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2017年5月19日 (金)

仕事を、ひたすらお客様のことを考えてしているなどと主張する人たちが、日本以外のどこに居ると言うのだろうか

ーー以下「中韓を知りすぎた男ぶろぐコメント欄」より抜粋編集qazx

キリスト教やイスラム教やユダヤ教では、他者の神の存在を許さない。

今日もシリアでは、異神の存在を許さないと主張する人たちが、殺し合いをしています。

外国人は、日本人には到底出来そうもない非道なことを、平然とやってのける。

キリスト教やイスラム教やユダヤ教では、人間の欲望は制御されないということになる。

これらの宗教を信じる限り、世界は滅びるであろうと、自分は予測しています。

人種や宗教の壁を越え、全人類の安寧を目指す思想は、日本にしか存在しないのです。

2015/12/10(木) 20:07:11|  URL|  Skullcrusher707 #tuEXU5AU

ーー

ソロです。

神道とは、民が「天皇の宝」であるときの生き方、人と人との在り方を示しているので在りましょう。

日本人は、本来それが、地球上で成り立つ原理だと考えていました。

それで、支那・朝鮮にも同じ原理で臨んだのでありますが、支那・朝鮮人は、我々とは違っていた。

彼らは、我欲の為に、お互いの生存を脅かすことを躊躇しない人たちであったのです。

また欧米人の共存原理は、彼らと同じ神を信じる者だけに適用される原理であった。

世界のそういった事情が、ネット環境を手に入れることで、ようやく分かるようになった。

ーー

そして、日本人は、キリスト教やイスラム教やユダヤ教と神道とは異次元の存在であることに気づき始めた。

さらには、神道の持つ奥深さに気づきだした、と言えるでしょう。

ーー

英語の宗教religionという言葉自体が、「神と再び結びつける」という原義を持つ言葉であり、他の神を排除する言葉なのです。

これでは、共存・共栄は不可能でありましょう。

神道の、民が「天皇の宝」であるがゆえにお互いを尊重して生きるという生き方こそ、今後人類が共存共栄していくためには、必要になっていくものと確信いたします。

もちろん、ここで日本人にとっては「天皇」でありますが、人類に当てはめれば、「人類共通の祖とでも」置き換えるべきなのかもしれません。

ーー

支那・朝鮮人は、神なき(天皇を推戴しない)人々であり、お互いを生存競争の相手としか認識できない。

それゆえに支那・朝鮮では、皆でおカネを出し合って成り立つ社会保障は機能しないのです。

しかも支那・朝鮮諸国は、次第に信用(法)によって成り立つ近代文明から離れ、武力が支配する人治社会へと先祖帰りしている。

彼らには、神道を理解することなど、不可能なのであります。

2015/12/11(金) 10:44:04|  URL|  ナポレオン・ソロ #90LdKUd6

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集qazx

仏教は、インドから支那を経由して日本に伝わったものです。

しかし、インドには、もう仏教(覚者による教え)は無く、支那にも寺院が残るのみです。

ーー

千年以上前に、鮮卑人(唐)が、インドから持ち帰った仏教は、日本人遣唐使によって日本に持ち帰られた。

以来仏教は、1300年以上の間、日本に根付き生き残った。

日本で禅寺の住職をしているドイツ人のネルケ氏は、日本人から日本人の宗教について聞かれて、

「私から見ると、日本人は暮らしのなかで意識しないで宗教を実践しています」

と応えている。

ーー

例えば、日本人は、会社や学校で社員や生徒たちが当たり前であるかのように会社や学校の清掃をする。

これは、ドイツ人であれば、清掃をする人に任した方が、その間社員は仕事ができ、生徒たちは学べるので、良いと考える。

ところが日本人は、職場や学校を、その間、たとえ仕事が出来なくても、また学べなくても自分たちの手できれいにすることは良いことだと考える。

ーー

仏教では、僧に、日常生活の中で修行をするように勧める。

つまり、身の回りの清掃も仏教僧の修行の一つであり、清掃は、仏教僧の習慣が生かされているということに成る。

キリスト教やイスラム教には、悟るという概念が無い。

悟るために、生活の中で整理整頓をし、身ぎれいにするという発想はない。

ーー

考えてみれば、日本人が何気なく、茶を飲み、食事をし、仕事をする時にも、仏教僧が修行しているように見える。

仕事を、ひたすらお客様のことを考えてしているなどと主張する人たちが、日本以外のどこに居ると言うのだろうか。

ーー

この世に生まれた以上、「自分の人生は自分で生きるしかない」のであり、

人は、生老病死の四苦からは逃れられない。
しかも、この世は変化する、人の気持ちまで変わる。

そのような人生を克服するには悟りを得るしかない、とブッダ(覚者)は教えている。

そして悟りは、喜捨、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、知恵の修行から得られる、と。

この最後に位置する知恵(般若)を理解し実戦すれば、すべての苦しみから解放され、悟ることができるのだという。

ーー

このような考えはキリスト教やイスラム教やユダヤ教にはない。

ーー

日本の学校では、今日もそうするのが当たり前だと言わんばかりに、生徒に給食を配らせたり、掃除をさせたりしている。

これは、すべての苦しみから解放されるための知恵を、生徒に気付かせるためなのだろう。

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