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2017年6月12日 (月)

一党独裁の国際主義の『国家体制』は、決して価値ある文化は生まれない

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

田中英道『天平に華咲く「古典文化」』(ミネルヴァ書房)

ソ連末期にはソルジェニーツィンに代表されるような人間の本質をえぐる、本物のロシア文学が出現した。

そしてサハロフ博士が実行したような自由な論争が活発になされた。

ところがソ連崩壊からロシアになり、そのロシアは市場経済を取り入れ、複数政党政治を行うようになった。

すると、ソルジェニーツィンやサハロフ博士のような人物が出なくなってしまったのだ。

今や、ロシア作家の作品には、無国籍(コスモポリタン)流儀で、すこしも土の臭いがしない。

これは何故なのか。

ーー

支那では、共産主義によって硬直化した「芸術」なるものが彫刻や絵画や、文芸作品になった。

しかし世界を震撼させるような偉大な作品は何ひとつ現れなかった。

改革開放以来、わずかに鄭義のグロテスク・リアリズムの文学が出現したが、かれは米国亡命以後、これという作品を書いていない。

ノーベル文学賞の莫言はガルシア・マルケスの亜流でしかない。

ーー

支那でもネット環境から、世界情勢が把握できる時代になった。

精神的には全体主義の呪いが解けた筈なのだ。

ところが、支那人は、目前のカネ、贅沢な暮らしに狂奔し、精神や芸術への熱意を捨ててしまった。

ここで支那には、もともと国民国家という概念も、その実態も無かったことに気付く。

支那は、1912年の辛亥革命までは、満州人の国・清であり、その後共産党政権となってからも、各地方で言葉も食べ物も習慣も違っているからだ。

ーー

我が国では、昭和について三島由紀夫は言った、「芭蕉も西鶴もいない昭和元禄」と。

過去に『源氏物語』や『古今集』を持つ日本人にとっては、現状を「文学の真昼を経験した民族には夕暮れを待つしかない」(三島由紀夫『日本文学小史』)と嘆くしかないのかもしれない。

と言うよりも、敗戦によって、日本人は愛国心を口にすることさえできなかったのだ。

つまり日本人は国家を失ったというのが、三島由紀夫が嘆いた本当の理由だろう。

ーー

そして今日本のネット環境には、愛国心を語る人々があふれかえっているのである。

そして、一円にもならないのに、文学、文芸、映像芸術、音楽等が大量に作られている。

これはグローバリズムや敗戦のために愛国心を押さえつけられていた全ての先進国・国民国家の共通の状況であろう。

ーー

さて本書は、田中英道氏畢生の日本文化論、歴史論の集大成である。

そこに上記の評者(宮崎)のなぜロシアや支那に文化・芸術が生まれないかという疑問の解が書かれている。

ーー

本書ではまず国家のあり方を田中氏は問う。

「ナショナルなもの、『国家』や『権力』にかかわるものを批判するあまり、そうした偏頗な理論で文化社会を論ずる人文学は衰退する以外にない」

「『国家』の問題を出すと、必ず左翼の歴史家たちは、それが『国民国家』として『近代』にしか存在しないとする(中略)」

「しかしその考え方が誤りであることは、日本のような、古い島国の例を挙げれば明らかである」

ーー

従来、日本の戦後論壇でも「国家」イコール「悪」という意味で論じられてきた。

国家を肯定するのは右翼と攻撃された。

が、田中氏はこう反論する。

「『国家』と言えば悪い意味での『権力』機構ととらえ、打倒の対象であるかのように否定した社会主義の理論は、ソ連や中共の成立で完全に崩壊してしまった。ソ連や中共がナショナリズムの『国家』として、ドイツ・ナチ『国家』よりもひどい全体主義国家であったことは明らかである。そのような一党独裁の国際主義の『国家体制』は、決して価値ある文化は生まれないのだ」(352p)。

ーー

日本には、現在とつながる歴史書記紀(古事記・日本書紀)があり、世界初の小説『源氏物語』があり、そして世界史初の憲法「一七条憲法」がある。

この憲法について田中氏はこう書いている。

「聖徳太子の『十七条憲法』の最初の三条に示される事柄は、共同体のあり方、個人のあり方、そして日本の政治のあり方を論じている。『近代法』のように市民革命を経て、市民の権利や自由を法律化したものではなく、人間の自然のあり方から発して、その陥りやすい欠陥を克服しながら、運営していく方向を示している」

「日本人の国家間の基礎となる神道の精神が脈打っている。神々が自然のなかに行き、祖霊の神々の中に生きている。それに向かって天皇が祭祀を行い、それによって国土が守られると詔をしたものである。一方で仏教を取り入れ、個人の信仰としてこれを奨励し、他方、天皇がこのように神道の祭祀を続けられる姿こそ、まさに日本の国家観の基礎を形づくる」(42p)。

ーー

つまり田中氏は、文化や芸術は、国家が無ければ成り立たないと言っているのである。

おりから保守論壇では憲法改正議論が沸騰しているが、多文化共生などではない、むしろ日本的ともいえる原点に立ち返って改憲のあり方を熟慮しなおすべきであろう。

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