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2017年5月25日 (木)

上位の言うことが正しく、それに従えという

昨日の支那の議論の続きである。兵頭二十八氏著「予言 日支宗教戦争」の要旨を、抽出し改変してお目に掛ける。

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「彼等は物事の本質を、抽象的に把握することができず、行為においてのみ認識しようとし、自爆的な破綻者の人生をエスカレートさせて、全てを失う過程で存在の全深度を得ていた」

これは伊藤整氏の日本の私小説家に対する評である。

本質の抽象化、つまり言語化ができないために、具体的な人生を晒して見せるような行為を歎いているのだ。

しかし、言語化には、大変な苦労がいるものなのだ。

その苦労を厭う余り、嘘も方便などという自慰行為で、説明責任を回避しようとすれば、単に相手を黙らせる方法を採用してしまうことになる。

ーー

例えば上下関係で、上位の言うことが正しく、それに従えという、儒教を導入してしまうのである。

丁度、日本が近代国家として領土と勢力範囲の確定が求められていた時、懸案となっていた日露関係において、戦争に勝利することによって、露を北樺太以北に追いやり、朝鮮半島から排除できた。

丁度そんな時に、儒教の産物である教育勅語を日本は採用してしまったのである。

このため、対等の関係下で、相手に本質を抽象化し言語で表現する手間は省けるようにはなったものの、その場逃れの説明つまり嘘が紛れ込む余地を残すことになってしまった。

ーー

その結果、政治家達の、その場逃れの説明を可能にし、結局国民が、政治家の発言を正確に検証する能力を向上さすことができなくなったのだ。

ーー

大東亜戦争に至った経過も、帝国軍の指導者が説明したという話をいまだに聞かない。

国軍を持たないと表記されている現憲法下に、自衛隊が存在する現実も、誰もがおかしいと考えているはずだ。

公人が公的な約束の重さを自覚していない証拠であろう。

その場の状況の本質の説明、言語化ができず、成り行きに任せる場合には、自己利益と自己満足を指標にして生きるしかなくなる。

それがかなわないとなれば、自己破壊の愉快に身をゆだねてしまうことになりかねない。

公人が公的約束を破ることを恥とすること、これは言葉を重視することに外ならない。

反日を公言する他国には必ず反撃することに通じる。

このことこそが、嘘を許容する儒教の呪縛から解放される鍵であると小生(たていす)も考えている。

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