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2017年6月30日 (金)

私たちの先人は、我々子孫に恥じない行為をしてくれていることは間違いない

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

私たちが、漠然と思い込んでいる、歴史というのは

1、時間が直進している
2、出来事は時間順に起こる
3、出来事には因果関係がある
4、因果関係を文字で記録している

の4つが揃っていることでしょう。

ーー

ところが、「因果関係の記録」を歴史と考えるのは、世界の中ではむしろ少数派なのだそうです。

ーー

たとえば古代インド文明は、日本人的な歴史を持ちません。

なぜなら、彼らは輪廻・転生の思想を持ち、事件や事故の原因を前世に求め、その結果を今生と考えるからです。

前世が未来になる場合もあるわけですから、そこには時間の直進さえありません。

ーー

またイスラム文明も、一瞬一瞬はすべてアラーの神の思し召しと創造によると考えます。

瞬間自体が新たに創造されるものなのですから、そこに因果律はありません。

ーー

つまり「歴史を持たない文明」も、世界には数多く存在するのです。

一方、「歴史を創作する文明」もあります。

それが西欧文明と、支那文明です。

ーー

古代ギリシャ人・ヘロドトスは『ヒストリア』の序文で、「世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史である」と書いた。

そして、ギリシャの都市国家は闘争を繰り返していたが、強大なペルシャがやってきた。

「それで協力してペルシャをやっつけた、めでたし」という「歴史(ヒストリア)」を書いています。

これは、不当な侵略を前に、英雄たちが立ち上がって勝利するという筋書きです。

恐怖の帝国の存在が、世界(ギリシャ)をまとめた、これは西欧人が戦後作った連合国(国連)の世界秩序そっくりですね。

ーー

一方、支那では、前漢の武帝に仕えた司馬遷が著した『史記』が歴史書の原点になっています。

これは皇帝の正統性を記したものです。

誰が正統かということは、もっと簡単に言うと、誰がいちばん偉いかです。

それが支那の歴史観なのです。

ーー

『史記』以来の支那の「歴史書」には、ヨーロッパの「歴史」に見られたような共通の敵は存在しません。

前の王朝の不当性だけが存在する。

後に興った王朝は、前王朝を倒すとき非道を行うのですが、支那の歴史では、その非道はことごとく前王朝の「所業」になります。

つまり、支那では王朝の交代のたびに歴史が書き換えられる。

かれらにとって必要なことは正統性(俺が一番偉い)だけです。

そこに真実は必要ありませんし、直進する時間も、因果関係も必要ありません。

支那人の歴史というのは、あとから支配者に都合の良いように作られた、作文であると言えるでしょう。

ーー

ここまでを整理すると、

1、印度では「前世との関連」が歴史であり、
2、イスラムの歴史は「アラーの思し召し」で、
3、西欧の歴史は「共通の敵の記録」であり、
4、支那の歴史は「王の正統性の作文」です

ーー

日本には、前世からの因縁よりも現在の暮らしと未来の子供たちが大事ですし、アラー(神)もいません。

日本には共通の敵は無く、神話から続く正統な天皇がおわします。

つまり日本では、先人の事績の記録(歴史)は、そこから現実の生活に役立つ知恵を学ぶものなのです。

日本人にとっては、歴史は「学ぶもの」ですから、その記録が「真実」かどうかが問題になってくる。

なぜなら、記録が正しくなければ、結論も変わってきて、普遍的価値を探求することが出来なくなるからです。

ーー

たとえば歴史問題として、南京問題を例に考えてみます。

日本人は、歴史は事実の記録ですから、日本軍による蛮行が事実であるかどうかが問題になります。

ーー

支那では、共産党政権の正統性確保のために、日本軍による蛮行が「あった」とするのです。

支那人は、政権を維持するために「なくても」、「あった」ことにする。

ーー

西欧人にとっては歴史は英雄譚です。

「日本軍による蛮行」があったことにすれば、日本軍をやっつけた連合国は、英雄になれる。

つまり、西欧人は、「南京の人口が20万人」で30万人の虐殺は不可能という事実を、なかなか認められないことになります。

ーー

支那が西欧や日本の共通の敵となったとき、西欧人は「日本軍による蛮行」をなかったと認める。

つまり西欧が、国際法を守らない無法国・支那と戦う立場に立たない限り、日本は西欧(国連)の敵のままであり続けることになります。

それが現実です。

ーー

歴史戦といわれていますが、これは国家間の、実は文化的価値観の違いの問題でもあるわけです。

良い悪いではなくて、世界には、日本人からすると理不尽に思える考えが、まだまだたくさん残っているということです。

ーー

けれど私たちは日本人です。

そして日本人にとっての歴史は、事実の記録であり、そこから学び未来を開く力となるものです。

私たちの先人は、我々子孫に恥じない行為をしてくれていることは間違いない。

我々は事実としての歴史を捨てる必要も、曲げる必要も、まったくないと思います。

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