦争以降、5大国の一つとなった日本が、彼らとの間で商業と治安維持を中核としておつきあいをしたことも、賢明なことでした。

ドイツと同じで、利害が一致したからです。

ーー

ところが、世界恐慌以降の日本人は、その支那に、農業で入植しました。

しかも、当時の日本人は、支那・朝鮮のことなど全く無関心だった。

たとえば満洲では、36万人が、仕事もしないで武装して、ただ奪うだけで生活していたのです。

満洲は、このような匪賊を36万人も、食わせられるだけの豊かさがあった。

ーー

その匪賊によって、農地が荒らされ、鉄道が年間30万箇所も壊され、次々と邦人の人命が奪われていた。

それに対して、政府が派遣したのは旅団ひとつ、1万2千です。

当時の日本には、しようと思えば、多国籍軍を編成して、匪賊の大掃討作戦を展開することも、できたのです。

なにしろ当時の日本は、国連(国際連盟)の安全保障理事国です。

しかし、日本政府は、そうしなかったのみならず、リットン調査団以降、国際連盟を脱退するのです。

ーー

これは、日本人の見識が、外地を占領しているにもかかわらず、内地を一歩も出ていなかったことに起因します。

日本政府は、海外を支配し、統治した経験が浅かった。

日本人と同じように、外国の住人も法を守り、政府に従い行動すると考えていた。

ところが支那・朝鮮人は日本人とは全く違う人たちだった。

政府は、海外の紛争で日本人が巻き込まれていても、軍を動かすほどではないと考えていた。

命令がでない以上、軍人さんは、「腰の軍刀は竹光か!」とまで罵られても、黙ってうつむくほかはない。

支那人は、「日本軍は頼りにならない」と思う。

ーー

一方ドイツ人は、最初から支那人に銃を突きつけました。

約束が履行されないと、支那人を平気で殺す。

これを支那人は、ドイツ人は、取引の安全を、銃によって守ってくれると考えた。

しかも、ドイツ人は、土地には手を付け無い。

支那人は、「ドイツ人との取引は、約束を守っていれば安全だし儲かる」と考えたのです。

支那人にとっては、100年経った今でも、ドイツは儲かる相手であり続けているわけです。

それは、逆に言うと、ドイツ人にとっては、支那人は良い客であるということに成ります。

ーー

世界戦2の最大の教訓は、日本人と支那・朝鮮人は全く違う人たちであるということでした。

敗戦は、彼等と関係を絶つ良い契機となり、その後の日本の発展につながったと言えましょう。

物価が安定したまま、それが30年以上も続いた。

これこそが、日本が世界でも注目される生活が出来る国となった大きな理由と考えられるのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

>ドイツ人は、入植して、空き地を開墾し、農地とし、作物を作り都市を作った。

そこに教会を建て、ドイツから派遣された宣教師たちがキリスト教の布教をはじめた。

彼等は支那人たちにパンを無償で恵みました。

このようなことは、「暗黒大陸中国の真実」(ラルフ・タウンゼント著)にも書かれており、そこでは米国の宣教師が支那人達にパンを無償で恵んだとされ、宣教師は支那人が良き信者になるだろうと思っていたが、パンを恵むことを止めたら元の木阿弥で、失望したとされていたように記憶しています。

要は、パンが欲しいから信者の振りをしていたとのことで、小さな利にも聡いだけのことでした。


それから、メルケル氏は東ドイツ出身ですが、東ドイツ出身の人は統一前は社会主義政権の中で学校教育を受けており、その中で日本は侵略国家で支那はその被害国とされていても不思議はありません。どこの国でも国民の教育はプロパガンダの一環とされているのです。

これがされていなかった日本は、国民に自虐史観を教育するという馬鹿げたことを、サンフランシスコ条約を締結してからも続けていたのです。
団塊の世代は国の発展に寄与したと思うのですけれど、自国の歴史観を教えられていませんから辛いところです。

NHKの受信料、マジで払いたくありません。反日工作員に使われるなら

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