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2017年4月30日 (日)

公益を優先する社会にすることが、結果としてはより多くの人々を幸せにする

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

日本史は、「7世紀」と「19世紀」に激変しています。

7世紀「大化の改新(646年)」が行われて日本が天皇のもとに統一されています。

そして663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた「白村江(はくすきえ)の戦い」で日本軍は敗退。

これは、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争で、日本は半島を放棄し、唐・新羅の攻撃に備えることになります。

ーー

19世紀徳川幕府は、1853年に浦賀沖に寄港した米艦隊率いるぺりーに開国を迫られ、欧米列強から不平等条約を突き付けられます。

それから20年もたたない1867年に、徳川幕府は天皇に大政奉還し、翌1868年に明治政府が誕生しているのです。

これが「明治維新」ですが、これは実は7世紀の大和朝廷の仕組みを、形を変えて復元したものということができます。

ーー

大化の改新で、天皇を国家最高の権威とし、政治権力との切り離しを行った。

これが実行できたということは、実はもっと古い時代にも同じことが繰り返されていたのかもしれません。

たとえば、「アマテルカミ」の時代、あるいは「オオクニヌシ」の時代、「ニニギのみこと」の時代等、1200〜1300年おきに繰り返されていたとしたら・・・。

そう考えると、日本は、なんと奥行きの深い国なのだろうと思ってしまいます。

ーー

一方、支那の皇帝は、権威と権力を併せ持つ支配者です。

皇帝が世界の頂点にあり、そこから世の中の全てが上下と支配と隷属の関係におかれます。

支那には「天帝という天を司る神が世界を支配しているという」思想があり、皇帝は、その天帝から地上世界の絶対的支配権を与えられた人と考えられたのです。

この絶対的支配権のことを「天命(てんめい)」といいます。

ーー

天命が与えられる者の姓が易(か)わることを「易姓」といいます。

天命が革(あらた)まることを「革命」といいます。

この二つの語が並ぶと「易姓革命」になります。

ーー

(このような発想が無いゆえ天皇には姓が無い)

ーー

古代、支那の周辺国は、支那皇帝の冊封下に入ることで、自国の王としての権威権力を保持しようとしたのです。

ところが日本は、607年の第二回遣隋使において、

日出處天子致書日沒處天子無恙云云
(日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す、云々)

煬帝の返書は以下。

皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別『日本書紀』

ここで煬帝は、天子と呼びかけた日本の天皇に対して、「倭皇」と呼びかけています。

これに対する天皇の煬帝への返書は、次の言葉から始まるのです。

東天皇敬白西皇帝『日本書紀』

そしてこれが、我が国の外交文書に「天皇」の文字が使われた最初の出来事とされています。

ーー

アマテル神は孫にあたるニニギ命に、「高天原と同じ統治をせよ」と詔(みことのり)されます。

こうして地上に降臨したニニギ命が、天皇の祖なのです。

つまり天皇の権威は、アマテル神から綿々と続く血統そのものなのです。

そして天皇は神界と同じ仕組みで人界を統治します。

この統治を「シラス」といいます。

ーー

「た」の古代文字(おして)は、〇の中にYと記され三方から光が入る形をしています。

その光は、「日、月、星」のそれであるとされ、自然の恵みを受けた場所とされる。

それが田んぼであり、そこで作物を作る知恵を持っている「天皇のはらから」を天皇は、「たから」とされた。

「たから」を安楽に暮らせるようにするために、人々の中から臣(とみ)を選ばれた。

臣は民に権力を行使する役目なのですが、民は、「臣のもの」ではなく、「天皇のたから」なのです。

ーー

古代から続くこの日本の形を、あらためて制度として明確にしたのが、大化の改新(645年)でした。

大化の改新で敷かれた「公地公民制」は、こうした神代の昔からの日本の形を、あらためて、土地登記と戸籍台帳の作成で明確にしました。

この公地公民制の施行の際に、日本の各地方の土地の名、人々の姓は、漢字二字で書き表すようにとお触れされました。

ですから、いまも、ほとんどの日本人の名字や、地方の市町村の名前は、漢字二字で書かれています。

鹿児島県の志布志市のように、まれに三文字の名称もありますが、これは天智天皇から特別に許された栄えある名称です。

ーー

また、8世紀以降に開かれた新田では、「五右衛門新田」のように、漢字1文字〜6文字の様々な名称がありますが、これらは、大化の改新よりも、ずっと後の時代になって開かれた土地であり、名字です。

こうして日本人には、基本的に漢字二字で構成される様々な地名や名字が生まれました。

ですから日本の民衆には、それぞれに姓があります。

そしてその姓の種類は、いまや30万種類もあります。

つまり「数え切れないくらいたくさんの姓」があるわけで、これを「百姓(ひゃくせい)」と言いました。

ーー

日本では、「八」は神数で、「たくさんの」を意味しますが、「八」よりもさらに数が多いものを「百」と言い表しました。

つまり「百姓」というのは、「数え切れないくらいたくさんの姓」という意味です。

そしてその「数え切れないくらいたくさんの姓」のひとつひとつは、天智天皇によって与えられた栄えある姓です。

だから日本人の名前は、「鈴木一郎」というように、姓が先、名が後になっています。

姓に誇りがあるのです。

そして日本人は、その「姓」を世襲し、父祖や先祖の御魂のもとに恥じない生き方をしてきたのです。

ーー

この考え方は、幕末までしっかりと受け継がれ、武家の領地は知行地と呼ばれています。

これは「シラス(知らす)を行う地」です。

つまり「知行」というのは、天皇からの預かり物である土地や民衆を、慈しみ守るということです。

ですから大名も、基本、守護大名です。

大名が守護するのは、自分の財産としての土地や人々ではなく、どこまでも天皇の土地であり天皇の民です。

ですから、日本における領主は、私有地私有民を持ちません。

領主が私有地私有民を持たないということは、いわゆる豪農と呼ばれた人たちも同じです。

豪農は、広大な土地を持ちましたが、それは私有田、私有畑としてではなく、どこまでも占有権として、これを保持したにすぎません。

なぜならすべては、天皇からの預かり物だからです。

ーー

その預かり物である民が、誰もが豊かに安心して安全に暮らせるように、全力をもって知行にあたることが、人の上に立つ者の役割とされてきたのです。

7世紀の「公地公民」の思想は、こうして1200年の長きにわたって、ずっと受け継がれてきたのです。

ところが、幕末の黒船来航によって、日本は再び、政治面における挙国一致体制が必要となりました。

そこで行われたことが、あらためて天皇のもとに日本を統一するということでした。

これが明治維新です。

ーー

さて私は、明治維新を振り返ったとき、結果として、天皇を「現人神」にしてしまったこと、これは、あってはならなかったことではないかと思っています。

天皇は、どこまでも、神界と人間界をつなぐ、シラス存在です。

このことは「四方拝(しほうはい、よほうはい)」にもあきらかです。

天皇は毎年元旦に、「四方拝」を行われます。

元旦とはその年の初めての夜明けのことです。

天皇は夜明前に特別の建物に入られます。

そして、四方の神々をお招きし、「国家国民のありとあらゆる厄災は、すべて私に先にお与えください」と祈られる。

天皇は神々と繋がる御役目なので、「ありとあらゆる厄災は、すべて我が身を通してください」と祈られるのです。

天皇の四方拝

ですから天皇は人の身であり、支那皇帝が天帝(神)であるのとは違うのです。

ーー

私(ねず)は、明治以降に歪んだ天皇現人神論や、米軍占領によって失った国体を、本来のシラス国日本に戻す必要があると思っています。

ーー

では、その大改革とは、どのようなものでしょうか。

シラス国では、「天皇(最高権威者)は権力の行使をしない」、これは独裁を防ぐための知恵です。

シラス国では、「人・ものすべてが天皇のもの」です、これは私権の肥大を防ぐ知恵です。

ーー

現在の日本は、天皇が最高権威者になっています。

しかし、「人・ものすべてが天皇のもの」とはなっていない。

日本人は、私権のすべてを天皇にお返しする、これは、日本の民衆による「私権奉還」です。

この「私権奉還」により、私権が天皇(公共)のものになることで、私利ではなく公益が優先されることになります。

私権奉還しても、誰も困ることはありません。
所有権が、占有権と名前が変わるだけです。
現に英国ではいまでも、所有権を持つのは英国王だけです。

ーー

公益を優先する社会にすることが、結果としてはより多くの人々を幸せにする。

そしてそれを実現してきたからこそ、日本は、民度の高い、平和な国家を保持してきたのです。

だいたい、個人が土地を私有し個人の自由にできること自体が、おかしい。

(まあ地税はその土地が国のものであるということなのでしょうが)

日本の神々は、そのことに日本の民衆が気付く日を、ずっと待ち望んでおいでなのではないかと思います。

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コメント

>煬帝の返書は以下。
皇帝問倭皇・・・・・

日本は随に対する外交文書において、天皇のことを「日出處天子」として自己紹介を行い。
これに対して、煬帝は日本の天皇のことを「倭皇」と記しました。

隣国は、日本の天皇のことを何故か「日王」と呼びます。
過去の大部分を宗主国としていた支那の皇帝は、日本の天皇のことを「倭皇」として「皇帝」と同格に扱ったことに比べると、誠に無礼な扱いで外交上にも非礼であると考えます。

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