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2017年5月15日 (月)

「四苦八苦」は、大金持ちにも、権力者にも、すべての人に平等に訪れ、誰もそれから逃れることができない

ーー以下「鈴木傾城ブログ」より抜粋編集qazx

18世紀の産業革命で蒸気機関を動力とする新しい産業がまずイギリスで、そして欧州・米国ついで日本で起こる。

以来、産業を起こす企業家、そして産業に投資する資本家が、膨大な富を手にすることとなった。

一方に、企業を起こす才覚もなく、また投資する資産も持たない大勢の無産階級の人々が出現した。

19世紀末には、富の格差は社会問題化し、生産手段を政治的に共有すべしと主張するものが出現する。

そして生産手段を共有せよと主張する政治勢力が政権を取った。

それら諸国は、例外なく独裁政権となり、独裁者が国民から富を奪いとるような事態が出現し、格差は解消できなかったのだった。

ーー

今も共産支那の独裁者たちは、国家予算規模の国富を簒奪している。

つまり、もう所得格差を共産革命で解決することは出来ないということを人類は学習したのだ。

ーー

いま、米国のヘッジファンド業者上位25人の年収は、一人当たり2千~5千億円と言われている。

一方で、人・物・カネの国境をなくすことで、先進国労働者の所得が増えない事態が出現した。

先進諸国では、中産階級の所得減による不満が国境をむしろ高くせよと言う議論を生んでいる。

これには、人工知能の出現による労働環境の変化に対応すべきだ、「移民を入れてはいけない」という議論も含まれている。

ーー

しかしこのような議論がなされている格差環境というのははむしろ恵まれていると言うべきなのである。

ーー

例えば、インドでは有名なカースト制がある。

カースト制はいわば、ヒンドゥー教が生み出した階級差別文化なのだ。

日本人は「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」と考えてきた。

そんな考えはインドでは通用しないということだ。

インド人は階級差別を意識して自分は他階級とは違うと考えて暮らしている。

ーー以下wikipediaより

カースト(英語: Caste)とは、ヒンドゥー教における身分制度(ヴァルナとジャーティ)を指すポルトガル語、英語である。

インドでは現在も「カースト」でなくヴァルナとジャーテと呼ぶ。

紀元前13世紀頃に、バラモン教の枠組みがつくられ、その後、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分に大きく分けられるヴァルナとし定着した。

現実の内婚集団であるジャーティもカースト制度に含まれる。

カーストという単語はもとポルトガル語で「血統」を表す語「カスタ」(casta)である。

ラテン語の「カストゥス」(castus、純粋なもの、混ざってはならないもの、転じて純血)に起源をもつ。

ーー抜粋引用ここまで

多くのインド人たちは自分たちの階層内で暮らしており、他の階層にある人など見ないし、関心もないということになる。

ーー

それでは、カースト制度のある社会とはどのようなものなのか。

例えば、他のカーストのインド人からは、人間扱いされない「不可触選民」として生まれたとしたら。

その生き方とはどのようなものになるのだろうか。

ーー

それを鈴木傾城さんが書いている。

ーー

インドのスラム売春地帯でひとりの女性に出会った。

彼女は「不可触選民」の女性だった。

スラムで売春ビジネスをしているインド人の多くが低階層の人々である。

彼らは他の階層から人間扱いされないために他の仕事に就くことができないのだ。

彼女に「あなたの宗教は何?」と聞かれたことがあった。

そして彼女は自分は仏教徒だと言ったのだった。

ーー

インドに仏教を広めたのは、インド国旗の中心部に法輪をデザインした、アンベードカル博士だった。

ーー以下wikipediaより

ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar、भीमराव रामजी अंबेडकर、1891年4月14日 - 1956年12月6日)は、インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家。

インド憲法の草案作成者、反カースト(不可触賎民〈ダリット〉改革)運動の指導者。

インド中部のマディヤ・プラデーシュ州のマウー出身、ヒンドゥー社会のカースト制度の最下層、アンタッチャブルあるいはダリットとして知られる層に属する両親のもと14人兄弟の末っ子として生まれた。

彼はカースト制度による身分差別の因習を打破するため、死の2か月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗し、インドにおける仏教復興運動を始めたことで知られている

ーー抜粋引用ここまで

アンベートカル氏は、自著「覚者とその教え」の中で、覚者(ブッダ)の悟りの中身を書いている。

(ブッダは漢字音表示は仏陀、サンスクリット語の意味は、覚者である)

ーー以下qazxブログより抜粋

それが覚者の三法、三つの教えである。
1、人生は、苦しみである。永遠に満たされないものだ。
2、全てのものは変化する。変わらないものは無い。
3、自分と言う存在は幻覚である。この世界も幻覚である。

覚者は、「苦しみの原因となっているものは、幻覚なのである。苦しみから逃れる唯一の方法は、自分と自分が知覚している世界が実在すると信じるのをやめることだ」という。

ーー抜粋引用ここまで

覚者は、人の一生は、四苦(生老病死)八苦(生・老・病・死・別・憎・不足・痛)することだという。

仏教は、そうした人の一生をどう生きるべきかを教える。

貧富の格差は無くならない。

しかし、貧富の差など、人の四苦八苦の前には霞んでしまうほどのものだ。

「四苦八苦」は、大金持ちにも、権力者にも、すべての人に平等に訪れ、誰もそれから逃れることができない。

覚者はそれ故に、ともに慈(いつく)しみあい、ともに悲しみ、ともに喜び、互いに悪意を捨てて生きよ、という。

ーー

ひとりの貧しいインド女性が苦界に身を沈めながら「仏教を信じている」と私(鈴木)に言った。

そうなのだ、ひとは、誰一人として、「四苦八苦」する運命から逃れることはできないのだ。

人類の平等はこうした「四苦八苦」する運命の中にこそある。

ーー

しかしそれと分かるのはなかなか難しい。

インドでは、それゆえ仏教徒ではなく、アラー(神)の下の平等を信じるイスラム教徒が増え続けているのだと言う。

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コメント

縦椅子さま
今日は「覚者の三法」という最高に素晴らしいブログをありがとうございます。
覚者の三法、三つの教え
1、人生は、苦しみである。永遠に満たされないものだ。
2、全てのものは変化する。変わらないものは無い。
3、自分と言う存在は幻覚である。この世界も幻覚である。
この教えは仏陀が到達された最高の境地ありますが、覚者を目指すもののにとって、真理であり、いつかは到達できる励みでもあります。本当に素晴らしいブログをありがとうございます。

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