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2017年7月 2日 (日)

田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、 南京大虐殺記念館を建設するよう求めた

ポッポさんが6月30日付けで次のような内容の意見を投稿された。

ーー

私は京都に住んでいます。

京都には戦前第16師団がありました。
父はこの師団の兵で、南京では虐殺はしていないと言っていました。

しかし、第16師団は南京攻略戦において数千人の支那兵を処断したとされていて、私は、敗戦後の教育によってその行為を虐殺と考える人がいるものと考えています。

特に、撫順戦艦管理所の場合は、日本人捕虜は、共産党軍に「日本軍悪」を洗脳された後でなければ日本に帰国できませんでした。

このために、捕虜となった日本人は、自己の帰国が確保できた場合でも、まだ残っている者を帰国させるためにも無理に日本軍を悪く言ったと想像できます。

さらに、彼等は、帰国してからも、占領軍による戦争責任教育計画WGIPによって日本軍が悪いと教育された。

これらを考慮すると、支那共産党軍による、日本人捕虜への「日本軍悪」洗脳は帰国後にも解けなかった可能性があると思っているのです。

私は、戦後の自虐教育を受けた者には、南京での虐殺は無かったと言うのは、難しいと考えています。

ーー

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

陳登元著、別院一郎訳『敗走千里』(ハート出版)

「南京大虐殺」は、支那共産党によってでっち上げられた架空の事件だった。

支那共産党が仕掛けた対日情報戦の一つであることが分かっている。

日本側が、客観的科学的証拠が無いとしているのに対し、支那側は、それに反論出来ないでいる。

しかし北京は、「南京大虐殺」は対日政策として有効だと考えていて、その宣伝・広報を止めようとはしない。

その嘘の総合展示場が南京にある南京大虐殺記念館である。

ーー

日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、 南京大虐殺記念館を建設するよう求めた。支那共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため総評が3000万円の建設資金を寄付し、その資金で同紀念館が建設された。

ーー

本書は、南京大虐殺の虚妄を支那軍兵士として参戦した支那人が自ら語った貴重な証言である。

この本は、昭和13年に出版され、百万部を越えるベストセラーとなっていた。

それを禁図書として占領軍が没収し焚書として廃棄したのだ。

「南京に山積みされた死体の山」

これは、蒋介石軍の督戦部隊が、敗走しようとした自国軍兵士を機関銃で撃ったものだった。

支那軍兵士は、つねに一般市民に化ける服装を携帯していた。

これが便衣隊だった。

ーー

実際に支那軍に強制的に戦闘地に駆り出された支那人青年・陳登元が見たのは、支那軍人の腐敗、そのおぞましい略奪ぶりだった。

陳登元は父親が重慶で親日家だった関係で十代で日本留学の経験があり、ちょっと祖国へ帰るといって日本を去って、そのまま運悪く徴兵されてしまったのだ。

かれの綴った手記を、日本で家庭教師をしていた別院氏が翻訳した。

「僕はこの二度と得難い戦争を記録しておく決心をしました。幸い、僕の耳はまだ、砲弾にやられた断末魔の人間の叫喚が残っています。生臭い血の臭いが鼻に残っています」

「バラバラになった人間の腕や、旨や、首や、そんなものが目に残っています。僕は書きました。僕の経験し、見聞せる範囲内においての殆ど残らず書きました」

ーー

読んでみると、支那軍とは、匪賊だったことが了解できる。

支那軍は掠奪・殺人・強姦を平気で行う強盗集団であったのだ。

彼は南京大虐殺を完全に否定している。

ーー抜粋ここまで

【ねつ造・南京大虐殺bot】本多勝一の「中国の旅」は朝日新聞紙面で連載され、長らく「南京大虐殺」説の根拠とされてきた。しかし本多勝一の取材は、一切裏付け取材をしていない。

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