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2017年5月11日 (木)

支那人は、共産党の恥を隠し、過ちを隠す

ーー以下「ねずブログ4/26」より抜粋編集qazx

江戸が東京と記されるようになった1868年の、50年ほど前、文化11(1814)年に滝沢馬琴によって『南総里見八犬伝』が書かれ始めた。

物語は、嘉吉元年(1441年)、結城合戦で始まる。

里見義実は、結城合戦に敗れ安房(あわ)に落ち延びる。

そこで、里見義実は、滝田城主神余(じんよ)光弘を謀殺した逆臣山下定包(さだかね)を、神余旧臣・金碗(かなまり)八郎の協力を得て討つ。

義実は定包の妻玉梓(たまずさ)の助命を一度は口にするが、八郎に諌(いさ)められてその言葉を翻す。

玉梓は斬首されるとき、「里見の子孫を畜生道に落とし、煩悩の犬にしてやる」と呪詛の言葉を残す。

ーー

時はくだり長禄元年(1457年)、里見領の飢饉に乗じて隣領館山(たてやま)の安西景連が攻めてきた。

落城を目前にした義実は飼犬の八房(やつふさ)に「景連の首を取ってきたら娘の伏姫(ふせひめ)を与える」と戯れを言う。

はたして八房は景連の首を持参して戻って来た。

八房は他の褒美に目もくれず、義実にあくまでも約束の履行を求め、伏姫は君主が言葉を翻すことの不可を説き、八房を伴って富山(とやま)に入った。

ーー

富山で伏姫は読経の日々を過ごし、八房に肉体の交わりを許さなかった。

翌年、伏姫は山中で出会った修験者から、八房が玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念は解消されたものの、八房の気を受けて種子(たね)を宿したことが告げられる。

懐妊を恥じた伏姫は、折りしも富山に入った金碗(かなまり)大輔(八郎の子)・里見義実の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。

その傷口から流れ出た白気(白く輝く不思議な光)は姫の数珠(じゅず)を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させた。

それを見た大輔は、自分が伏姫の畜生道を疑ったことが、死に至らしめたと思い、自害しようとするが、それを義実は止める。

やがて大輔は僧体となり、『犬』という字を崩し丶大(ちゅだい)を名乗り、八方に散った玉を求める旅に出るのだった。

ーー

『南総里見八犬伝』は9輯98巻106冊からなる。

まさに江戸文化の爛熟期に出版されたもので、日本の長編怪奇小説の古典となった。

馬琴は天保4年(1833年)頃から右目の視力が衰え、やがて視力を失った。

同9年(1838年)には左目の視力も衰えはじめ、11年(1840年)11月には執筆が不可能になった。

やむを得ず、息子の嫁の路(土岐村路)に口述筆記させて執筆を続け、もう明治がまじかに迫る、天保12年(1841年)8月20日完成させた。

ーー(以上wikipediaより適宜抜粋)

物語では、飛散した大玉を持つ八犬士が現れ、里見家を再興する。

大玉それぞれに仁義礼智忠信孝悌の文字が浮かび、珠を持つ犬士同志が近づくと、珠と珠が感応しあい、その存在を教えます。

この設定は、漫画の「ドラゴンボール」に取り入れられています。

また物語には、名刀「村雨(むらさめ)丸」が登場しますが、この刀は、殺気をもって抜き放つと、刀身から青白く輝くという氷気が立ち上ります。

この「刀が光る」という設定は、後年、スターウォーズで応用され、光の剣となったし、また、最近のコンピューターゲームなどにも広く応用されています。

こうしたネタ元が、『南総里見八犬伝』だったわけです。

ーー

ただ、『南総里見八犬伝』には、仁義八行つまり「仁義礼智信孝忠悌」が、大切な主題となっているのです。

当時の大人が物語を読み進み進むうちに、自然と「仁義礼智信孝忠悌」の言葉と概念を覚える。

それが当時の人々の正しい生き方とされていて、読者はそれを物語の中で確認できたのです。

八犬伝が、正しい生き方を伝えようとしたところが、昨今の物語との大きな違いといえるかもしれません。

ーー

当時の人々に広く「仁義礼智信孝忠悌」という言葉が知られていた。

この背景には、もともと日本に、そういう道徳を重んじる文化があった事を示しています。

いまでは、「仁義礼智信孝忠悌」という文字は、音読みが主です。

しかし人名では、殆ど訓読みが使われています。

ーー

日本人は、漢字を使いこなすために、大和言葉に漢字を充てて、理解し、解釈し、受け入れてきたのです。

たとえば「礼」という字は、旧字では「禮」です。

これは「相手にわかるようにはっきりと(豊かに)示す」という字です。

支那では、支配する側(上に立つ者)は、支配される者(下の者)に対して、常に生殺与奪の権を持ちます。

ですから、ちゃんと「禮」をとらなければ、殺される。
つまり「禮」は、命の安全の代償でもあるわけです。

ところが日本では、「禮」の訓読みは、「ゐ(う)や」で、これは相手をうやまうことの意です。

日本人は、「ゐや」という言葉で、相手に人としての尊厳を認めて、敬意をもって接することをいいます。

日本人は、相手が上司であれ、同輩であれ、部下であれ、相手を常に人として敬(うや)まって接しなければならないと考えます。

つまり日本人が、礼という文字からくみとる概念は、支那人のそれとは、全く違うのです。

ーー仁義八行に訓を付けると、

仁=いつくしみ、めぐみ
義=ことわり
礼=ゐやまふ(=うやまう)
智=さとり
信=まこと
孝=たかふ(親に従う)
忠=まめ(=まめなる心)
悌=すなほ(=素直)

ーー

要するに、日本人は、支那人の儒教をそのまま受け入れたのではないと言うことに成ります。

ーー

早い話が孔子には食人習慣があつた。

しかし、日本人にとっては、人間を食べるなどというのは、論外のことでした。

また、「諱(き)」も受け入れていません。

面白いですね。

ーー

「諱(き)」というのは、「かくす」という意味で、他人を守るために嘘をつくことを正しいとする概念です。

ある人が孔子に曰く、「私の村にはとても正直な人物がいます。その正直な人物は、自分の父親が他人の羊を盗んだ時に、それを告発しました」と。

孔子は答えて、「その人物を、正直者とはいいません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と。

要するに、尊者の為には恥を諱(かく)し、賢者の為には過(あやまち)を諱(かく)し、親者の為には疾(あしきこと)を諱(かく)すことが、「諱(き)」の概念だというのです。

ーー

現代支那でいえば、共産党が、尊者や賢者にあたります。

ですから支那人は、共産党の恥を隠し、過ちを隠すのです。

そしてこれに背いた者は、容赦なく殺されます。

ーー

さらに、共産党の威信を護ることが、正義であり、賞賛される行為となります。

南京虐殺や百人斬りなどは、共産党を護るためのデマですから、支那人にとっては正義になります。

もちろん共産党が没落すれば、支那人たちは、また新たな政治的な正義を主張するようになります。

ーー

このように政治が真実の上位に位置する支那では、真実の上に築かれる「科学」は、発達しません。

こうした考えは、伝統的な日本人の考え方からは、非常に異質なものと受け止められてきたことに成ります。

日本人は、真実は政治の上に位置するものであり、人間は正直であるべきだと考えてきたからです。

ですから、いくら孔子の主張であっても、日本人は、「諱(き)」は受け入れなかった。

ーー

つまり日本人は、外来文化については、日本の文化に基づいて、取捨選択してきたのです。

さらにいえば、漢字はもともと、「一文字」で意味を持つ言葉です。

日本人は、西洋由来の言葉を漢字二つあるいは三つで、表現しました。

これらの日本人が創り出した言葉が無ければ、近代社会を漢字で表現することは不可能でした。

現在の「中華人民共和国」の、「中華」「人民」「共和」は、日本人が発明した造語です。

共産主義も日本人が発明した言葉です。

つまり、支那は国名や支配形態からして、日本の影響なしには存在しえないということになります。

ーー

さて、共産支那は、自国のことを「中国」と呼べと日本に強要しています。

世界中の国が、支那のことを「チャイナ、シナ、チーヌ」などと呼んでいる中で、なぜか日本に対しては彼らは「中国と呼べ」と強硬なのか。

支那では、「中国」は、世界の中心の国という意味です。

満州人の清帝国は、満州文字が第一公用文字、モンゴル文字が第二、漢字は第三でした。

共産支那は、漢民族の国を標榜しています。

それは、「漢字を使っている民族」の支配する国と言う意味です。

ですから日本も漢字を使っているから、漢民族の一員だと言うわけです。

日本人からするとびっくりするような話です。

彼らは日本人に「中国」と呼ばせることで、日本を属国扱いしていることになります。

ーー

これに対して、日本の古名「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」で使われている「中国」は、神の国(高天原)と、死者の国(黄泉の国)との中間に位置する、人間界という意味です。

この言葉には「領土的野心」や「傲慢」はありません。

等しく同じ「人」として、努力して成長すれば、死後に常世国(とこよのくに=神の国)に行けるし、人生を誤れば黄泉(よみ)の国に堕ちる。

だから人はより良く生き、努力し、成長していかなければならないという思想がその背景にあります。

ーー

だから日本は人を大事にする。
すべての人を「おおみたから」として大切にする。

社会的な役割分担としての身分はあっても、
人としては対等だという意識を持つ。

そこに日本の文化の原点があります。

ーー

そして山陽山陰地方の呼称である中国は、陰と陽の中間にある人の国と言う意味です。

この中国もまた、支那的な「中国」ではなく、常世国(陽)と黄泉の国(陰)の間、という意味で用いられているのです。

ーー

日本人は、「仁義礼智信孝忠悌」を理解する文化を持っており、それら道徳が機能する社会を良しとしていた。

そのような日本の庶民文化を背景にして、『南総里見八犬伝』が生まれたことに成ります。

最近のテレビや映画では、道徳を背景にした物語は、まったく創られないですね。

まだ、明治以来西洋から取り入れられた文化が、道徳にまで洗練されていないということであり、残念なことです。

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