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2017年6月29日 (木)

無数に詠んで静かにこの世を去った

ーー【宮崎正弘ブログ6/20◆書評】より抜粋編集qazx

渡辺利夫『放哉と山頭火 死を生きる』(ちくま文庫)

ーー

午睡の友にでもと読みはじめたら止まらない。

ぐっと引き込まれた。
跳ね起きた。
読了は夕食前になった。

評者(宮崎)は、ヘミングウェイの無駄な表現を削りに削って、それでいて情景がありありと浮かんでくる、ハードボイルドの表現方法を連想した。

2人は、心情や風景の印象を短い言葉で的確に読者に伝える方法を確立している。

例えば尾崎放哉は、
「落葉ゆらゆら顔をゆがめて笑うこと」
「何もかも死に尽くしたる野面にて我が足音」

種田山頭火は、
「炎天をいただいて乞い歩く」
「波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ」

ーー

ふたりは酒乱(アル中)で、もはや普通の社会生活が出来ない。

それゆえ、洗うがごとき極貧の中で、全国を乞食して歩き、その時々の心情や風景の印象を短い言葉で詠んだ。

無数に詠んで静かにこの世を去った。

俳諧に連なる表現ではあるものの、575に収まらない新機軸の表現だった。

ーー

尾崎放哉は、東大卒という学歴を活かせず、朝鮮、満州、京都、若狭、小豆島を転々として、素庵に寝起きし、その時々の哀切を詠んだ。

山頭火は、母が幼いころに自殺した、その過去を引きづり、僧体となり、各地の寺を尋ねては、孤独と寂寥を詠んだ。

渡辺氏は2人の句を次のように解説している。

ーー「咳をしても一人」(放哉)

「七文字だけで」「死を透明で澄明(ちょうめい、澄み切って明るい)な句へと昇華させた」と。

ーー「鉄鉢のなかにも霰(あられ)」(山頭火)

「とある農家の軒先で(乞食の為の読経を)始めようとした瞬間、米粒のような霰が鉄の鉢の中で真っ白く撥ねた」

その一瞬の「心の動き」を詠んだ、と。

ーー

アジア経済を語り、歴史を物語る渡辺学長が、文芸評論家の意表を突くように、自由律句の本を書かれたことは、まことに新鮮なる驚きだった。

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