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2017年6月 2日 (金)

石平さんが日本人にとっては理解しがたかった朝鮮半島の史実を分かり易く紐解いてくれた

ーー以下「宮崎正弘ブログ◆書評」より抜粋編集qazx

石平『韓民族こそ歴史の加害者である』(飛鳥新社)

事大主義、裏切り、告げ口外交。

酷薄な身内の勢力争い、残酷な処刑、そして壮大な裏切りの数々。

これらは韓国が戦後の日本に対してなしてきた「歴史の業績」ではない。

太古の昔から、朝鮮半島は周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。

数千年にわたって民族に染みこんだDNAなのである。

ーー

石平氏が初めて、裏切り半島の歴史に挑み、新分野の開拓にみごとに成功した。

ーー

重要文献を消化し、要点を引用することで、日本人にとっては、まったく不可解な朝鮮人の民族性をわかりやすく解説している。

支那系日本人である石平氏には日本人には感知できない支那人の感性が判る。

その視点は、日本人にとっては、新鮮てありかつ独特である。

ーー

「東アジアの歴史の中で、周辺の国々を常にトラブルと紛争に巻き込み、多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族なのである。時に自らが侵略者となった、他国に大きな被害を与えたのも半島国家の真実である」

ーー

私事ながら評者(宮崎)は遼寧省の瀋陽から吉林省集安という街へ行ったことがある。

詳しい行程は思い出せないが、ともかく瀋陽からバスで五時間、通化へ着いた。

この「通化事件」の現場は、日本人三千名が虐殺された場所で、カメラ片手に市内を歩き回った。

通化事件を再現する目的だったが、いまはそのことは措く。

ーー

通化で宿泊した翌朝、またバスで二時間ほどかけて北朝鮮との国境の町、集安に入った。

むろん、北朝鮮との国境を視察したが、もう一つ歴史的に重要な場所がある。

高句麗の王朝跡が集安のあちこちに残るのである。

ーー

高句麗が平壌へ遷都するまでの二百年間、この地に王城があって、城が築かれていたのだ。

高句麗は現在の支那東北部に居座り、数百年つづいた王朝である。

いまや世界遺産にも登録された「好太王碑」がある。

そして将軍塚や丸都山城も残骸が残るが、市内には城跡が、石積みだけになって残っている。

ーー

この場所を探すのに地元の運転手さんに聞いてみたが何も知らない。

何度も付近の人に道を聞きながら一時間ほどあっちこっち行ったり来たり、ようやく見つけた。

が、田圃の真ん中。

看板が小さく、しかも、「これが歴史的遺物か?」と思われるほどに目立たない石碑と石積みだけ。

付近の住民はだれも、この遺跡の由来を知らない。

つまり、現在支那吉林省にある高句麗王朝の跡は、支那の一部にすぎない。

支那は、高句麗王朝を朝鮮人の王朝とは認めてさえいない。

ーー

白村江は石平氏によれば、「日本が二階にあがっているうちに梯子を外されてしまった」という典型的な事件だった。

そして日本が闘った相手は、この高句麗だった。

この経緯に関して、歴史的事実の開陳が本書にある。

それは日本人の多くが知らなかったものだ。

ーー

石平氏は、まず「白村江」の闘いの時代背景を克明に追求する。

日本に助けをもとめにきた百済は、二枚舌、三枚舌を駆使する。

当時日本に人質としてきていた豊章王子との縁戚関係をもたくみに利用する。

ついに中大兄皇子は王子を百済に送還するとともに多数の援軍を送った。

しかし日本は敗北し、逃げ帰ってくるのだ。

裏切ったのは、日本に援軍を求めてきた王子だった。

ーー

この基本構図はまったくそっくり、何かに似ている。

そう、日本をこっぴどく批判し、「千年の恨みは消えない」と言ったパク・クネ大統領。

女史は支那に媚びてハルビンにも伊藤博文を暗殺したテロリストの記念館を作りたいと言い、認めて貰う。

が、米国から厳重に北朝鮮問題での攻撃をうけると、さっと身を翻す。

米軍のミサイル防衛体制に加盟するかといえば、在韓米軍の指揮権は継続して欲しいと米国に懇願する。

くるりくるりと立場がひっくり返る。

ーー

似ている。

その矛盾を矛盾だと感知できないあたりも、過去の指導者の心性にそっくりだ。

ほんとに朴権恵大統領は、過去のパターンをそっくり繰り返していたに過ぎない。
 
突然、反日家に変身した、のではなかったのだ。

ーー

元寇も、もともとは朝鮮人の事大主義、告げ口外交が膨らんだものだ。

自爆するかのように、自らが日本侵略の先兵となりますとフビライに媚びた結果だった。

日本の時の執権、北条時宗は二十代の指導者だったが、フビライの使いで日本にやってきた朝鮮人使者の口上を聞きながら、そこに大嘘、矛盾をたちまちにして捉えた。

時宗は、太宰府を中心に当時博多に多くいた南宋の逃亡者、亡命者から広く情報を集めている。

そして、じつは元の皇帝の動きと、半島の反応、博多へと落ち延びた南宋の人々の認識の齟齬、情報の乖離を知る。

時宗には、こうした諜報収集力とそれを分析する能力があった。

ーー

十年ほど前、大河ドラマとなった『北条時宗』を偶然みていた。

そのときの日本人登場人物は、「世界秩序」を築こうとするフビライに逆らう時宗の行為は「日本の国益に反する」と言ったのであつた。

後智恵を滔々と喋る日本人にたいそう驚いた。

当時人々は自虐史観に毒されたままだった。

だから、日本を守り抜いた時宗の価値を正しく評価できなかった。

今そのまま放映されれば製作者のNHKに批判が殺到し炎上するはずだ。

ーー

石平さんが日本人にとっては理解しがたかった朝鮮半島の史実を分かり易く紐解いてくれた。

お蔭で、より広い視野から日本・朝鮮・支那の関係を理解できるようになった。

これで、日本人にとっては、その感性が全く違うために、理解するのがとても厄介であった、朝鮮人の行動を理解できる。

新しい地平を拓かれた石平氏の成功を祝したい。 

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コメント

日本で日本人が得なければならない益を、外国人が様々に横取りしてる、それが日本の実態なんですね.

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