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2017年5月18日 (木)

その時白隠の「直指人心、見性成仏」が完成したのであります

宋時代に支那人僧によって、日本に禅が伝えられた。

ーー臨済宗wikipedia

宗門では、ゴータマ・シッダッタの教え(悟り)を直接に受け継いだマハーカーシャパ(大迦葉)から28代目のボーディダルマ(菩提達磨)を得てインドから支那に伝えられた、ということになっている。

その後、臨済宗は、宋時代の支那に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。

日本の臨済宗は、日本の禅の宗派のひとつである。師から弟子への悟りの伝達(法嗣、はっす)を重んじる。釈迦を本師釈迦如来大和尚と、ボーディダルマを初祖菩提達磨大師、臨済を宗祖臨済大師と呼ぶ。

同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。とくに室町幕府により保護・管理され、五山十刹が生まれた。

その後時代を下り、江戸時代に白隠禅師によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅ともいわれている。

ーー抜粋ここまで

禅というのは、瞑想を意味するのだが、それがどうして宗教になるのか、西洋人には理解しがたいのではなかろうか。

信じ守るべき教義というものが見えてこないからだ。

例えば、禅宗の一派臨済宗は、「直指人心、見性成仏」と言う。

「直接人の心を目指せば、仏性を発見し覚者(仏)と成る」

瞑想することによって覚者(仏)になれると。

これでは教義にならない、信者が集まらない。

しかし瞑想することによって覚者(仏)になることを目指す僧(修行者)たちがいたのだった。

それが禅宗だということが出来る。

ーー

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

白隠慧鶴が、まだ修行中の若い頃のことです。

白隠は、もう悟りを得たと思っていました。

そして様々な禅宗のお寺をめぐり、禅僧たちと問答し、打ち勝っていました。

つまり自分の方が深い境地に達していると考えたのでした。

ーー

長野県飯山市にある正受庵を訪ねます。

そこに居る、臨済宗・最長老の道鏡慧端(どうきょうえたん)老師と問答をするためでした。

老僧は、白隠が何を問うても、半眼のまま座り、一言も返さない。

居眠りしているのか。

白隠は、そこで慧端禅師に対して「喝っ!」と大音声を発します。

ーー

すると老師曰く「それは学んで得たものか?自分で見たものか?」と。

白隠答えて申す、「もちろん自分で見たものである」と。

老師「ならば吐き出せ」と。

ーー

学んで得たものなら、学んだ通りに言えば良いのです。

けれど白隠は「自分で見た」と回答しています。

覚者(仏)を「見た」と答えたのです。

だから、その見た「覚者」を説明せよと。

見たのなら、説明できるだろう?というわけです。

ーー

相手は高僧であり、学べることなどほとんど学んでいる。

その老師の前で、「覚者」を説明する以上学べる以外のものである必要がある。

白隠が至っていた境地とは、実は、先輩諸氏から学んだものでしかない。

白隠は、嘔吐を真似るくらいしか手がなくなってしまった。

ーー

老師は言いました。

「お前は自分一人でわかったつもりでいる糞坊主じゃ。ここにいてしばらく叩かれよ」

つまり、ここに居てさらに修行せよ、と。

ーー

白隠は正受庵に滞在し修行します。

ところが老師は、何も教えない。

白隠に作務(さむ、掃除などの労務)をさせ、些細な瑕疵(かし、欠点や欠陥)を見つけては叱り続けました。

ーー

あるとき白隠は、托鉢に出、一軒の家の前で経を唱(とな)えおわり、一礼をして歩きだそうとした時。

息を切らせてやってきた老婆が、一握りの玄米を白隠の頭陀(ずだ)袋に入れ、どうか孫の病気平癒を祈ってほしい、と頼んだ。

自分が悟ることで頭をいっぱいにしていた白隠は、我に返り、一心に老婆の孫のために病魔退散の真言(サンスクリットの呪文)をとなえたのでした。

その日の食べ物を布施してでも、孫を救いたいと願う老婆。

しばらく歩いて振り返るとまだ白隠に合掌している。

白隠は、その時、老婆の食べ物を奪って生きている自分の存在、に気付いたのでした。

うなだれて、寺に戻った白隠に、老師は「汝、徹せり(よくやった)」と言った。

ーー

禅は自分の中の覚者(仏)を見つけ悟ることを目的にするものです。

悟りは知識とは別物なのであります。

白隠は、もう誰をもやりこめるだけの知識を得ていた。

だから、老師のもとを訪れるまで、常に論争に勝ち続けました。

得意の絶頂に居た白隠に、老師は「お前は自分一人でわかったつもりでいる糞坊主じゃ」と言った。

しかし、彼の鼻っ柱をへし折ることは出来なかった。

ーー

老師は、白隠を寺に置き、作務を課し日常生活について事細かく咎(とが)め、叱った。

それでも白隠は折れなかった。

そしてある日、托鉢の先で、孫のために布施する老婆に接して、ようやく彼は、鼻っ柱をへし折られたのです。

その時の白隠の気付き(悟り)を、老師は、「汝、徹せり!(よくやった)」と、白隠の表情ひとつで見ぬいた。

ーー

白隠は、自分が得た境地が、「自分の食べ物を布施する」名もなき老婆の境地にも至ってはいなかったと気づいたのでした。

その時白隠の「直指人心、見性成仏」が完成したのであります。

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