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2017年5月21日 (日)

日本での「かんながら」という文化は、神話を学ぶことにあると言える

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

古事記の原文に書かれた漢字を一字一字紐解いていくと、実は非常に重要な事が書かれていることに気付かされます。

その序文には、当時伝えられていた神話の誤りを正し、これを国家の教典としようという「目的をもって」書いた、と。

そして、まる30年かけて研究された成果が、古事記なのです。

つまり、古事記に書かれた物語は、国家の教典としてふさわしい内容を持っているのです。

ーー1 葦原の中つ国の平定のあらまし

天照神(あまてるかみ)が、「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちいほあき)の水穂国(みずほのくに)は、我が御子(みこ)の、マサカツアカツ・カチハヤヒ天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の知らす国ぞ」と仰せになった。

その天忍穂耳命が、天の浮橋まで行かれた。

(マサカツアカツ(正勝吾勝)は「正しく勝った、私が勝った」の意、カチハヤヒ(勝速日)は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意)

ところが天忍穂耳命は、「下界はひどく騒々しい」と仰せになって、高天原に帰ってしまわれる。

そこで、(八百万の)神々は相談し、天菩日神(あめのほひのかみ)を下界に遣わします。

けれど3年経っても「復奏(かえりごと)」しない。

ーー

やむなく神々は、天若日子(あめのわかひこ)を下界に遣わします。

ところが天若日子は、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚し、8年経っても「復奏(かえりごと)」しない。

そこで神々は、探索に、キジを天若日子のもとに遣わす。

キジが天若日子の家に着いて鳴くと、その声を天佐具売(あめのさぐめ)に聞かれてしまう。

天佐具売(あめのさぐめ)は、キジは声がよろしくない「射殺すべし」と天若日子に奏上する。

こうして天若日子は、そのキジを矢で射ってしまいます。

ーー

ところがキジを貫いた矢は、高天原に上がってくる。

その矢を手にした高木神は「もし天若日子が、悪しき神を射たのなら天若日子にあたるな。もしそうでないのなら、天若日子にあたれ」と言って、矢を地上に戻します。

すると矢は、天若日子にあたる。

そして天若日子の葬儀が行われます。

ーー2 詔(の)らす、請(こ)はす、復奏(かへりごと)す

まず天忍穂耳命ですが、「下界は騒々しいと告げた」というところは、

ここに天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天浮橋(あめのうきはし)にたたして詔(の)らさく、

「豊葦原(とよあしはら)の千秋長(ち)五百(いほ)秋(あき)の水穂国(みづほのくに)は、伊多久佐夜芸弖(いたくさやぎて)ありなり」

更(さら)に還(かへ)り上(のぼ)り、天照大神(あまてらすおほみかみ)に請(こ)はす。

ここにある「伊多久佐夜芸弖(いたくさやぎて)あり」というのは、「いたく騒々しい」といった意味です。

ーー

ここに、「詔(の)らす」と「請(こ)はす」と二つの語が用いられています。

天忍穂耳命は、まず「下界は騒々しい」と「詔(の)」らしたのです。

「詔」という字は、「言+刀+口」でできています。

そこからこの字は、「神秘の力を持つ刀」を捧げて、祝いの言葉を口で唱えて神招きするさま。

つまりれ、神を招いて行われる天子の言葉「みことのり」を意味するのです。

ーー

天忍穂耳命は、天照神の子です。

ということは、天忍穂耳命が「(下界は)いたく騒々しい」と告げた相手は、天忍穂耳命が招いた神々、つまり、天忍穂耳命が天の橋に降り立つ際に同行した部下の神々に対するものであるとわかります。

そしてこのあと天忍穂耳命は、高天原に「還り上っ」て、天照神に、「請(こ)はされた」。

「請」という字は、「言+青」でできていますが、青は澄み切った心を意味し、澄み切った心で願うという意です。

つまり、天照神には、「請」が使われていることは、天忍穂耳命は、天照神に何かを願い事をしたことになります。

古事記は続けて、「高御産巣日神(たかむすひのかみ)は、天照神の勅命をもって天の安河(やすのかわ)の河原に、八百万神を集めて思金神(おもひかねのかみ)に思慮をつくさせた」と書いています。

ーー

天照神は、命令者であっても、具体的な政策を実行するのは権力者です。

その結果責任は、意思決定をした高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が負います。

高御産巣日神が、天照神のために、具体的な対策を講じた。

それが、神々を集めて思金神(おもひかねのかみ)に思慮を尽くさせることだったのです。

ーー

この葦原の中つ国は、我が御子の知らす国ぞと言依せ賜える国です。

しかしこの国には、道速振(ちはやふ)る荒振(あらふ)る国つ神たちが多数います。

(ですから天忍穂耳命が地上界に行く前に、先に誰かを遣わすべきです)

そこでどの神を遣わしたら良いでしょうか。

神々は、「天菩比神(あめほひのかみ)を遣わすのが良いでしょう」と決めます。

ーー

ところが天菩比神は、大国主神に媚びへつらって、三年経っても「復奏(かへりごと)」をしてこなかった。

ーー3 天菩比神(あめのほひのかみ)と復奏(かへりごと)

神話は、もともと神代字で書かれていました。

この神代字は豪族毎に伝えられており300種類以上あったとされています。

しかし豪族毎に違っていたのでは文字での意思疎通ができない。

そこで7世紀中盤から8世紀初頭にかけて、漢字を用いて大和言葉を書き表すという努力が行われます。

(天智天皇、天武天皇、持統天皇から、平城京遷都を決められた元正天皇に至る)

大和言葉の表記に漢字を用いることで、文字を統一しようとされたのです。

それで、大和言葉「かへりごと」に、「復奏(フクソウ)」という漢語が「後から」当てられたのです。

ーー

古事記では、漢字に無い言葉は、漢字の音だけを使って表記しています。

しかも、その場合注釈をつけているのです。

「かへりごと」と言う言葉は、今では、まず使われることがありません。

言葉を失うということは、その言葉によって表現されていた文化を失うということです。

ーー

ところが古事記は、言葉が失われてしまったときでも、後世の人が意味を取り違えることがないように、漢字の持つ、本来の意味を一語一語考えて、記述がなされているのです。

ーー

さて、「復奏」の「復」という字は「彳+复」で、空になった酒の壺を持って帰る象形でできています。

そこから「もと来た道を帰る」ことを意味します。

「奏」は差し上げるという意味です。

この二つの漢字を組み合わせると、「来た道を帰って(顔を見せて)報告申し上げる」という意味になります。

ーー

高木神は、思金神に思慮を尽くさせ、八百万の神々と議(はか)ったうえで、天菩日神の派遣を決めています。

ということは、天菩日神は、顔は見せていないものの、天照神、高木神、思金神のいずれかに報告を上げていたと考えられます。

ーー

天菩日神(あめのほひのかみ)の地上への派遣を決めたのは、高木神であり、思金神であり、八百万の神々です。

派遣命令は、天照神の勅命をもって行われたはずです。

ということは、派遣を決めた神々は、「天照大御神に対して、派遣を決めたことについての責任を負っている」。

逆にいえば、もし天菩日神の派遣が失敗に終われば、その責任は、高木神であり、思金神であり、八百万の神々が負わなければならないのです。

責任を負担しているのは、派遣された天菩日神だけではない。

派遣の意思決定に参加した、すべての神々が、応分にその責任を負担しているのです。

ーー

つまり、天菩日神は、責任を負担している神々の前で、状況報告をしなければならない。

それも、できれば、神々に顔を見せて(つまり高天原まで還り上って)、報告を行わなければなりません。

それが、「復奏(かへりごと)」の持つ意味です。

ーー

「意思決定に参加した神々全員の前で顔を見せて報告し、自分の現地における行動を認めてもらう」ということが大切なのです。

ーー

派遣先である中つ国において、天菩日神が置かれた立場は複雑です。

国つ神の信頼を得なければならず、国つ神の警戒心を解く必要があった。

そのような情況のなか、高天原に還り上ると、信頼を失い、警戒心を持たれてしまう。

だからまる3年間、高天原に顔を見せなかった、見せたくても、できなかった。

それは、天菩日神が、誠実に任務を遂行しようとしていたからなのでしょう。

ーー

それでも、派遣を決めた神々は、「かえりごと」を求めていたのです。

神々からすれば、「かえりごと」がなければ、「見えない」。

見えななければ、「不安」となり、「あいつは大国主神に媚びているのではないか」という疑いに転じます。

これは、世の中によくあることです。

ーー

「かえりごと」をしなかった、天菩日神は、結果として行動を疑われてしまった。

ーー4 結婚した天若日子(あめのわかひこ)

高天原の神々は、天菩日神がなかなか復奏(かえりごと)してことないことに、業を煮やします。

そして、再び会議を開き、「天若日子(あめのわかひこ)」を地上に遣わすことを意思決定します。

そしてこのとき天若日子に高天原の神々は、今度は天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)を持たせて派遣します。

ーーしかし

「天若日子は中つ国に降りると、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)を妻にし、国を自分のものにしようとして、八年経っても復奏(かえりごと)をして来なかった」

ーー

ここに大国主神の娘として、「下照比売(したてるひめ)」が登場します。

天若日子は、イザナキ、イザナミの間に生まれた金山毘古(かなやまひこ)の子の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子です。

つまり、イザナキ、イザナミの孫にあたります。

そして天若日子は、神々の血を引く(日子)高天原の若君という名です。

ーー

古事記が記録している大国主神の娘は、下照比売だけです。

「下照」という言葉は、「上(天)照」に対応した言葉です。

つまり「下照」には、「上(天)照」に高天原を照らす意がある様に、中つ国を照らすといった語感があります。

大国主神の下照比売への大きな期待が感じられます。

ーー

天若日子の下照比売との結婚は、中つ国を「騒々しい国から静かな国に戻す」という大きな使命を達成する上で、とても大切な行為でした。

これは両家によって祝福された結婚であった事でしょう。

といことは、高天原と中つ国は、ここでも「ちゃんと日常的交流があった」ということになります。

ところが高天原は、「八年経ってもカエリゴトをして来ない。これは中つ国を天若日子が自分のものにしようとしているのではないか」と疑いだした。

そして高御産巣日神は、神々に、「天若日子は久しくカエリゴトがない。次はどの神を遣わして、天若日子がひさしく留まっている理由を問わせたらよいであろうか」と問います。

ーー5 キジと「さぐめ」

諸々の神々と思金神は、「それでは鳴女(なきめ)という名の雉(キジ)を遣わしましょう」と答えます。

そして雉(キジ)に、「お前が行って天若日子に問うことは、汝を葦原中つ国に遣わせた理由は、その国の荒振(あらぶ)る神等を、言趣(ことむ)け和(やは)すためである。どうして八年経つのにカエリゴトしないのか、である」と命じます。

キジの鳴女は、天(あめ)から降って、天若日子の家の門にある湯津楓(ゆつかつら)の木に止まります。

そして、命ぜられた通りに伝えます。

ーー

これを聞いたのが、「天佐具売(あめのさぐめ)」であったわけです。

「天佐具売」の「佐具売」は、「此三字以音」と書かれています。

「さぐめ」は、「探る女」を意味します。

大国主神が天若日子に付けた間者のことです。

ーー

大国主神は、天若日子を信頼しているから結婚を許可したのです。

それでも間者を天若日子の身近に付け、逐次天若日子の行動を見張らせています。

これは上に立つ者として、当然の行動です。

こうした間者という者は、周囲に対して常に疑いを持つ者でなければなりません。

頭から人を信用するようなタイプでは、「さぐめ」は務まらないのです。

ーー

「さぐめ」の職務は、下照比売を警護することにありますし、そのためには何事にも警戒することが仕事です。

「さぐめ」にとって必要なことは、大切な下照比売に危害が及ばないように、比売(ひめ)の安全を確保することであって、キジの話す内容ではありません。

ですから「さぐめ」は、キジの話す内容ではなく、「わけのわからないことを言っているおかしなキジが来た」と警戒します。

そしてキジを「怪しい者」と感じて、天若日子に「射殺すべき」と進言しています。

ーー

比売(ひめ)の護衛が言うことなので、受け入れ、天若日子は弓矢で、キジを射殺します。

このときに使ったのは、「天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)」と「天之波波矢(あめのははや)」でした。

「麻迦古(まかこ)」の「かこ」は水夫のことなので船上で用いる強い弓のことを意味しています。

「波波(はは)矢」の「はは」とは大蛇のことで、これは大蛇を射抜く強い矢という意味です。

要するに、威力が絶大なのです。

ーー

このため放たれた矢は、キジを射殺しただけでなく、その体を貫いて、さらに遠くへ飛んでいき、「射上がって天の安河の河原に坐(いま)す、天照神、高木神(たかぎのかみ)の御所に逮(いた)り」ます。

(高木神というのは高御産巣日神の別名)

ーー

矢が高天原まで届いたのは、高天原と中つ国が、時空間に共存しているということを意味しているのか、

それとも、キジの鳴女が、単独ではなく、誰か別な者と一緒に中つ国に行っており、その者がカエリゴトする際に矢を持ち帰ったのか、それは文面だけではわかりません。

いずれにせよ、そのキジの鳴女の血の付いた矢は、高木神(高御産巣日神のこと)のもとに届けられた。

それで、高木神は、

「もし天若日子が勅命を誤っていないのなら矢は当たるな。もし天若日子に邪心があるならこの矢は麻賀礼(まがれ)」

と言って、中つ国に矢を差し戻します。麻賀礼(まがれ)とは「禍(まが)れ」」という意味です。

ーー

すると戻された矢は、寝ている天若日子の胸元を貫き、天若日子は亡くなってしまいます。

ーー

「復奏(カエリゴト)」を怠ると重大な結果を招くのです。

関係者が一同に介する前で、報告がなければ、結果として命さえも失いかねないという怖(こわ)さが、こうして描かれます。

さらにこの段では信頼すべき部下の報告だからといって、真に受けることの危険性も教えてくれています。

さらに、生命を奪う行為は重大な結果をもたらすことを覚悟しておく必要があることも教えているのです。

ーー6 天若日子の葬儀

天若日子(あめのわかひこ)が亡くなったことで、妻の下照比売(したてるひめ)は嘆き悲しみます。

その声は、天にいる天若日子の父にまで届き、父は妻とともに中つ国に天降ります。

そして「禍(まが)れ死んだ」ということで八日八夜の喪が営われたのです。

(通常は、人体を構成している48の言霊が神上がる、48日間を喪とする)

ーー

葬儀が営まれているとき、斎場に阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)という神様がやってきます。

阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)という名は、「阿遅」遅れてやってきた、「志貴」貴い志の、「日子根」天照神の子孫(子)を根とするという意味です。

つまり、名前には「高天原系の血筋」と書いてあるのです。

これはいったいどういうことでしょうか。

ーー

阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)が葬儀にやってくると、

天若日子の両親は、「我が子は死んでなかった」と言って喜び、手足に取りついて泣いた。

阿遅志貴高日子根神が、亡くなった天若日子とそっくりだというのです。

すると阿遅志貴高日子根神は、取り付いて泣く親たちに、おおいに忿(おこ)り、

「私は親友だから弔(とむら)い来たのだ。なせ私を穢(けが)れた死者と一緒にするのか」

と言って、刀を抜くと喪屋を切り伏せ、足で蹴散らしてしまう。

ーー7 下照比売の歌

下照比売は、阿遅志貴高日子根神を見て、次の歌を贈ります。

 天(あめ)なるや
 乙棚機(おとたなばた)の
 う流(なが)せる
 玉の御統(みすまる)御統(みすまる)の
 あな玉(たま)速(はや)み
 谷二(たにふた)は
 足(たら)す阿治志貴
 高日子根ぞや

「天で魂と肉体を結び付けている玉の緒を織っていると聞いています。天若日子はあまりにも早く神上がられてしまいました。私の二つ目の運命の人は貴方です」

すると、阿遅志貴高日子根は驚いて、

 天下がる鄙詰めの意は
 ただ瀬訪(せと)い
 しかは片縁(かたふち)
 片淵(かたふち)に網張り渡し
 めろよしに由(よし)より来(こ)ねい
 然(しか)は片淵

「急いで弔問に来ただけです。一方的な求婚は、網を片岸だけに固定して魚を採るようなもの、正式に仲人を立てて求婚してください」

ーー

歌から、ここまでの記述を逆に読んでいくと、次のことがわかります。

天若日子は胸を矢で貫かれました。
けれど実は死んではいなかった。

天若日子は、「復奏(かえりごと)」がなかったために、高天原から疑われてしまいます。

そして自分が疑われているとことを、自分の方に向かってきた矢で知るのです。

言い換えるとその矢は、高天原が天若日子に死を賜ったということです。

ーー

けれど天若日子は、下照比売を妻にしています。

そして、様々な誤解が積み重なって、死を賜ることになってしまった。

ひとつ救いがあるのは、天照神は、何もかもお見通しであるということです。

そうであれば、天若日子が、中つ国が静かなる国になるように、彼なりに誠実に履行してきたことも、天照神はご存じのはず。

それゆえ「当分の間、死んだこと」にして身を隠すことも、天若日子の選択肢の一つでした。

(このような例は、日本史には度々登場します)

ーー

ところが、そうと知らない妻の下照比売は、夫が死んだと嘆き悲しみます。

高天原にいる両親も、息子が死んだと思って、わざわざ遠く高天原からやってきて、悲しみに沈んでいます。

そこへ天若日子は、阿遅志貴高日子根と名を変えて友人として、両親や妻の前に現れたのです。

いくら、「私は若日子の親友だ!」と言い張ったところで、親には若日子だとわかる。

若日子は、親に迷惑がかからないようにと、心を鬼にして祭壇を壊し、大暴れして去っていく。

そこで下照比売も阿遅志貴高日子根が若日子であることに気づき自分から求婚する。

阿遅志貴高日子根も「仲人を立てるように」と言う。

ーー

阿遅志貴高日子根神の名は、歌では阿「治」志貴高日子根神と、名前の文字が「遅」から「治」に変わっています。

はじめの「阿遅」は、葬儀に遅れてやってきたことです。
あとの「阿治」は、間違いを整えようとしたということです。
なぜなら「治」には「間違いを整える」という意味があるからです。

そして「治」が間違いが整えられたという意味なら、後年、天若日子は嫌疑が晴れて、再び下照毘売と幸せに暮らしたということになります。

なぜなら下照比売の名前も、ここで「高比売」と変わっているからです。
夫が「志貴」なら、妻は「高」です。

二神揃えば、それは「高くて貴い志」を遂げたという意味になるからです。

ーー8 まとめ

現代では死語になってしまっている「復奏(かえりごと)」ですが、実社会においては、今も顔を見せての報告が大切なのです。

そのことは、誰もが社会人としての経験則から学ぶことです。

宗教は一種の文化であり、西欧における宗教には、教義があり、その教義を学ぶことが宗教活動の一つにされています。

ところが日本の宗教には教義というものが判然としない。

日本での「かんながら」という文化は、神話を学ぶことにあると言えるでしょう。

自分自身の成長とともに学んできた神話について、「なるほど、そこに書かれているのは、そういう意味だったのか」と、気付くようになっている。

日本文化は、この「自分で気付く」ことを、大切にしているのです。

これは、人間の持つ主体性を大切にし、人の持つ可能性を信じている文化なのではないかと思いました。

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