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2017年6月28日 (水)

それはまるで、すべてのことが、大いなる意思のもとに起きているかのようです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

この歌はもともと、『新勅撰集』(八四九番)に撰入され、詞書(ことばがき)に「建保六年内裏歌合恋歌」とあるものです。

しかし、政治家である藤原定家が、職名・権中納言を記した上で、百人一首の97番に紹介している。

つまりこの歌は、彼が、恋歌に託して、自分の考えを述べたものだ、と解釈すべきでありましょう。

ーー

藤原定家と同時代を生きた人であれば、この歌を読んだ瞬間に、恋とは別の意味があることを察したはずなのです。

同時代を生きていた人たちは、当時の社会情勢や人間関係、定家の人柄や考え方をよく分かっているからです。

けれど千年の時を超えて定家の歌に触れる私たちには、それが分かりません。

ーー

何か他の手がかりが必要になります。

それが歴史であり、「百人一首」の歌の配列であり、歌人名の表記方法であるわけです。

この歌の前には、参議雅経、前大僧正慈円、入道前太政大臣の歌が配されている。

それぞれの歌は、いずれも貴族政権から武家政権への移行により、世が乱れることを憂い悲しむ歌です。

ーー

さらにいえば藤原定家自身も、まさに時代に翻弄される人生を送った人でもあります。

定家が生まれたのは、平清盛の全盛期です。

20代の前半に「源平合戦」があり、その後、鎌倉幕府の成立と相次ぐ内乱がありました。

ーー

それまで日本の歴史は、和を貴ぶ歴史です。

「和」は、「のぎへん」に「口」。

「のぎへん」は、穀物を指します。

つまり、穀物をみんなの口で分け合う、それが「和をもって貴しとなせ」と言うときの「和」の意味なのです。

そして日本は「おおいなる和の国」大和(やまと)です。

ーー

それが平安時代であった。

ーー

ところが保元の乱(1156年)以降、領地を巡って殺し合うという、武家が台頭する時代になります。

藤原定家をはじめとした、当時の朝廷の貴族たちは、もとの平和な時代を恋い焦がれた。

平和な日々を、なんとしても取り戻したい。

けれど、そう思うそばから、世の中がどんどん崩れて、戦乱の時代に移っていく。

彼らの願いに反して乱れていく。

ーー

定家は、平安を取り戻したいという思いを恋歌に託して詠(よ)んだ。

それは、まるで来ない人を夕方の海辺で待っているような情況です。

その思いは、藻塩(もしお)を焼いて塩を取り出すように、「身をこがす」ほどだ、と。

ーー

日本人は、古来から、平和で、安心して安全に暮らせる社会を目指してきました。

いまの日本人も、その思いは、まったく変わっていない。

その社会は、一部の権力者が富を独占する社会とは、対極をなすものです。

ーー

独裁者が、富と権力を独占し、民衆を虫けらのように利己的に利用する社会。

鬼怒川の河川敷に設置した太陽光発電施設が原因で堤防が決壊して大きな被害が出ました。

これは、民衆のことを考えないで、自分の利益だけを得るためにやったことが引き起こした事件でした。

ーー

さて私たちは、定家が70歳から74歳に掛けて「百人一首」を編纂したこと、そして定家が亡くなったわずか23年後に、元寇(1274年)が起きていることを知っています。

保元の乱(1156年)以降100年以上もの間、日本国内では、武士が台頭して血なまぐさい領地争いが続き1192年に源頼朝が征夷大将軍に任じられ、ようやく武家社会が完成される。

その間に、武器の改良・製造、兵馬の養成と訓練、10万人以上の兵を動かすという実戦経験が積まれていた。

そうした争そいの経験が、十分に積まれたときに、「元寇」が起きた。

だからこそ、当時世界最強であった「元寇」が2度も押し寄せても、鎌倉武士集団によって撃退された。

それはまるで、保元の乱以来の戦乱が、日本の神々が日本人に課された、訓練と薫陶であったかのようです。

ーー

幕末も同じです。

1853年に浦賀沖に黒船がやってきました。

しかし、当時日本は、江戸幕府250年間に、すでに西欧社会に負けないほどの学問力を育てていた。

だからこそ日本は、1905年には世界最強の軍事国家と言われていたロシア帝国と堂々と近代戦を闘って勝ち、世界の強国となっているのです。

黒船来航以来わずか50年のことです。

ーー

日本の歴史を振り返ると、このような不思議な流れが随所に見受けられます。

それはまるで、すべてのことが、大いなる意思のもとに起きているかのようです。

ーー

明治以降の日本は、近代化を急ぐあまり、日本古来のあらゆるものを捨ててきました。

特に戦後は、連合国・占領軍によって旧体制の破壊という名目で、これが加速的になされました。

それはまるで、あたかも「古い着物を脱ぎ捨てる」という言葉どおりのものでした。

ーー

ところが最近になって、「和をもって貴しと為せ」という日本文化が、世界中の人々から注目され出した。

ーー

保元の乱以降の武家の台頭が元寇から国を守った。

江戸幕府250年の間に育まれた武士道が日本兵を作り上げ、その日本兵の活躍が、世界から植民地支配を駆逐した。

いままた日本は、西洋由来の政治思想に代わる、「浪費せずに謙虚に譲り合って生きる」そんな生き方を世界に提案しつつある。

この「和の心」が世界に広がったとき、人々は、大東亜戦争で日本が原爆という大きな犠牲を払って敗けた意味に気づく。

そんな日がやってくるのではないか、と私(ねず)は思っているのです。

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