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2017年4月27日 (木)

日本では、強くても非道は決して許されない

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

日本は明治維新以来、日清、日露を戦い、第一次世界大戦を制し、支那事変、大東亜戦争を戦いました。

大東亜戦争では、何しろ相手が日本の100倍程もの武力をもつ米国であり、負けてしまった。

しかし、日本はアジアに植民地を持っていた英蘭仏には圧勝した。

そして大東亜戦争後、米英蘭仏の「植民地」はなくなった。

もし日本が英蘭仏を相手に戦い勝っていなければ、おそらく今日においてもアジアの人々は、英蘭仏人への隷属を余儀なくされていたのです。

ーー

ちなみに、植民地での有色人種というのは白人によって「痛みを感じない生き物」と信じられていました。

ですから、ムチで叩かれて痛がっていても、それは単なる演技であって、実は、痛みを感じる神経そのものがないと、そのように考えられていたのです。

もしいまの日本が、どこかの国の植民地になるとして、その痛みに耐えられる人は、日本人の中には居ないはずです。

ーー

日清日露をはじめ、支那事変、大東亜戦争の、どの戦いにおいても、日本人の敵は、常に10倍、20倍、甚だしきは100倍の戦力を誇っていたのです。

個々の戦いを見ると、これが白人の戦いであったなら、おそらく、歴史に残り、語り継がれるほどの、勇敢な戦いでした。

日本人兵士にとっては、それだけ過酷な戦いであったのです。

ーー

兜(かぶと)も焦がす炎熱の中で、 敵の屍とともに寝る。

泥水をすすり、野草を噛み、荒れた山河を何10kmも重たい鉄砲を担いで行軍する。

あるいは酷寒の中、汚水に浸かって何日も敵情を視察する。

糧食が尽きてから10日以上も戦う。

こうして多くの日本兵が、青空の中に、海中に、土中に消えていった。

こんな過酷な状況下でも、日本の兵隊さんたちは、現地で、いわゆる略奪や、強姦や、収奪を一切していないのです。

こんな軍隊って、世界の歴史に他にあったでしょうか。

ーー

戦後、在日・反日勢力は、日本の言論界、メディアを支配して、残虐な日本軍の広告・宣伝に余念が無かった。

ところが、そんな広告・宣伝が通用したのは、戦争を知らない人々の間だけだった。

実際に戦った兵を親に持つ日本人は、残虐な日本軍が、在日・反日勢力の広告・宣伝であることを良く理解していたのです。

それは、ネット環境が整うとまず第一に否定されたのが「残虐な日本軍」であったことからも分かる。

ーー

残虐だったと言う日本人には、それでは眼球が栄養になる珍味だからと生きたまま捕虜の目玉をくり抜いて、そのまま生で食べますか?と聞いてみればよいのです。

こんなことは日本人にできることではないのです。

つまり「残虐だったと言う日本人」は、残虐や残酷の意味を、まるでわかっていないのです。

ーー

いまも昔も日本人の願いは、それこそ神話の時代から、一つです。

それは、誰もが豊かに平和に安全に安心して暮らしていけること。

そして、武というものは、平和と道義(正義)の維持ためにこそ存在する、というのが、日本人の思考です。

ーー

支那・朝鮮人は、強ければ非道を行っても許されると考えています。

しかし、日本では、強くても非道は決して許されない。

それは、民衆が指導者を支持する場合に血筋を問題にすることでもわかります。

血筋はその人の祖先が人々の為に尽くしているかどうかが基準になるものです。

それが分かるほど日本には歴史(記録)があるということです。

つまり武家、親方、親分などは、どれだけの人を安全に安心して暮らしていけさせているかで、その価値が決まったのです。

ーー

先日、小野派一刀流の師範の演舞を、生で見る機会がありました。

八段と七段の有段者による、刃引きの剣による演武でしたが、それでも頭部にあたれば、即死です。

木刀や竹刀に比べると剣は薄いのです。

七段の剣が、八段の左腕から外側に流れた瞬間です。

八段の剣先が、七段の喉元を突いていた。

もちろん、寸止めです。

演舞なのに、背筋が凍りつきました。

ーー

何度やっても、結果は同じです。

「どうしてあのようになるのですか?」とお聞きしました。

すると、「刀は歯から身にかけて、微妙に鋭角をなしています。その鋭角を利用して、相手の振り下ろした刀を、体側に滑らせるのです」と、まさに神業です。

これが小野派一刀流というものなのか、と、衝撃を受けました。

ーー

武芸の練達者にかかると、あらゆるものが武器になるといいます。

武芸者は、その武器をまた、限界まで活かし抜く技術を、生涯かけて磨き続けるわけです。

昔の日本人が強かったわけだと思いました。

しかも、その練達の技(わざ)を使って人を殺すというのは、やむを得ない場合に限られたのです。

ーー

武は、どこまでも正しい心を養い、正義を実現するためのもの、というのが日本人の考え方です。

その正義とは、誰もが豊かに安心して安全に暮らせる社会を維持することにあるのです。

信長の「天下布武」も、武によって日本を争いの無い道義が通じる社会にすると言う意味で使われた。

もし、日本人が豊かに安心して安全に暮らせる社会を希求するなら、武を復活させなければならないということに成ります。

ーー

これまで日本人は、10倍、20倍、ときに100倍もの武力を持つ相手と戦ってきました。

それは、日本人同胞が豊かに安心して安全に暮らせる社会を希求してなされたのでした。

武道が、勝つことだけが目的になっているのなら、それはスポーツ競技でしかないのです。

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