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2017年6月15日 (木)

甘ったるい平和に背を向け、死に神がいつも招いている戦場に帰って、再び戦うことを撰んだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集qazx

木本あきら『勇者は語らず』(幻冬舎)

1945(昭和20)年9月2日、横須賀沖のアメリカ戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた。

その後も、およそ千名の日本兵がインドネシアに残り、独立のために生命を捧げた。

これらの英霊たちは、今、インドネシアの土の下で眠っている。

インドネシアの人々は、いまも彼ら日本兵の勇気を語り継ぎ、英霊を祭り称えている。

が、肝腎の日本では、誰も知らない。

歴史に埋もれてしまった日本兵に、ようやくいま一条の光があたった。

ーー

インドネシア独立戦争では、現地の若者を訓練し、作戦を立て、独立を勝ち取るまで影で活躍し、華と散った多くの日本軍人が居たのだった。

ーー

評者(宮崎)の脳裏にこびりついている風景。

それはベトナムのラオス国境に近い緑深いのどかな田園地帯ディエンビエンフーで62年前に起きた爆風である。

ベトコンの軍略家ボー・グエン・ザップが率いたゲリラ部隊がフランス軍が築いたA1基地を陥落させたのだった。

A1基地は、近代装備と飛行機部隊をもっており難攻不落と言われていた。

ゲリラ部隊は、フランス精鋭部隊の拠点基地の真下にまで地下トンネルを掘り進め、そこに爆薬を仕掛けて吹き飛ばしたのだ。

ーー

ディエンビエンフーへのローカルな国内線はハノイから一日二便あった。

ディエンビエンフー飛行場は、田舎の駅舎のように閑散としていたが、タクシーが客待ちをしていた。

評者(宮崎)それを拾い、運転手のたどたどしい英語に苛立ちながらも、見たいところを全部見た。

ーー

このディンビエンフーの物語はいまも語り継がれ、多くの歴史書も書かれた。

ーー

日本帝国軍は日露戦争で難攻不落と言われたロシアの二百三高地ベトン基地をトンネルを掘り進めて爆破破壊したのだった。

評者はディンビエンフーの地勢が二百三高地に似ていると感じた。

そして、それを陥落させた作戦が二百三高地陥落と酷似しているのを知って、この作戦は、残留日本兵が立案したのではないかと直感したのだ。

実際に、ベトナムにも戦後、数百の日本兵が残留し、独立戦争を戦っていた。

これについては井川一久氏らの研究が進んでいる。

ーー

台湾では軍事教練に「白団」が赴いたが、別途蒋介石応援のため、根本中将ら数人は漁船に釣り人を装って乗り込み、台湾に密かに上陸し、金門島作戦を指導したことがあった。

ミャンマーで、インドで独立への勇気を与えたのは日本軍だった。

日本軍は、満州を建国し、徳王をいただき蒙古の独立に夢を描いた。

支那にあっては孫文を、ついで王兆銘を助け、朝鮮半島では金玉鈞を支援した。

このようにしてあの大東亜戦争の理想としたアジア解放がなされた。

その背後には、猪突猛進し、理想のために犠牲となった幾千、幾万の皇軍兵士がいたのだ。

ーー

しかし彼らは、彼らの母国日本では、今も顧みられてはいない。

ーー

ならばインドネシアに残留した日本兵はいかに戦ったのか。

まさに勇者は語らず。
いまとなっては殆どの記録がない。

しかし現地では世代を超えて、黙々と語り継がれている。

彼らの墓と思われる場所は記憶され、日本兵の勇気を語り継ぐ人々がいる。

ーー

著者の木本あきら氏は、それを追った。

正確な記録がないために、記録を繋いでいるのは木本あきら氏の作文である。

しかし書かれているのは概ね真実に基づいている。

その日本兵の使命感、世界観、その壮烈な生き様、現地の人々への愛がさりげなく、淡々と語られる。

ーー

「昭和17年、インドネシアに上陸した日本軍は、350年間インドネシアを植民地として統治してきたオランダ軍をわずか九日間で降伏させ、収容されていた独立運動の指導者スカルノとハッタを釈放した」

そこで日本軍は、インドネシアの若者を集め「郷土防衛義勇軍」を結成し、軍事訓練をなした。

突然の終戦で引き上げることとなった日本軍に対して、かれらは残ってくれと懇願した。

多くの日本兵士は『葉隠れ』を教わり武士道精神をたたき込まれて育った世代である。

「この高貴な決意を捨てるべきではない。インドネシアに残って、彼らの独立を助けることが正道のような気がする」

そのひとり高木は、

「『えーい』と低く叫んで軍刀を抜き、冷たく光る鋭い刀先をしばらくみつめた」

「そして残留を決意した」

「窓から外を覗くと、天空は星に埋め尽くされ、地平線の少し上に一際明るい南十字星が輝いていた」

ーー

残った日本兵は、

「甘ったるい平和に背を向け、死に神がいつも招いている戦場に帰って、再び戦うことを撰んだ」

「そこは一切の怠惰は許されない破壊と殺戮を繰り返す危険な戦場」があった。

ーー

本書は、その「死を恐れない、勇猛で傲慢な男たち」の『その後』を辿った。

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