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2017年5月 8日 (月)

現在の日本人とて伊勢神宮に参拝すれば、西行と同様の感激を覚えるでしょう

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

伊勢神宮は、奈良時代に仏教とともに伝来した大陸文化の影響を受けず、日本の太古からの文化を今に伝えています。

もちろん西洋文化の影響もありません。

かつて西行法師(1118-1190)は、伊勢神宮に参拝して次のように詠んでいるのです。

何事のおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる

(どなたさまがいらっしゃるのか知りませんが、恐れ多くて、涙があふれ出て止まりません)

もちろん西行は、源氏の血を引く、つまり天皇の血を引く武士であり、「何事のおはしますか」を熟知していたはず。

なので、純粋に伊勢神宮の荘厳さに感動したのをこのように表現したのだと思います。

現在の日本人とて伊勢神宮に参拝すれば、西行と同様の感激を覚えるでしょう。

ーー

それでは、西洋人は、伊勢神宮を観て、どのように感じたのか。

岩波新書の赤本の中に、ブルーノ・タウト著『日本美の再発見』があります。

西洋建築というのは、ローマのゴシック様式のように、外壁を彫刻などで飾り立てることが定番でした。

それに対してタウトは、この著書で、日本建築を「最大の単純」であり、そのなかに「最大の芸術がある」と紹介します。

それが以後の西洋建築に「シンプル・モダン」という発想を与えるのです。

ーー

建築家であるタクトは、昭和8(1933)年5月、来日するとすぐに、京都郊外にある桂離宮を訪れています。

桂離宮は、江戸初期に後陽成天皇の弟の八条(のち桂)宮、智仁親王が造営した別荘です。

源氏物語になぞらえた回遊式庭園や、書院、茶屋を、タウトは、美しいと感じます。

「実に涙ぐましいまでに美しい・・・」

その後彼は、栃木県にある日光東照宮を訪れ両者を次のように比較しています。

「日光の大がかりな社寺の如きものなら世界にも沢山ある。それが桂離宮となるとまるで違ってくる。桂離宮は世界にも類例なきものである」

ーーそして伊勢神宮を観て、

「この国の最も高貴な国民的な聖所である伊勢神宮の形は、まだ支那の影響を蒙らなかった悠遠の時代に由来する。

構造、材料および構成は、この上なく簡素明澄である。一切は清純であり、それ故にまた限りなく美しい」

ーー更に続けます。

「純真な形式、清新な材料、簡素の極致に達したな構造、これこそ伊勢神宮が日本人に対し、またわれわれに対して顕示するところである。

原始日本の文化は、伊勢神宮においてその極地に達した。

まことに伊勢神宮は絶対に日本的なものであり、日本においてさえこれ以上日本的なものはどこにもない。

ここに在るところのものは、真正の建築であって、たんなる工学技師の手になる建造物ではない」

ーー

「清楚な素木の社殿、やわらかな曲線の萱葺屋根、掘っ立て柱、反りのない軒・棟、天にむかって伸びる千木(ちぎ)、

日本がこれまで世界に与えた一切のものの源泉、あくまで独自な日本文化を開く鍵、完成した形ゆえに全世界の賛美する日本の根源・・・

それは外宮内宮および荒祭宮をもつ伊勢神宮である。

原日本文化は伊勢神宮において、その極地に達した」

ーー

「最大の単純のなかに、最大の芸術がある」

「日本固有の文化の精髄としての古典的天才的な創造建築を見た」と。

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